詩我賭学級
高外虎徹
詩我賭学級
火のない所に煙は立たぬ、という諺があるらしい。
怪しげな都市伝説に噂話、根拠も根も葉も無い、根掘り葉掘りしようが突き詰めようのないどうしようもない幻がある――しかし幻が存在するということは、存在するように仕向けた何者かの意図があるはずです。というように、紙鳥麻依(しとりまい)は言っていた。
僕はあのジメジメとした梅雨の夕方、彼女が何を伝えたかったのだろうと想像している、が、結局未だ解っていない。やたら記憶に風呂場のカビの如く頑固にこびり付いているのは、難しいことをカロカロと口軽やかに、かつ楽しげに捲し立ててつつ彼女が吸っている、焼肉のタレ味の詩我賭(しがと)のみである。
「――私の城へようこそ。すーっ、ふーっ」
食欲を唆る焦げ茶の煙を思い出せば、あの夕方と炭火焼肉の匂いを何よりも鮮明に蘇えらせられる。
僕が詩我賭を好きになった理由は、主に三つあった。一つは様々なフレーバーが客の好みに合わせて用意されている点で、とにかく一度嵌まれば飽きない。二つは値段が手頃な点、一本百円というのだからゲームセンター感覚で放課後買いに行ける、隙間にすっぽりフィットする柔軟さに魅力を感じる。最後に三つ目だが、言ってしまえば元も子もない呆れた事由だった。
つまりは、詩我賭を吸っている紙鳥麻依が余りにも、余りにも、余りにも琴線に響きすぎて、詩我賭よりも好きになってしまったことだ。詩我賭はハッキリ言ってしまって紙鳥麻依のオマケだった。紙鳥麻依が好きになった理由は詩我賭以外にも主に二十一個ある。全て紹介していると、時が過ぎすぎてしまう。
初めて彼女に遭ったのは、小学生も低学年、入学して初めての夏を経験するよりも前のことである。六月。梅雨全盛期で、その日も気が狂いそうな湿気が服と肌の間の空間をスチームで虐待していた。友達が少なかった僕は、授業が終わると挨拶もそこそこに下校して、家に帰ることなく自分だけの秘密基地へと向かったのだが、その時の出来事である。
是非未来には偉い学者様に、この邂逅を日本史の年表に載せてほしいと願うものだ。
■■■
町外れの林付近に佇むそのビルはあからさまな廃墟である。小さめのショッピングモール程度の広さの敷地には訳の分からない雑草がもう一つの林を形成し、それが取り囲む外壁は剥げ、雨と錆に塗れたコンクリートが三階の高さまで続いている。
僕は入口にそっと柔らかに架けられている「立入禁止」のテープを無視して跨ぎ、廃墟の中へズンズン入っていく。そうするとまず、横に長く伸びた廊下に出くわす。ここを左右どちらかに歩けばかつては何かがあった部屋がいくつか確認可能だが、とても中には探索出来るような足の踏み場は無い。
自然と進路は限られて正面を見ると、上と下に続いている金属で出来た立派な螺旋階段があって、いつも僕はここから三階に登っていた。何故かと言えば、一週間前にこの秘密基地を見つけて以来、毎日通っては三階の一室を僕好みの内装にリフォームしてきたからである。一階だと部屋の惨状に加え雑草バリアーで景観が良くない。二階の部屋は形の良い窓がない。よって、登るのは疲れるけれど、仕方なく三階を拠点に設定した――今思えば、この「思考や論理を駆使して自ら適切な判断を行った」というロジカルな気分は、僕の自己肯定感を高める一助を担っていたのだろうと思う。友達を上手く作れなかった僕は落ち込むよりも前に、たまたまこちらの方に才能が偏っていただけだと思い込み、密かに気色悪くほくそ笑むのである。
しかし、その日は前日夜に雨が降ったこともあって、僕は異様に焦っていた。拠点にしていた部屋は比較的元の状態が綺麗だったことが選定理由だったが、唯一の欠点として、天井にサッカーボール大の穴がドカンと開いていた。三階のため、その上は屋上である。要するに漏れなくの雨漏りなのだ。もはや雨漏りどころか雨モロである。梅雨の時期だからどうせ降ると思って今日塞ごうと思っていただけに、朝目覚めて、盛大な水たまりが校区内のアチラコチラに完成していたのを目撃した時の絶望を確かにあなたも想像出来るだろう。容易い筈だ。
小学生だった僕は味方がいないのも相まって、味わったその絶望は計り知れなかった……部屋にはお気に入りの漫画単行本数十冊やフルプライスのゲームソフトを多数搬入していたのである。直接穴の下に置いてはいなかったとはいえ、紙も電子機器も水には弱い。六月某日、小学生特有の爪の甘さが、運命として僕に牙を向いていた。
踏み場と支えのポール以外はない簡素で危険な螺旋階段を駆け足で登り、無駄に湧く体力を贅沢に使う。三階に着いて一息入れると、僕はおっかなびっくり、件の部屋に抜き足、差し足、向かった。実際、僕は「抜き足、差し足……抜き足、差し足」と呟いて進むのだ。口に出したときの語感がやけに当時の僕のお気に召していたらしい。さていざ目前まで来た。その部屋の入り口には、開け閉めするとジャリザャリ砂と小石の擦れた音と不愉快な振動のする木製の引き戸がついている。僕はそっと扉の窪みに真ん中の三つ指を入れ、お願い神様、と念じつつ意を決し右腕に力を込めた。
中から、ドカンと、「梅雨」がドカンと現れた。
六月の悪いところを全て凝縮したような空気が全身にぶつかってきたし、実際「梅雨梅雨梅雨ぅ。梅雨、梅雨、梅雨ぅ」というふざけた歌声が聞こえたのだから間違いない。部屋の中心に円を描いて形成された水たまりの上で、上半身が人間で、下半身が蝸牛の化け物が僕の漫画を読んでいた。梅雨唄を口遊みながら。その片手に挟んだ、何か棒状の物が出す煙を吸いながら。
「……誰」
「ああ、おかえりなさい。すーっ……ふーっ。ここは今日から、私の縄張りです。よしなに」
足のない、胴から樹木のような形に床に伸びる白っぽい色のグネグネギュモギュモした下半分。打って変わって、上半分には女子高生が着ていそうな――確か近くの高校の制服――ブレザーを着ている女の子。水に濡れたように艶めいて重そうに重力に従う黒髪は長く、ブランコよろしく仕切りに揺れていた。彼女は意思の強そうでも弱そうでもない、不思議な引力を伴った目で僕をじっっと見ている。下半身が上半身に対しアンバランスなほど大きく、よって背が僕よりもかなり高くて、170センチはあろうかと思われた――だから見つめる瞳は、上方から驟雨の如く僕に対し降り注ぐ。
「私は旅人です。それで、この地域におけるよき住まいを探していたのですよ、そしたらですね、よき住まいを見つけたのです。誰かの家かと思ったら、君のでしたか。ごめんなさいですが、君は今日からホームレスですよ」
「だ、誰か知らないけど、返してよ。その漫画」
「ああ、これ。面白かったです。既にキュウシュウしました」
「キュウシュウ?」
「九周ほど読んで、内容を、わが身に吸収、しました」
そう言うと、女の子は棒状の何かを一吸いし、僕に読んでいた漫画をえいやと投げ渡した。さっと血の気が引いてなんとかキャッチしたけれど、漫画は水に濡れるどころか折り目一つ無い綺麗なものだった。僕が数日前に持ち込んだときそのままと言える。
「あれらも、売ればお金になるかと思って移動させましたが……君のでしたか?」
女の子が首を傾けた先には僕のゲームソフトや漫画の残りが丁寧に積まれていて、ぱっと見る限りでは損害は見当たらなかった。売ろうとしていたことには若干引っかかったけれど、しかし、正体不明の、しかも秘密基地の秘密を侵害した歳上のお姉さんに言うのもどうかと迷ったが、水害の危機から宝物を守ってくれたことは事実だし、親の教育が良かったこともあって、僕はやり慣れない礼をしようと顔を上げた。
すると、そこに居たのは下半身が蝸牛だなんて馬鹿を言うなと怒られそうな、どこにでもいそうな、しかしどこを探しても見つけられなさそうな、神秘的な雰囲気を纏った一人の普通の女子高生さんだった。足は人間である。身長は縮んで160センチ程度になっていた(それでも僕より20センチは大きいことに変わりはないのだが)。
僕は見間違いのハズはない! と思ったが、頭は湿気と蒸し暑さにクラクラするばかりで喉から出るべき言葉が追い付かない。やっぱり人間の足だ。制服と、細く、だが靭やかな二足。
でも、なんだか、粘液のようなものでテラテラしている。
「蝸牛の、お姉ちゃん?」
「私の名、麻依です、麻依麻依、紙鳥麻依」
「なんで五七五?」
「麻依麻依って繰り返すと、なんだか語感が良いですから。擬音語って言うんですか、オノマトペって言うんですか、繰り返すのは好きです」
「そうしたら、五七五になったっていうこと?」
「五七五も、好きです」
「……好きなんだ」
僕はつい思ったことをそのまま言ってしまって少しだけ後悔したけれど、麻依お姉ちゃんは初めて見せた、キョトンとした顔でキャラコロした笑みをこぼした。体を大袈裟なほどにくねらせ、全身を使って我慢することなく「面白い」を表現する、足だけネバネバな、ちょっぴり、いやかなり不思議なお姉ちゃん。
だからその時、僕の幼気な少年心と年相応な知的好奇心に何らかの変化が訪れたことに間違いはないだろう。もっとこの女の子の笑顔が見たいなぁ、なんて漠然と思った。そしてその漠然とした思いは、以降まったく消えることはなかった。
僕は毒を喰らい、甘くてじとじとした呪いをかけられた。
すーっ。ふーっ。
「私の城へ、ようこそ」
「僕の秘密基地、のつもりなんだけど」
■■■
それから僕は、小学校のクラスでやたらと「廃墟に棲み着くおばけ」の噂を耳にするようになった。誰にも忘れ去られた建物で、おばけが夜な夜な踊っている。踊りを見た人はおばけに連れ去られて、二度と朝を見ることが出来ないんだって。
僕はほんの少しだけ、似ている出来事に心当たりがあったからドキドキしていたけれど、結局僕は麻依お姉ちゃんのことは秘密にすることに決めた。もともと話す相手がいなかったと言えばそれまでなのだけれど、誰にも麻依お姉ちゃんを横取りされたくなかった。その気持が強かった。
僕は毎日のように廃墟に通っては、麻依お姉ちゃんと遊んで親睦を深めていった。特に僕の興味を引いたのが詩我賭で、その吸い方、フレーバー、嗜み方のコツ、ライターのオススメ、決まるポーズなど、沢山のことを教えてもらった。
僕はネーミングが好きな男子だったから、この楽しい講座を「詩我賭学級」と名付けて、やがて代わりに「秘密基地」という名称を部屋から取り払った。その際、名前は「麻依城」にしようと提案されたが、当然それは却下した。
詩我賭や、それ以外にも面白いことを色々教えてもらう代わりに、僕は彼女に漫画やゲームを教えてあげて、その快感は好きな女性を自分色に染めあげる妙味にも似ていた。ともかく、僕は少しでも麻依お姉ちゃんの隣に立つに相応しい男になるのだと、毎日、毎週、毎月、さらには毎年と、本物の学校に行く暇を惜しんでまで、廃墟に通い詰めては麻衣お姉ちゃんと朝から晩まで戯れた。
彼女は、ときにはボロい階段の踊り場でワルツの踊り方を教えてくれたりもした。ワルツ学級。ただ、どうしてあんな急な螺旋階段に踊り場という概念があり、ワルツなんて踊れたのか、記憶にジメジメとした靄がかかって、なぜだかハッキリと思い出すことが出来ない。
■■■
初めて詩我賭を吸ったのは、僕が高校に入学した日だ。学ぶ環境は詩我賭学級で事足りると思っていた僕は、義務教育さえ終えれば適当にバイトでもしながら麻衣さんのいる廃墟に一人で引っ越すつもりだったが、彼女に説得されて渋々地元の公立を受験した。曰く「ある程度の知能と社交性を培っておいた方があとあと得」、らしい。
入学式からの帰り、小雨の降る重い空の昼時、やはり例の如く廃墟にやって来た僕を出迎えた麻衣お姉ちゃんは、初めて遭った時から一切容姿が変わっていない。
同じ顔、同じ服、同じ背丈、同じ声。
そしていつもと同じように、僕にロリポップキャンディみたいに甘い言葉をくれる。これからの高校生活に見えない希望をぼやいた僕を、変わらない引力を持った瞳で諭してくれる。背はとっくに僕が追い越してしまっていて、今は彼女が上目遣いで僕を見上げてくれる。それがまた小学生時代とは違った甘みがあり、僕は胸の奥がジュクショクする感じで麻衣さんの音を接種する。
「君は、たくさん失敗してください。そもそも君はダメダメな男なんですから、失敗することは成功することの何億倍だって簡単ですよ。だから、安心して心に闇を灯してください。私はそんな君を、絶対に見過ごしたりしません」
「……僕は、そんな積極的な奴じゃないよ。他の何もかもより、麻衣さんを優先するような最低野郎だからね」
「ふふふ、根暗でジメジメ。私好みですので、一つ助言をあげましょう。断言しますが、人は誰だって最低です。それを必死に隠して、やっと自分が認める、そして人から認められるだろう、理想の人間になるのですよ。すーっ、はーっ……だから、はい」
そう言って、麻衣さんは僕の口に、吸っていた詩我賭をくるりと裏返して優しく突っ込んだ。突然の出来事に、身体が硬直する。
「君だけが最低じゃない。君のクラスメイト、みーんな、何かしらの点で最低です。でもですね、豆粒みたいな頃から詩我賭に魅入られた君は、他のみんなの最低とは、ひと味も、ふた味も違いますよ。最高で、特別な、最低野郎めー」
入学おめでとうございます、とだけあとに素っ気なく付け加えた麻衣さんは、さっきまでそうしていたみたいに、今月出たばかりの新刊漫画を読みに窓枠の近くに置いてあるキャンピングチェアに座りに歩く。
歩くというより、スキップに近い浮かれ具合である。踊り。軽やかな、踊りだった。
僕はそれを見ながら、知識はあっても直接吸うのは彼女に禁止されていた詩我賭を、じっくりじっくり、吸い始めた。すーっと吸うと、肺に広がる麻衣さんの香り。はーっと吐くと、空気に広がる麻衣さんの香り。確か柑橘系フレーバーだった気がするが、正直間接キスの衝撃と、幸福で、複雑な感想はよく覚えていなかった。
それまで詩我賭を禁止されていた理由は「まだ一人前になっていないから」。だから、僕は詩我賭学級の免許皆伝を貰えたみたいで、その日は家に帰ってからも夜なべまでベッドの上で枕を抱きしめて、小躍りしていた。でも明日は「魅入られたのは詩我賭じゃなくて麻衣さんだ」、みたいなことを、さり気なく伝えたいな、なんてちょっとだけ思った。
でもそれは結局伝えられなかった。
■■■
初めて麻衣さんに出会ってから十五回目の梅雨を迎えた。彼女の助言に従って最高で特別な最低ライフを送った僕は、なんとか高校は滞りなく卒業することが出来たし、大学もある程度は順調だった。その間話をする仲間は一切作らなかったし、卒業出来たとは言っても、その単位のほとんどは詩我賭学級で賄った気すらしている。
僕は未だ、麻衣さんに恋をしていた。しようと思えば軽く片手で抱っこもできるし、かなり目線を下げなければ目も合わない。今後はずっと、僕は麻衣さんに目線の雨をシャワーしてあげなければならない。そんな未来に僕は心底沸き立った。心に溜まった、膿の雨が沸騰しそうなくらいには。
毎年彼女は梅雨の時期、特に六月頃に力が強まるらしく、何度か僕に本当の姿を見せてくれたりもした。あの梅雨の日の夕方見かけた、樹木のような蝸牛の下半身。そして、ストローみたいに額から飛び出た意志を持つ一対の触覚。下半身があんなのだから、上半分もモンスター然としたトラウマボディかと思ったけれど、それでも好きの気持ちを失うことはない自信があったし、嬉しいことに、変身は人型に多少可愛らしい蝸牛要素がくっつく程度に留まった。ますます好きになって、その恋心を隠すのは至難の業だった。それも、何度見透かされそうになったか分からない。
「蝸牛はみんな、踊っているんですよ」
その日は六月最終日、明日から夏が始まる時代である。詩我賭学級二時間目、「常識」の授業の途中、麻衣さんは唐突に蝸牛豆知識を口にした。豆知識と呼んで良いのか、そして彼女を蝸牛の枠に括って良いのか、本当はわからない。でも麻衣さんが言うなら、きっとそうなのだろう。
「世界が踊り場っていいますかね。人の目で見るとスピードもあんなものですけど、あれでみんな踊っているつもりです。その踊りはストリート系だったり、映え系だったり、蝸牛界で由緒正しきワルツだったりします」
「麻衣さんも、そうだったの?」
「ゆっくり、ゆっくり、私も踊っていました。そして今君も、この世界のじめじめした片隅で踊っています」
「僕が? 僕は、生まれてこのかた一度として蝸牛だったつもりはないけれど」
「朱に交われば赤くなりますよ。怪異なるモノと遊んで学べば、性質は寄るものです。男の子の好みに合わせて趣味を変える、さながら恋に恋する、うら若き可憐な乙女のように」
麻衣さんがそう言うなら、きっと僕も、いつの間にか蝸牛と呼べる存在になっていたのかもしれない。では何が、僕を蝸牛だと決定づけるのだろうか。
一つは、本人は己が採れる最高の選択をした上で、どこか他所から観察すれば微笑ましくも滑稽であること。
二つ目に、己に刻まれたらせん階段の如く渦巻く殻の模様と同じように、その生命の使い道をよく理解していないこと。
最後三つ目、他の誰も何も意に介さず、たとえ虐げられようと己の幸福のみを追求する貪欲さを抱えていること。
哲学的でよくわからないことを柄にもなく考えようとすると、こういうときいつも、すかさず麻衣さんが詩我賭を勧めてくる。毎回違う味を持ってきてくれるから、まったく飽きない。なんだか誤魔化されているような、化かされているような気持ちになるけど、たぶん大したことではない。
「君、吸いますか。今日は味噌汁味ですよ」
「あ、うん、ありがと。吸うよ。火もちょーだい」
「君は初めてあった時から、何も変わりませんね。小さくて可愛らしい男の子です」
「もう大分大きくなったよ?」
「私から見れば、大体の男の子は少年です。君もそう」
「まあ、それだけが取り柄だからね。子供心を忘れないのは、とても素敵なことだと思わない?」
「同じ迷路を、長々、延々、ぐるぐるわーわー。不変ですね。とてもいい。私好みです」
僕は投げられた味噌汁詩我賭を、慣れたもので、軽々キャッチすると、すぐに咥えて麻衣さんのところへ歩いていく。
僕が見つけて彼女に侵略されたこの部屋は、いつだって梅雨のままだ。常に湿気で満たされ、べたべたと不快な汗が全身に纏わりついて、それをお姉ちゃんに見られたかと思うと恥ずかしくて堪らない。でもそれすら、僕にとっては些事に他ならなかった。目を閉じて、彼女の口元で燃えている味噌汁詩我賭の先端へ、そっと自分の詩我賭を引っ付けて、気持ち、撫で回す。
ジッ、と、温かい味噌の香りと共に感情と火種が燃え移った。
「好きだよ、麻衣お姉ちゃん」
その瞬間、雪がやっと溶けたような冷たい雨が心から漏れ出した。その雨は麻衣お姉ちゃんを頭からずぶ濡れにさせるべきだったが、その願いは叶わなかった。
「私も好きでした。頂きますね」
がぶりんちょ、と、上と下から梅雨が降ってきて上ってきた。
そのために迷い込まされたことは、なんとなくは、いつだって察していたのだけれど、いざそのときになって失恋してみるのは、とても心痛いことだと思った。
トラウマになっちゃったな。
という感想を抱いて、ぐーすか眠ろうと思ったけど、まったく心が痛むことなんてなかった。
ああ、好きだなあ。みたいに、月並みなラストに、我ながら恐ろしいくらい震えて、ジメジメして、そして終わった。残ったのは僕が口からポロリと落っことした味噌汁の煙だけだったんだと思うけど、もうすぐ僕の意識は終わったから、もう、知らない。
しゅわしゅわ蒸発してるみたいだった。
詩我賭学級 高外虎徹 @rokumuroku
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