世界が終わる前に、一杯のコーヒーを

白岸凪

世界が終わる前に、一杯のコーヒーを

 いつも使っているカップにペーパーを入れたドリッパーをセットした。

 いつ買ったのかもはや覚えていない挽き豆(よく考えもせずに1000gのものを買ってしまったので大量に余っている)を、袋の中から適当にペーパーの中に落とす。沸かしておいた湯をコーヒー粉の端の方からくるくると注ぎ入れた。

 粉全体に湯をかけた後しばらく蒸して、それからまたお湯を入れる。今度はペーパーの上側まで注いだ。

 こんな丁寧にコーヒーを淹れるなんていつぶりだろう。

 インスタントよりもドリップの方が洒落てるんじゃないかなどと考え、デカい袋のコーヒー粉を買ったが、結局手軽さに負けてインスタントばかり飲んでいた。

 日常生活の中では、おしゃれさよりも利便性が勝るものだ。

 でも今日はドリップコーヒーを淹れる。もう日常ではないからだ。時間に追われるあわただしさももうない。最後くらいゆっくり時間をかけて丁寧な暮らしとやらに興じてみるのも悪くはない。


 コーヒーを淹れ終わった俺は、窓際のテーブルにカップを置いた。

 この部屋は地上37階だ。ただのサラリーマンの身分では分不相応な部屋だが、祖父が大金持ちだったおかげで遺産のおこぼれにあずかることができた。

 引っ越してきたころ、せっかくの景色を堪能するために窓際にテーブルを配置した。

 その景色も今では見る影もない。見えるものといえば荒く波立つ濁った水面と、窓に無数に張り付いては流れる雨粒ばかりだ。

 椅子に腰かけ、リモコンでテレビをつける。画面には真っ黒な背景と「信号がありません」という文言が表示されていた。

 俺は今押した電源ボタンをもう一度押した。画面の文字列が消える。

 とうとうテレビ放送も無くなってしまった。少し前までは「世界規模で記録的大雨」「未曾有の災害」などと延々ニュースを流していたのに、それも途絶えた。

 当たり前だろう。地上37階から見ても、見える建物といえば自分の住んでいる高層マンションと同レベルのビルだけで、あとは濁流しか見えないのだから。

 テレビをYOUTUBEに切り替えれば、まだ生き残っているユーチューバーが配信しているのを見られるかもしれないが、どうせ窓の外の景色と変わらない映像と、あとは配信者の阿鼻叫喚が流されているだけだろう。見る意味もない。


 大雨の報道を見て、下手に避難するよりも自宅にいるのがなにより安全と考え、ここにとどまった。その判断は正しかったといえる。ここよりも高い場所など限られているし、実際に俺は未だ生きている。大半の人間が死んでしまったであろう今でも。

だが、今生きていることに何の意味があるだろう。


 窓の外を見る。先ほどまで見えていたビルがもう見えなくなっていることに気づく。水位があがっているのだ。この部屋も時期のまれる。

 部屋の外に出て非常階段を上り、最上階まで避難すれば、この部屋にいるよりはいくらかは持ちこたえられるかもしれない。

 しかしそれをしたところでどうなるというのだろう。

 せいぜい息をしていられる時間が数時間伸びるだけだ。仮に生き延びられたとしても、その後生活していく方法があるはずもない。

 世界は終わったのだ。


 どうせ終わりを迎えるのなら、非常階段でびしょぬれになりながら恐怖に泣き叫んで終わるよりも、住み慣れたこの部屋で最期のひと時を過ごしたい。


 カップを両手で包む。蒸気がゆっくり鼻腔を撫で、苦みと香りが胸の奥に染み込む。

 口をつけると、温度が舌の上で跳ね、ほろ苦さが喉を落ちていく。

 部屋の外がどんなことになっていようと、この瞬間のぬくもりだけは確かだ。


 俺は最期の一杯を堪能しながら、次第にせまりくる波濤の音に耳を傾けていた。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界が終わる前に、一杯のコーヒーを 白岸凪 @__aaa___

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ