婚約破棄を叫ぶ男に金的蹴りしたお嬢様(2)
見合いの日は晴天だった。
多忙なハベスティア子爵のカイルだが、彼が望んだからこそのこの場である。バレシアナ家のタウンハウスにやってきたカイルは商人らしく、こちらの在り方を踏まえて華美な装いを控えていた。とは言えども生地は最高級品を使っているのだろう、光沢が違う。
「この度はお会い出来る機会を頂き感謝申し上げます」
外に出る事が多いからこそ日に焼けているカイルは近くで見ると男振りが良い。話し方は耳にスルスルと入ってくる早くもなければ遅くもないテンポで、言葉選びも機転が利いている。
カイル自身が爵位を持つ当主の為、共に連れて来ていたのは彼の従兄で仕事においての補佐をしている、伯爵家のトマスという男性であった。カイルの母親が伯爵家出身で、突然の家督を引き継いだ彼の後見をトマスの家がしているとのこと。
「ボッセオ伯爵家は堅実な領地経営をしているから、安心して教えを受けられたのだろうね」
父の頭の中には伯爵家以上の家門に関しての情報が入っている。コーリン程ではないが、父も天才に足を踏み入れていた。悪魔ほどではないので人格破綻はしていない。
サラリと告げられたトマスは「我が家をご存知で?」と驚いていたようだけれど、バレシアナ家とはこういうものだ。
「アンジェリカ。ハベスティア卿に庭を案内してあげなさい」
「はい、お父様」
この場にいるのは父とアンジェリカ、カイルとトマスの四人。母と兄はこの段階では顔を見せないのが通例である。
にこやかな笑みを浮かべて手を差し出すカイルにアンジェリカもにっこりと笑って手を乗せる。
これらは全て様式美。残された二人が詳細を詰める為に追い出されたのだ。まあ、カイルは後で彼らに混じって更に条件を詰めるのだろうけれど。
「見事な庭園ですね。調和が取れていて無駄がない」
「華やかさがないでしょう?」
「バレシアナ家を表していて好ましく思います」
二人が歩く道の両脇に植えられているのは花の無い低木。遥遠く、東方の地からやって来た庭師によって作られた庭園は建国時代あたりから変わっていない。
池があり、大きな石があり、他の屋敷では見られない独特な庭園を地味だという者は多い。しかし、無駄を徹底して省き、自然の姿を見せるここをアンジェリカは好んでいた。
「こちらのガゼボで休憩をしましょう」
屋敷から離れて庭を見渡せるガゼボは池の縁にあり、一部は水の上にせり出している。親友のマリアーネは初めてここに来た時は驚いていたし怖がっていたが、慣れたら気にならなくなったと言っていた。
カイルもこのような形式は初めてなのだろう、落下防止の柵の近くに寄って興味深そうにしていた。
「幼い頃、暑くなるとお兄様が池に飛び込んで。庭師は止めたのですが、子供には無意味ですよね。お父さまが怒るのかと思いきや、お父様も同じようにして、お祖母様に呆れられたそうです。お祖母様のお兄様もしていたのできっとバレシアナの男性は抗えないのでしょう」
定期的に水を入れ替えているので飲みさえしなければ、泳ぐ程度なら問題ないそうで。
「はしたない事ですが、私も足を浸けましたの」
今も真夏の暑い日にはこっそりと靴を脱いで足先を下ろす。その為の座る場所がこのガゼボにはあるのだ。
「この庭園は独特ですから庭師は世襲で?」
「ええ。一族でずっと仕えてくれています。初代国王が建国の折、東方からやって来た庭師を友の一人とし、バレシアナ家の初代当主が庭師の造る庭園に興味を抱き我が家に来てもらったのです」
東方とは何もかもが異なる為、試行錯誤を繰り返しながら作り上げた庭園は、少しずつ変化しながらも基本は変わっていないと言う。
華やかさを苦手としていた初代当主が領地の庭園も当方風にしているが、あちらの方が更に特殊だ。
「東方の技術は面白いのです。小さな小さな石を撒き、特殊な道具を使って波線を描くのです。まるでそれは川の流れのようで。その場所は歩けません。離れたところから見るのですが、植えた木や苔などが調和して一枚の絵のようなんですよ」
「それは興味深いですね。水が無いのに川を思わせるとは、東方も面白い事をするのですね」
「ええ……ハベスティア子爵様。何故私を?こう言ってはなんですが、私の夜会での振る舞いは多くの男性から淑女らしからぬと言われています」
池に向けていた視線をカイルに向けると、カイルはその口に笑みを乗せてアンジェリカを見ていた。
赤茶の髪の毛、榛色の目、日に焼けた肌、騎士ほどとは言わないけれど体格は良く、彼ほどの人であればアンジェリカでなくても多くの令嬢が望むだろうに。
「幾つか理由はあります。まず、貴方がバレシアナ家だからですね」
「ええ。ああ、そうでした。どうぞ、普段通りの口調で。お父様の前でならいざ知らず、私は無爵の身。貴方の方が上ですから」
「そうですか?では、遠慮なく。バレシアナ侯爵家は常に公平を重んじ、必要がなければ争う事を好まず、高位貴族の間で敵を作ることは無い。バレシアナ家はこの国にとって必要不可欠の家だからな。そのバレシアナ家から嫁を貰うのはその家が決して国に害がないと言う強い証明となる」
「そうですね。ありがたいことに、そのように思われています」
国を乱す存在をバレシアナ家は許さない。バレシアナの娘が嫁ぐ先はそれだけに注視される。今回の夜会の件より前にはバレシアナの娘と言うだけでそれなりの釣書が積まれていて、それぞれの家の調査をしていた。
大半は後暗いところがあり断っていたが、夜会の一件であちらから無かった事に、とされたのはバレシアナの信用よりも恐ろしかったのだろう。金的蹴りはそれだけの威力があったらしい。
「うちは子爵家だから高位貴族と縁を結ぶのは難しい。国中に商会の手を広げたけれど、下位や平民が相手だ。一段階上を望むならバレシアナ家の名は喉から手が出る程に魅力的だ」
培ってきた時間と信頼。『均衡と調整』を疎かにしない生き方は難しい。しかし、歴代のバレシアナの人間がそれを果たして来たからこそ、途絶える事なく家が続いて来た。
「まあこれは家門のあり方についてだ」
「それ以外にありますか?」
「俺はあの日、商談の関係であの夜会にいた。そこで君の揺るぎない信念を感じた。大切な友人を守りながら、同時に国を、家を守ろうとする君の背中が美しく感じたんだ」
「……あの、ハベスティア子爵様も、その、虐げられる事を好まれる方ですか?」
「は?何て?」
「貴方様の他にも見合いの申し出をしてくださった方がいるのですが、その……」
「いやいや、俺にそんな趣味はないから」
真面目な話をしていた筈なのに、アンジェリカは確認せずには居られなかった。あの日の行動で望まれたのであれば、被虐趣味の可能性は捨てきれない。
問われたカイルは勢い良く否定した。
その全力の否定にアンジェリカは胸を撫で下ろした。
カイルはバレシアナをある程度理解した上で、アンジェリカに好意を抱いてくれたらしい。普段の彼の口調は砕けていても乱暴に感じないのは、体に染み付いたのであろう程よいテンポの語りだからか。
「あのさ、見合いしてるのって、俺だけ?」
「はい」
「正直、断られると思ってたんだよ。だって俺は所詮子爵家だろ?侯爵家のお嬢様を嫁がせるには身分的に低いし」
「ハベスティア子爵様が正直に答えて下さったので私もお話しますね。ハベスティア子爵家は国中に商会があり、下位貴族や力のある平民と繋がっていますよね。バレシアナ家は仰る通り、高位貴族の繋がりはありますが、下はありません 」
「こちらがそうであるように、バレシアナ家としても、うちの伝手は利用価値が高い、と」
「はい。それに、他国との繋がりもありますよね」
この国にはバレシアナ家のように国を平穏に保つ役割を持つ家門がある。
『法の番人のナリシュ家』、『国外折衝のマグダレナ家』など。しかしいずれもどうしたって高位貴族が主となる。
国民の大半は平民であり、下位貴族である。他国とて変わらない。情勢の変化は下の方が早く情報を得られる。特に、他国に関しては高位貴族ほど動きにくい。
「どうぞ、カイルと呼んでくれないか」
「私のことはアンジェリカとお呼び下さい」
ここまでの間は互いに探りあっていた。出しても良い情報は惜しみなく出す事で安心と信頼を得られる。
カイルが示した信頼に、アンジェリカは釣り合うように返した。
「カイル様。私は嫁いでもバレシアナであることに変わりありません」
「そうだろうな。バレシアナとはそう言う一族だ」
「そして、釣り合いを大事にします。貴方が私を信頼してくれるのであれば、私は必ずやそれに見合う結果をお渡しします」
「恐ろしいな。だが、だからこそ全てを差し出してでもバレシアナの娘を求めるのだろうな。今痛感した」
「貴方はこれから、社交界で存在感が増します。バレシアナ家が認めた男性として。そして、私と言う女を制御出来る家族以外の唯一の男性として。貴方の価値を上げましょう。貴方がこれからより商会を大きくする為に。そして領地は私が守りましょう」
風が吹く。
池の周りに植えられた木々が擦れ合い音を奏でる。
薄暗い夕暮れの中で聞くと恐ろしい音も、明るい今の時間なら心地良さとなる。
「俺は貴族だが、それよりも商人の気質の方が大きい。勘を何よりも大事にして生きてきた。これは売れる、と勘が働いた時は間違いない。そして今、俺は必ず君を手に入れろと訴えられている」
「ふふ。どうぞ宜しくお願いしますね、カイル様」
「こちらこそ、アンジェリカ嬢。さて、そろそろ戻るか」
「ええ、そうしましょう」
バレシアナ侯爵家のアンジェリカとハベスティア子爵家当主カイルとの婚約は程なくして公表された。
一時は男性を震え上がらせたアンジェリカだったが、カイルの隣でバレシアナの娘らしく控えめに、しかし公平に人とやり取りをする姿に次第と話は落ち着いて来た。
バレシアナ家が認めたカイルはアンジェリカの親友であるマリアーネの公爵家を取っ掛りに高位貴族の間でも知られるようになり、使われるようになった。
バレシアナ家の名前が信頼となり、家門の格が上がった。そんなハベスティア子爵家をアンジェリカはきちんと利用した。
二人の婚約当初は政略らしく互いを信頼していたものの甘さはなかった。しかし、カイルは元々アンジェリカの在り方を好ましく思っていたのもあり、彼からの力を入れたアプローチにアンジェリカは直ぐに陥落した。
結婚式は落ち着いたものだったが、王家や公爵家からも参加者が来る事になり、度胸のあるカイルでも落ち着かなかったらしい。
特に、祖母のユリアナと大叔母のコーリンに挨拶をした時のカイルは緊張のあまり倒れそうだった。
アンジェリカが存在を認識されるようになった夜会がきっかけで婚約の解消となったマリアーネは新たに縁があり、アンジェリカ達の結婚式の半年後に式を挙げる。
お相手はカイルの補佐をしていたトマスで、アンジェリカがカイルを紹介する際にトマスが控えていたのだが、見事な補佐能力に公爵家の跡取りであるマリアーネが目を付けたのだ。
有能な従兄であり補佐をしてくれていたトマスを取られたカイルは悔しそうだったが、トマスの方は満更でもなかったらしい。
マリアーネの元婚約者は放逐された。公爵令嬢を貶めた彼を家も社交界も許さなかった。かと言ってあの時の浮気相手と結婚した訳では無い。
お腹に子を宿した彼女――マリベルは、彼が公爵にいずれなるのだと聞かされていた。きちんと調べれば分かったことでも下位貴族の令嬢に出来る事は少ない。
未婚で妊娠したマリベルは元婚約者の男が避妊という気遣いもせず、出産の際の死亡率も考えなかった事でこれ以上関わりたくないといった。
当然彼女に良い縁談が来るわけが無いので、その彼女をアンジェリカが拾い上げた。
マリアーネは思う所もあるけれど、騙されたようなものだし、碌でもない男と縁が切れたからと浮気相手を使用人として保護しても良いと言ったが、元婚約者がどう出てくるか分からなかったので、国の至る所に拠点が点在するハベスティア家で雇う事にした。
勿論、子供が無事に生まれるように手厚くサポートをして。そしてマリベルは無事に女の子を産んだ。今はアンジェリカの乳母であるマーサから子育てを、専属侍女のナタリーからは侍女の仕事についてを無理の無い範囲で学んでいる。
アンジェリカのお腹には子供がいる。
出産は恐ろしいと思っていた。しかしマリベルのお腹が大きくなるにつれて母親としての顔を見せるようになり、産後は赤子を抱いて幸せそうにしているのを見て少しだけ勇気が出た。
事情を聞いていたカイルからは焦らなくていいと言われたけれど、アンジェリカが望んだ。好きな人との子供が欲しいと。
産まれてくる子が男であれ、女であれ、アンジェリカは大切に育てる。己が親にそうやって育てられたように。
カイルが少し膨らみ始めたお腹を恐る恐る触るのを微笑みながら見つめる。
成人していたとは言え、早くに家族を失ったカイルには兄弟もいなかったので一人になった。そんな彼に家族を増やしてあげよう。
その願いが叶ったのか、アンジェリカは五人の子供を無事に産んだ。
その内、最後に産まれた娘にアンジェリカは語って聞かせた。
「大切なものを守る為には時に行動に移す必要があるの。でも、女の子は力が弱いでしょう?だからね、脚の間を蹴るのよ?躊躇ってはだめだからね?」
母娘二人の会話を聞いていたマリベルは止めなかった。マリベルが若い頃にそれで間接的に救われたので。
そしてこの教えが後にハベスティア家の娘に代々伝わる事になるとはアンジェリカに予想出来るはずもなかった。
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