第4話 人間失格がバズる

【起】


 深夜二時。スマートフォンの画面が、太宰の青ざめた顔を不気味に照らし出している。

 彼のアカウント『葉ちゃん@道化師』は、今やフォロワー数二十万を超える、SNS界の「自虐の神」となっていた。

「恥の多いフォロワー稼ぎをして参りました」

 そんな書き出しで投稿される、彼の「失敗談」や「死にたいアピール」は、瞬く間に数万のリポストを稼ぎ出す。

 現代の若者にとって、太宰が晒し出す「情けなさ」は、最高のエンターテインメントであり、同時に安っぽい救済でもあった。


【承】


 職員室での太宰は、相変わらず軽薄な道化を演じている。

「先生方、見てくださいよ。昨日の自撮り、『死にたい』って書いたら過去最高のインプレッションです。みんな、僕の不幸が大好きなんですよ」

 

 芥川は、その画面を一瞥し、胃液が逆流するような不快感を覚えた。

「津島、君は自分の血をインクにして、安っぽい広告を書き殴っているだけだ。それは表現ではなく、ただの露出狂だ」

 漱石もまた、珈琲を啜りながら静かに付け加える。

「……自己を切り売りして得た称賛は、自己を磨り潰す砥石にしかならんぞ」

 だが太宰は、止まらなかった。いや、止まれなかった。二十万人の視線という「檻」の中で、彼はより過激な、より「映える」不幸を演じ続けなければ、自分が消えてしまう恐怖に駆られていた。


【転】


 ある夜、太宰は本気で絶望していた。

 虚飾の自分と、生身の自分の境界が消え、自分が何者なのか、誰に愛されたいのか、何も分からなくなった。彼は震える指で、嘘偽りない「本気の絶叫」を打ち込んだ。

『助けて。本当に、消えてしまいたい。今夜、僕は……』

 送信ボタンを押した。

 返ってきたのは、かつてないほどの爆発的な反応だった。

「キター! 葉ちゃんの神投稿w」

「今回の『死ぬ死ぬ詐欺』、リアリティあってエモい」

「ハッシュタグ#構ってちゃん、最高すぎw」

 誰一人、彼の「本気」を信じない。

 画面の向こう側にいる二十万人の亡者たちは、彼の絶叫を「エンタメ」として咀嚼し、笑いながら消費していく。

 太宰は、自らが作り上げた「道化」という怪物に、自分自身が食い殺されたことを悟った。

 彼は、最後の力を振り絞り、自身の『人間失格』を物語として書き殴った。


【作中作:人間失格2025】


 主人公は、SNSで「完璧な道化」を演じ続ける男でございます。

 彼は知っております。人々は「正しい人間」など求めていない。求めているのは、自分たちより劣り、自分たちを笑わせ、自分たちの代わりに泥を被ってくれる「美しい敗北者」だということを。

 男は、自分の恥部を、傷跡を、秘密を、次々とタイムラインに晒し出しました。いいねが増えるたび、彼は自分が「愛されている」と錯覚しました。

 しかし、ある日彼が、加工無しの「本当の顔」を投稿した時、世界は一変しました。

「不潔だ」「幻滅した」「キャラじゃない」

 人々が愛していたのは、彼ではなく、彼が演じる「不幸という名の記号」だったのです。

 男は、スマホのカメラに向かって、静かに微笑みました。

「人間、失格。……いえ、最初から人間としてカウントされていなかったのですね」

 彼は、自らの存在をデリートするように、アカウント消去ボタンを押しました。

 しかし、彼が消えた後も、ネットの海には、誰かがコピペした彼の「不幸」が、無感情に漂い続けるのでございます。


【結】


 翌朝、太宰の席は空席だった。

 アカウントは消え、彼がネット上に残した「血の跡」は、新しいバズりに上書きされて、急速に風化していく。

 芥川が校舎の屋上に上がると、そこにはフェンス越しに街を見下ろす太宰がいた。

「……死ななかったのか」

「先生、死ぬのにも、結構なコストがかかるんですよ。今の僕は、死ぬことすら『ネタ』に見えてしまう」

 太宰は、笑いながら、その瞳には溢れんばかりの涙を湛えていた。

「君は、自分を殺すことで、他者から愛されようとしている。それは、文学ではなく、自傷行為だ」

 芥川の言葉に、太宰は力なく首を振った。

「先生、自傷も文学も、同じですよ。どちらも、痛みでしか自分を確認できない人間の、哀れな儀式です。……でも先生、僕、少しだけ清々しいんです。二十万人に無視されるより、先生一人に『自傷だ』って怒られる方が、よほど人間になれた気がする」

 二人の頭上、冬の朝の冷たい太陽が、無機質に街を照らし始めた。

 太宰の指先には、スマホの光ではなく、冬の冷たい風が、確かに触れていた。


【了】

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