オダマキ
紫田 夏来
オダマキ
私を麻紀と名付けたのは、他の誰でもない、父親だそうです。母は我が父と不倫関係にあり、子供がついに生まれた頃、連絡が取れなくなったと聞きました。妻とは別れると言いつつ、最後は母を、そして私、麻紀を捨てたのです。典型的な下衆男のように思うでしょう。しかし母はなぜだか、かの下衆男を熱く愛し、よく私に父の話をしました。どこかの大学で教鞭をとる学者だとか。最晩年になってようやく話してくれた母は、やはり学識がありませんね。きっと、何一つ気付かぬまま、あの世へ向かったのでありましょう。
私は婚外子でありますから、母方の姓を名乗っております。申し遅れましたが、小田麻紀といいます。
麻紀。名の由来を知れば、彼が母を捨てるつもりであったことは想像に難くありません。母にオダマキを残し、自分は世間の明るい道を歩んでゆきました。
私にも娘がおります。
私の大切な花。華やかでありながらつつましく、一輪だけ咲いた花。
私は父を捜し求めました。文学部などありふれておりますが、数多の世界的傑作を愛人の家に残していく男ですから、きっと難しい大学の英米文学科であろうと考えました。しかし、そう上手くはいきません。
私の若き日々は、それらの本を読むことに費やされました。その頃の私は、母が愛した我が父を、心から求めていたのです。父の影を欲したのではありません。母が興味を持たぬ本がなぜそこにあるのか、飽きてしまっただけで実は面白いのではあるまいか、これらの本が存在することは母の愛を示しているのではないか、そういった疑問に解答をつけようとしたのです。母が愛する父はいったい、どんなに素晴らしい人だろうかと。そこで、私はオダマキを知りました。日常生活の影に隠れた本棚に、父の姿があったのです。
情熱はどこへやら、一瞬にして、憎しみに取って代わられました。
しかしながら、私はやはりあの女の娘でした。
産まれたばかりの我が子を抱き、この胸に巣食う想いは、我が両親ではなく腕の中の小さな命へ向けねばならない。そうした時に母は死の床につき、私は己の由来を詳細に知ることとなったのです。
私はなぜ、娘の名を一華と決めたのでしょうか。父の血を引いているからでしょうか。オダマキが産んだ花など、ろくなものにならないでしょう。しかし一華には、血筋などと下らないものは蹴散らしてしまえと言うような、強く真っ当な人間に育ってほしかったのです。
一華を強い娘にするため、私は少ない稼ぎを全て教育に充てました。無駄な行いは許しません。毎日懸命に励むこと、日々精進。しかし、あの子は年々、私に従わなくなりました。どんな言いつけにも、決して応じようとしないのです。受け継ぐ醜さをあの子から消すために、私はずっと物事の正しい姿を教えてきました。
何度も児童相談所の職員と名乗る者が我が家を訪ねました。一華に会わせろと口うるさく要求し、どうやら彼らは、躾と称して虐待していると、私を疑っている様子だった……腸が煮えくり返る思いでした。ただただ娘のためであり、あの子は必ず立派に育つ。そして一輪の華やかでつつましい花のような女性を見て、誤りに気付く日が来るに違いない。そう信じてやみませんでした。
娘は今、どこで何をしているのでしょう。十七のあの子は、どんな姿になっているのでしょう。小田麻紀の娘は、あの父母の孫は、母を捨てて逃げても尚、愚かでも不義でもなく、勝利の女神と共に微笑む女に、果たして成れるのでしょうか。それとも川に落ちて溺死するような、愚かな女に成るのでしょうか。
オダマキ 紫田 夏来 @Natsuki_Shida
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