〇〇の卵

lager

 これは、一人の少年が卵を拾ったお話だ。


 卵。


 卵である。

 みなさん、卵と聞いて何を思い浮かべるだろう。

 恐らくこの文章を読んでいる方の大半はカクヨムユーザーであって、カクコンのお題フェスに参加中の方もいらっしゃるに違いない。あるいは、ヨミセンの方であって、既に何作か卵お題の作品を読み回っている方もいることだろう。

 みなさまそれぞれ、卵と聞いて個々人様々な連想をし、それを読んできたものと思われる。


 私の場合は、『チコちゃんに叱られる』であった。

 NHK金曜夜8時から始まるバラエティー番組で、日常に潜む、当たり前だと思っているけどなんでと聞かれると返答に困るちょっとした疑問を解消していく、という内容なのだが、いつだったか、その中で『卵はどうしてあの形なの?』という疑問が呈されたことがあった。


 つまり、鶏卵の形だ。なんで魚や海亀の卵はきれいな丸型なのに、鶏の卵は一端がやや尖った形をしているのだろうか。

 チコちゃんが語るところによれば、それは転がったときに逸失のリスクを抑えるためなのだという。

 試しに冷蔵庫から卵を取り出して床で転がしてみれば分かるのだが、あの特徴的な形のおかげで転がした軌道は尖った方を内側に円を描き、元の場所に近い位置まで戻ってくる。これにより、偶発的な事故で巣から転がり出た卵が逸失することを防いでいるのであって、その証拠に崖の上など狭い場所で営巣する鳥の卵は、転がした際の円軌道が狭い、より円錐形に近い形をしているのだとか。


 で、あるならば、と。

 藤間琢磨は、道路の側溝に落下し、今生の別れを告げたワイヤレスイヤホンの形状について、メーカーと膝を交えて話し合いたいと大いに憤慨した。

 限定モデルだった。

 彼の推しである星街すいせいがANIMAとコラボして発売された一品で、受注生産であったために正規の価格では二度と手に入らない。


 それが、転がっていったのである。

 そんな馬鹿な。

 卵などよりよほど転がりにくそうな形をしているというのに。

 マスクを外そうとしただけだったのだ。いつもの通学路を歩いている途中だった。インフルエンザが流行っているからと外出時にはマスクを着用するよう親から注意されていたが、長時間外を歩いているとどうにも息苦しい。自宅まではまだ少し距離があった。到着直前にまた付け直せばいいだろうと、それを外そうとしたところで、まず眼鏡のツルに引っかかった。

 眼鏡店の店員に、眼鏡をかけた状態でマスクを外す時は、上側の紐から外すとひっかかりにくいですよ、とドヤ顔で言われたとおりに、ちゃんと上側の紐から外したのに!

 こんがらかった紐とツルを耳元でわちゃわちゃとしていると、もう自分の指なのかマスクの紐なのか眼鏡のツルなのか分からないが、そのどれかがイヤホンに引っかかり、ぽろっと外れて、落ちた。


 あ。

 と声を上げる間もなく、クリアブルーのイヤホンはアスファルトの端の雑草の上に落ちて跳ね、ころころと転がり、ものの見事にコンクリートの側溝の穴へと吸い込まれていった。

 数秒間、動けなかった。

 頭の中では、幾千の言葉が渦巻いていた。この責任は誰がとるべきなのか。イヤホンのメーカーなのか、マスクの着用を指示した親なのか、出鱈目の豆知識を語った眼鏡店の店員なのか、もしくは、もしくは……ちょっと横着をした自分自身なのか。


 未練がましく道路脇に膝を着き、なんとか側溝の蓋を持ち上げられないかと四苦八苦してみたものの、僅かに空いた隙間から見えたものは、泥臭く冷たい暗黒の淵だった。

 ワンチャン……いけるか?

 いやあ、流石に……。

 …………ん?


 ふと、目に留まったのである。

 

 琢磨が屈みこんでいたのは、枯草に覆われた空き地の縁だった。

 冬枯れした黄色い葉の中に、なにやら違った色彩が見えた。それが、目に留まったのである。

 

 白、よりは灰色に近い。薄っすらと青と緑のマーブル模様が見て取れる。

 大きさにして、20cm程度はあるだろうか。

 卵であった。

 普段、こんな場所で誰かが立ち止まることなどめったにない。普通に空き地の横を歩いて通り過ぎただけでは、まず気づくまい。ちょうど琢磨が屈みこんだ正にその位置から空き地の方を見れば一目瞭然に発見できるが、それ以外の角度で空き地を眺めても、強いて探そうと思わなければ気づけないような、微妙な位置だった。


 琢磨は思わず周りを見渡した。

 一目で、これは普通の卵じゃないと思った。だから自分以外にこれを見つけたものがいないか、自分がこれを見つけたことを見たものがいないか、それをまず確認した。

 道路には時折車が通るばかりで、歩いている人間といえば、視界の遥か先で犬の散歩をしている人影くらいだ。

 琢磨は束の間、失ったイヤホンのことも忘れて、恐る恐るその卵に近づいた。

 さく、と枯葉を踏む自分の足音にすら冷や汗をかいた。

 卵は、ずっしりと重かった。

 もう一度周りを見て、空き地の枯れた草原を見渡しても、自分の他には誰もおらず、なにかの動物の姿も見えない。


 大きい。

 改めて手に取っても、それが普段自分が目にするどんなものとも違っていることが分かったし、非日常の気配がぷんぷんと匂った。

 なにせ、琢磨が咄嗟に想像したものが、ポケモンの卵だ。この形状。このサイズ感。この色彩。今まさにこの中からピチューが飛び出してきても不思議ではない。いや不思議ではあるけれど。


(まあ不思議と言うなら、なぜ明らかに哺乳類の形態をしたポケモンも卵生の生態なのかと不思議に思った人は多いのではないだろうか。私の記憶によると、初めてポケモンの卵というものが登場したのはシリーズ2作目からであったろうと思うのだが、恐らくゲームフリーク社の中でもさぞや議論が紛糾したことであろう。

 ただ、ゲームとして考えた場合、卵というのはとにかくシステムに落とし込むのが簡単なのだ。アイテムとして保存できるし、子供が生まれるまでの間を母体から切り離せるという利点は大きい。誰だってお腹が大きくなったピカチュウが戦っているところなど見たくないだろうし、想像したくもないだろう)


 閑話休題。

 琢磨はひとまず卵の姿をスマホで写真に収めると、元あった場所にそっと戻した。

 これがRPGであったなら、『たくま は ふしぎなタマゴ を てにいれた』とでもテロップが流れ、アイテムボックスに卵が格納されるのだろうが、現実世界を生きる男子高校生にとっては、持ち帰ったところでどうすることもできない。

 たくま は ふしぎなタマゴ を もとに もどした。である。


 しかし、これが他の誰かに発見されることはなんとなく嫌だった。琢磨は自分でもこの行動にどれだけの意味があるのか、自分の中に何の理由があるのかも曖昧なまま、周囲の枯草がより密集している場所に卵を置き直した。

 これなら、先ほど自分がそうしたように空き地の縁で誰かが屈みこんでも、そうそう見つかることはないだろう。

 琢磨は足早にその場を立ち去ると、失ったワイヤレスイヤホンのことは一先ず置いておき(断じて忘れていない。置いておくだけだ。というより、そのことを考えないようにするために他の何かに没頭したいという気持ちすらあった)、家路を急いだ。


 まずはググった。

 本当は帰宅路の途中にスマホで調べたかったのだが、彼の今月のギガはもう限界ギリギリで、家のWi-Fiが使えるまでは我慢したのだ。

 自室のベッドに寝転び、『卵 巨大』で検索をかけると、当然ダチョウの卵が候補に挙がる。どうやらサイズ感はかなり近いようだが、色合いは真っ白で鶏卵をそのまま大きくしたような見た目だ。あんなマーブル模様はついていない。

 それなら、と『卵 マーブル模様』で検索をかけると、今度はイースターエッグの作り方が出てきた。


 ふむふむ、と。琢磨の中で少しずつ高揚が増していった。

『卵 一番大きい』『卵 模様』『卵 落ちていた』『卵 恐竜』

 思いつくままに検索ワードを変えていくが、一向にあの卵の正体に辿り着く気配はなかった。

 やはりこの卵、普通じゃない。ひょっとしたら自分はとんでもないものを見つけてしまったのではないか? 未確認生物の卵? それとも実験の末に作られた新種の生物? 

 いやいや、そんな馬鹿な。漫画や映画じゃあるまいし……。

 ……いや、でも、ワンチャン……??

 どうしよう、やはり持ち帰るべきだったろうか。


 もう一度写真を見直し、拡大して隅々まで観察した琢磨は、次に画像検索を試みた。CMでよく見る例のアレだ。

 外出先で奇妙なものを見つけて写真を撮り、『これ、なに?』と聞くだけで膨大な集合知から答えが返ってくる――。

 

 結果。

 

『ダチョウの卵に塗料でペイントされたものである可能性があります』


 琢磨はスマホを投げ捨てそうになった。

 そうじゃないだろ。

 そういうことじゃあないだろう。

 もっとロマンを持てよ!

 これだからAIってやつは!


 だが、一瞬で沸騰した頭はすぐに冷静になり、先ほどまでとは別の角度での思考を促した。


 考えてみれば、やはりおかしいのだ。

 どんな生き物が卵を産んだにせよ、なにもない所にぽつんと産んでそのままほったらかしということがあるだろうか。

 普通は巣を作るなり穴を掘るなりして、その中に産むのでは?

 ではやはり、あれは偽物? 誰かのいたずら? もしくはよくできた玩具が捨てられていただけ?

 

(ちなみに、先ほど琢磨がやったように『卵 恐竜』で検索をかけると、タカラトミー社の『うまれて! ウーモ ジュラシック・ワールド』という商品がヒットするのだが、これ、背筋がゾっとするのは私だけだろうか。

 恐竜が卵の殻を割って生まれてくるギミックは良いと思う。今どきの技術を作ってかなりリアルに表現している。それは良い。だが、そのギミック、1回こっきりしか使えないのだ。その後はちょっと動いて鳴くだけの、よくある恐竜の玩具だ。それに、15,000円? 恐ろしい時代になったものである)


 それはさておき。

 琢磨は先ほど手にした卵の感触を記憶の中で反芻した。

 肌触りは……ざらりとしていた。少なくともプラスチックという感じはしなかった。かといって石ほどの重さではあるまい。少なくとも卵であるというのは確かなのか? ならばやはり、ダチョウの卵?

 塗料でペイントされた可能性――。

 匂いは覚えていない。だが、覚えていないということは特段異臭はしなかったのだろう。塗料だとして、ペンキの類ではあるまい。ただ、それ以上のことは分からない。


 琢磨の中で、珍しい生物の卵を見つけたのかもしれぬという興奮は冷め、代わりによくできた偽物を見破ったのだという自尊心を満たす方向へと思考が切り替わった。あれやこれやと理屈を捏ねてあの卵がフェイクであるという理由を挙げていく。

 いやあ、危ない危ない。おかしいと思ったんだよね。まあまあまあ、良く出来てはいたよ? でもさあ、流石に……ねえ?

 え? 新種の生物? なに言ってんだよ、漫画の見すぎだろ。いやいやいや……。


 翌日、朝。


 琢磨は再び、例の空き地の横で立ち尽くしていた。

 もう片方のイヤホンを失くしてしまったのでは、勿論ない。

 学校への行きがけに、例の卵をもう一度見てみようと思ったのだ。自分で隠しておいてどの場所だったか分からなくなってしまってはいたが、大体の場所は覚えている。朝露に濡れながら何カ所か枯葉をかき分けてみれば、果たして、昨日そこに琢磨が置いたときと同じように、それは鎮座していた。


 改めて手に取ってみても、触感はやはり人工物とは思えない。肌理は粗く、なんというか、鶏卵をそのまま大きくしたらこんな肌触りなのではないかと思わせるようなざらつきだった。冷たいような気もするし、ほんの僅かに温もりがあるような気もする。

 匂いは、やはりしない。間近でつぶさに観察しても、灰がかった白地に薄っすらとかかった青と緑のマーブル模様が塗料のものなのか天然のものなのか、判別はつかなかった。これが例えば星柄とかハート柄とか、あるいは蛍光色とかでカラーリングされていたならいかにも偽物だと分かりそうなものだが、ギリギリ自然界にもありそうな色合いなのだ。いや、それこそ、フィクションでよく描かれる恐竜やらモンスターやらの卵に、見れば見るほど思えてくるのだ。


 ダメだ。

 やっぱり分からない。

 琢磨は再び卵を元の位置に戻し、謎の敗北感を味わいながらその場を去った。

 

 学校生活は、いつも通りだった。

 推しとコラボしたワイヤレスイヤホンを失くした件は、十分に脚色を加えて話のネタとし、級友たちの笑いをさらって供養した。

 その際に見つけた不思議な卵のことは、それでも言えなかった。

 だって、本当に何も分からないのだ。偽物なのか本物(?)なのか、なぜあんな場所に置いてあるのか、皆目見当もつかない。

 ネタにするなら、せめて何かしらオチをつけないとしまりが悪い。


 いっそ誰かに相談するか?

 落とし物を拾った、という体なら交番に届ける? 

 それとも保健所?

 詳しい人なら(生物学者? 大学教授?)、あれが何か判別できるのだろうか。

 

 でも、やはり偽物だったら?

『君ねえ。高校生でしょ? こういう悪戯、よくないと思うよ』

『え? 琢磨、お前それマジで言ってんの?』

 ……そんなの、ネタにもならない。


 琢磨は、自分の内にいつのまにか備わっていた分別と常識を恨んだ。自分ではあの卵が何なのか調べられない。けど、誰かに相談することもできない。

 思考はぐるぐると周回し、とぐろを巻き、腹の中に居座り続けた。

 授業は頭に入らず、放課後に身を置く将棋部では連敗を喫し、弁当箱を机の中に置き忘れ親に怒られた。朝は左右違う靴下を履き、昼はカレーパンを選んだつもりでアンドーナツを手に取り、夜は何故か眼鏡を冷蔵庫にしまっていた。

 心ここに在らざることバレンタインデーの朝の如き数日を過ごし、そして――。


 琢磨が謎の卵を発見して七日目の夜。

 卵は、琢磨の自室のベッドの上に鎮座していた。


 ついにやってしまった。

 たくま は ふしぎなタマゴ を てにいれた。である。

 いやだから、手に入れてどうするというのだ。琢磨はベッドの前に正座し、深く項垂れた。

 きっかけは卵に起きた異変だった。異変といっても、卵自体に変化があったわけではなく、もちろん何かが生まれそうな気配があるわけでもない。


 卵の位置が変わっていたのだ。

 毎日朝夕、未練がましく空き地の横を通るたびに卵の状態をチェックしていた琢磨は、その日の朝方、昨日の夕に見た時とは卵の置いてある位置がずれていることに気付いたのである。

 卵が動いた――わけはない。琢磨と同じようにこの卵の存在に気付いた誰かが、琢磨と同じように卵を観察し、元に戻したのだ。そう思い至った琢磨の、そこから先の記憶は曖昧だった。その日の学校の授業の内容など何一つ覚えていない。級友たちと何を話したのかも覚えていない。なんの言い訳で部活をサボったのかも覚えていない。

 気づいた時には、教科書類を学校に置いてスペースを空けたスクールバッグに、卵を詰め込んでいた。


 卵の状態に変化はない。

 重くなったりも軽くなったりもしてないし、色が変わったり罅が入ったりもしていない。叩いても揺すっても反応はないし、匂いもしないし音もしない。

 なにも、出来ることはない。


 それは、ニキビを潰した感覚に似ていた。

 ある日、鏡を見た時にそれに気づく。唇の下に出来た白い粒。見つけてしまえば見なかったふりはできない。

 分かってはいるのだ。潰さないほうがいい。決して弄らず、自然に治るのを待つのがいいのだ。そう。常識だ。

 でも潰してしまう。

 潰して、膿を絞り出し、一時の満足感を得ると同時に、やってはいけないことを我慢できずにやってしまった罪悪感と嫌悪感が膿の代わりにそこに溜まる。


 なぜ持ち帰ってきてしまったのか。

 分からない。分からないが、それはきっと自分の中の何か軟弱であったり、アンモラルなものがそうしからしめたのだ。

 琢磨の中で、明確に日常から足を踏み外した高揚と、自分の行いが何か法に触れてはいないのかという危惧と、家族に見つかりやしないかという焦燥と、見つからないようにするための偽装の方策と、万が一見つかったときの釈明と、その他種々様々な思惑がいよいよ台風のような渦を巻き、張り裂けそうなほどに膨れ上がっていった。


 俺は一体これをどうするつもりなんだ?

 孵るのを待つのか?

 何かが生まれたらどうするんだ?

 何も生まれなかったらどうするんだ?

 それはいつまで待てばはっきりするんだ?

 それまでどうやってこれを隠し通すんだ?

 ?

 ??

 ???


 疑問を挙げればキリがない。

 不安を挙げればキリがない。

 元の場所に戻す? 今更?

 そして、他の誰かがこれを見つけ、同じように持ち帰り、そして、その誰かの下でこれが孵ったら?

 そんなこと、我慢できるわけがない!

 

 …………。

 さて。

 琢磨少年がついに持ち帰ったこの卵。

 正体は一体なんであろうか。

 まさか本当にダチョウの卵にペイントがされただけの面白味のないものなのであろうか。

 もしくは彼の膨らむ期待を受けて、何かしらの不思議な生物が生まれ、彼を新たな世界へ誘ってくれるのであろうか。


 そこで、ここまで長々と何のヤマもタニもないお話をお読みいただいた皆様には誠に恐縮ながら、また一つここで横道に逸れた話をさせて頂きたいのである。

 ずばり、フィクション界隈における卵から産まれる存在は、それが単体なら益となり、大量なら害となる、という私の掲げる新説である。


 まず考えてほしいのは、モスラだ。

 あれは蛾の怪獣でありながら、どの作品にも卵は一つしか登場しない。そして、そこから生まれるモスラは人類の味方である。

 翻って、ハリウッド版『GODZILLA』にはゴジラの卵が登場するが、あれは大量の卵からゴジラの幼体が生まれて暴れ回るという演出であり、当然害をなす。


『幽☆遊☆白書』では主人公・幽助に与えられた卵からは可愛い可愛いプーちゃんが生まれてくるし、富樫義弘繋がりで言うなら、『HUNTER×HUNTER』に出てくる敵役キメラアントは大量の卵から生まれてくる。

 ポケモンやデジモンにおいて一度に孵化させる卵は常に一つだし、『エイリアン』でも『クローバーフィールド』でも怪物は大量の卵を産む。


 大量に産み落とされた卵から次々と生まれるクリーチャーが主人公の味方をするような作品には、私はまだ出会ったことがない(と書いていて思い出した。『蜘蛛ですがなにか?』だ。あれは主人公の蜘蛛子が大量の卵を産んで子を私兵とする。まあ、あれは人類側からは災厄として描かれているので、むしろこの説の補強となるだろう)。


 その理屈で言うと、今回琢磨が拾った卵は一つだけ。

 つまり、なにかしら琢磨の益となる生物が生まれてきそうなものであるが、さて。

 

 では、それが場合はどうだろうか。


 琢磨は謎の卵のことを誰にも打ち明けないことに決めた。

 決めたとは言っても、その時々で気持ちが揺れることは多々あるだろうが、その度に思い直し、やはり自分の胸の内にしまっておこうと改めて決意することを何度か繰り返すだろう。

 そして、一度隠すと決めてしまえば、卵としては大きいと言っても、所詮は20cm程度の物体だ。隠す場所はどうとでもなる。


 卵はなにも言わない。

 なにも孵らない。

 たとえ押入れの奥に隠されたまま、一年が経過しても。

 当然、本物の卵なのだとしてもとっくにダメになっているだろうと思われるし、もしそうなっていたらあっさりと捨てる決意ができるだろうが、どれだけ時間が経っても、卵から異臭の類は全くしないのである。

 見つけたときと全く同じ姿を保ち、時折様子を見る琢磨に何の情報も与えない。


 次第に、卵のことを忘れている時間が多くなるだろう。

 不意に思い出しては押入れから取り出し、ひとしきり撫で摩っては苦笑をひとつ零して元に戻す。

 その回数も、徐々に減っていく。

 そしていよいよ、人に言えなくなっていく。

 そして。

 そして、どうなるだろう。


 やがて琢磨が家から出る時も来るだろう。

 進学をし、就職をし、一人暮らしをする日も来るだろうし、家庭を持つ日も来るかもしれない。

 住まいを移すたびに、彼は卵をどうするか悩むことだろう。

 伴侶など得てしまえば、相談したところで意味はない。捨てろと言われるに決まっているからだ。だからやはり、言えない。


 隠し場所を変え、最早なぜ自分がそれを抱えているのかも分からないまま、うんともすんとも言わない卵を持ち続けることだろう。

 そして、歳を重ね、子供を育て、送り出し、仕事を辞め、自分の生に限りを見出したとき、彼はようやくそれを手放すだろう。


 自分がいなくなったあとで、残されたものがこの卵を見たらどう思うだろうか。

 きっと余計な混乱を生むに違いない。

 どうでもいいことなのだ。

 持っていることだけが持っている理由で、もう何かが孵ることなど期待もしていない。自分がこの卵をどう思っているのかなど、自分でも分からなくなっているのだから。

 だから、手放す。


 場所は、どこがいいだろうか。

 元の場所に戻す?

 もうあの空き地がどこだったのかも覚えていないというのに?


 どこか、緑の多い場所がいい。

 そう簡単には人の目に触れなくて、けどなにかの偶然で見つけてしまう人が現れるような場所に、そっと置いておこう。

 かつての琢磨がそうしたように、過去、多くの卵の持ち主たちがそうしたように、卵の不思議な引力に惹かれて、それはまた誰かの手に渡ることだろう。


 卵はなにも言わない。

 それがいつから存在しているのか。

 いつか孵る日が来るのか。

 なにが生まれてくるのか。

 誰も知らない。

 誰にも分からない。

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