第20話時渡りの門
* * *
石造りの広間は、冷えた空気を抱え込んだまま沈黙していた。
壁に刻まれた古い紋様が、紅玉――アーカイブさん――の淡い光に照らされ、ぼんやりと浮かび上がる。
その光は、まるで心臓の鼓動のように脈打ち、広間の静けさに微かな生命感を与えていた。
俺は一歩前に出る。靴底が石床を擦る音が、やけに大きく響いた気がした。
視線の先で、紅玉の内部の光がくるりと回転する。
「思い当たる節を教えてください」
声が広間に溶け、静かな反響を残す。
アーカイブさんは、軽く笑うように光を揺らした。
「節つーか、ヒントくらいかもしんねえけどな。東との国境にあたる山脈の中の洞窟に『時渡りの門』ってのがあるらしいんだよ」
紅玉の光が、言葉に合わせて淡く瞬いた。
俺は思わず息を呑む。
「時渡り……?」
「そうそう。時間や時空を超えられる“装置”だな。王の証を探すなら、そこでタイムスリップして調べりゃいいんじゃねえか?」
萬子さんが腕を組み、ちょっと眉を上げて笑った。
「異世界転移の次はタイムスリップって……もうフルコースじゃん」
アーカイブさんは紅玉を揺らし、軽口を続ける。
「ここからは俺の想像だけどよ、時渡りの門も神が絡んでると思うぜ。俺が記録係で、あれは万が一の修正措置ってところじゃねーかな」
ケイタ――俺の口から、冗談がこぼれる。
「ゲームのセーブ&ロードじゃないか、それ」
「だろ?この世界の神は、俺らの元の世界の神とは違って、恐ろしく慎重で過保護な奴なんじゃねえかな」
紅玉の光が、深く沈むように脈打った。
アーカイブさんの声が、少し低くなる。
「異世界転移にせよ時空移動にせよ、人ができることの範疇を超えているのは間違いない。おまえらが時渡りの門を使えるかは、まさに神のみぞ知る、だな」
萬子さんが肩をすくめ、ちょっと笑って言った。
「つまり、行ってみなきゃ分からないってこと?」
「そういうこと。俺の立場から言えるのは“ヒント”までだ。あとはお前さんらの度胸と運だな」
俺は紅玉を見つめながら、胸の奥で呟いた。
(神のみぞ知る……本当に俺たち、どこまで巻き込まれるんだ)
アーカイブさんは光を揺らし、冗談めかして締める。
「じゃ、健闘を祈るぜ。俺はここでガラス玉ライフ満喫するからよ」
萬子さんが吹き出し、俺も小さく笑った。
広間の空気が、ほんの少しだけ軽くなる。
それでも、紅玉の光は深い赤を宿したまま、静かに脈打っていた。
* * *
その空気が緩んだ瞬間、萬子さんが意を決したように口を開いた。
「……ねえ、元の世界に帰れる方法って、あるのかな?」
広間の空気が、再び重くなる。
紅玉の光が一度だけ強く脈打ち、アーカイブさんはしばらく沈黙した。
やがて、軽口を装うように声を跳ねさせる。
「暇つぶしで話す内容じゃないな……ところで、『週刊バトルキング』の『オーシャンズ・クエスト』ってまだ連載しているのか?」
「してるよ、俺も読んでたよ」
俺は即答する。
「まだやってるのか!俺あれ大好きでさ、それを読めないのが唯一の心残り。ちなみにあのしゃべる鹿はどうなったんだ?」
「しゃべる鹿って……それ俺が生まれる前に発売された単行本のエピソードだよ」
紅玉がピタリと止まった。
光が一瞬、強く脈打つ。
「……マジかよ。そんなに時間経ってんのか」
萬子さんが、ちょっと困ったように笑って、でも真剣な声で割り込む。
「ねえ、はぐらかさないで教えてよ」
アーカイブさんは、少し照れたように光を揺らした。
「てなわけで、元々根無し草で元の世界でも旅をしてた俺は、週一の週刊誌が楽しみ程度で帰りたいってあんま考えたことないんだよね」
俺は視線を落とし、静かに問いかける。
「帰る方法はわからない?」
「この世界へ転移の経緯とか方法次第じゃないかな。……で、お前らどんな感じで転移されたんだ?」
萬子さんがエルネストに視線を送る。
「中央帝国の儀式で召喚されたっぽいかな」
エルネストが静かに頷く。
「間違いありません」
紅玉の光が、低く沈む。
「……えげつねぇ事をするな」
「えげつない?」
俺は思わず聞き返す。
「知らねぇところを見ると、俺が話すべき内容じゃないな。そうだよな、エルさん?」
エルネストはわずかに目を細め、静かに答える。
「今はその時ではないとだけ。しかし、あなたの想像とは違うと思いますよ」
アーカイブさんは沈黙し、光をゆっくり回転させる。
やがて、低く呟いた。
「……なるほど。お二人さんを呼んだのは皇帝の勅命か?」
「うん、たぶんそうかな。皇帝も“帰れる方法を探す”って言ってくれてたし」萬子さんが答える。
紅玉の光が、再び深く沈む。
「理屈は分かった。俺の想像通りなら、有るはずだ」
「本当!?」
萬子さんと俺の声が重なる。
「有るはずは言い過ぎかもな。条件はいくつかあると思うが、無いとは言い切れない……そんなレベルだ」
「方法って……あるの?」萬子さんが食い下がる。
「分からない。それこそ時渡りの範疇だ。そこにはきっと俺の様に術式が組み込まれた、意思疎通できる何かが有るはずだから……聞いてみなはれ」
紅玉の光が、深く沈み、広間に静けさが戻る。
俺は胸の奥で呟いた。
(帰れる可能性がある……)
萬子さんの視線が強くなる。
「……行って確かめよう。」
アーカイブさんは、軽口で締めた。
「ま、期待しすぎるとガラス玉みたいに割れるぜ?」
紅玉の光が、最後にひときわ強く脈打ち、広間を赤く染めた。
* * *
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます