学園の王子様が膝の上に乗られてしまう話

羽間慧

学園の王子様が膝の上に乗られてしまう話

 階段を上っているときでも、足を滑らせる生徒は少なくない。


 週明けの月曜日。僕が階段を上っていると、前にいた生徒が段差につまずいた。急いで駆け寄り、転けそうな体をそっと支える。


「体育祭から三日経っているが、体の疲れは取れなかったようだね。それでも遅刻することなく、学校に来てえらいよ。今日は早く帰って、ゆっくり休むといい」

「王子町くん……」


 うっとりと僕を見つめた生徒は、すぐにお礼を言った。


「感謝いたしますわ、王子町くん」


 赤くなった頬を両手で隠しながら去っていく姿は愛らしい。


 初等部のときは熱が急に出てしまったのかと思い、本気で心配したものだ。


「ごきげんよう、王子町くん。今日も朝から人助けですのね?」


 振り返ると姫川ひいなが歩いてきた。脚の肉づきからは、体育祭の競技で僕をお姫様だっこした人とは思えなかった。


「王子町くん、今日は何時まで学校にいますの?」

「体育祭の反省会が終わったら早く帰ろうと思っているんだ。五時前には学校を出るつもりだよ」

「そうなんですの……」


 さては姫川。がっかりしているね。


「自習室に行って勉強してもいいかもしれないな」

「よいと思いますわ。自習室で待っていてくださいませ。焼きたての状態ではチョコペンがうまく使えませんから、冷ます時間がいりますの」


 約束を果たさせてくださいなと、姫川は僕の手を握る。


 生徒会に差し入れすると言ってくれたエッグタルトのことか。


「あぁ。だけど、自習室は飲食厳禁だ。着いたら扉をノックしてくれ。自習室の扉にはガラスがはめてあったはずだ。姫川の顔だったら急いで出るよ」

「分かりましたわ」


 バレンタインでもないのに、お菓子をもらえるのは嬉しいな。


 調理部は三年生が姫川だけ、一年生が三人だったはず。後輩に教える姫川を想像して、くすりと笑った。



 🫖🫖🫖



 クッキー生地かパイ生地か、どちらのエッグタルトを作るつもりなのかな。甘さ控えめのものを作るのなら前者、綺麗な焼き目を入れたいのなら後者を選ぶはずだが。


 自習室で数学の問題を採点していると、急に疑問が生まれた。五時を過ぎて、糖分が足りていないのかもしれない。


 早く卵とカスタードクリームの風味を楽しみたいものだ。


 扉がノックされ、僕は顔を上げる。姫川が手を振っていた。


 片づけた荷物を鞄にしまい、廊下へ出る。


「王子町くん、お待たせいたしましたわ。中庭へ行きましょう。この時間なら暑さが和らいでいますから」

「あぁ。楽しみにしていたんだ。姫川の作ったエッグタルトを」


 中庭のベンチに二人並んで座る。


「おしぼりですわ。お使いくださいませ」


 濡らしたミニタオルを渡してくれた姫川は、コップつきの水筒を取り出した。


「せっかくお菓子を食べていただくのですから、水出し紅茶をご用意しましたの。アールグレイはお好きかしら?」

「もちろん」


 注がれたコップに口をつける。冷えた紅茶を作ってくれた気遣いがありがたい。


「こちらが王子町くんが楽しみにしていたエッグタルトですわ」


 ふたを開けたタッパーを差し出される。エッグタルトが二つ入っていた。卵とカスタードクリームを混ぜた表面に、チョコペンで描いた花が大きく咲き誇っている。


「美しい花だね。食べるのがもったいないが、いただくよ」


 パイとクリームの間には、ところどころ濃い焼き目が入っている。苦そうに見えたものの、噛んでみると黄色いクリームが顔を出した。カスタードクリームの甘みだけでなく、卵の優しい口どけも感じられる。


「美味しいよ、姫川」

「そうでしょう! そうでしょう! 何度も練習しましたもの! もう一つのエッグタルトは、違う方法で堪能してもらえませんか? 紅茶でお口直しされたら、コップをわたくしにいただきたいのです」


 姫川は立ち上がる。左手を僕の肩に置き、ゆっくりと僕の膝をまたいだ。


「姫川?」


 状況が理解できない僕に、姫川は何も言ってくれなかった。そのまま僕を椅子にする。スラックスの上から、姫川の体温が伝わってきた。


「お召し上がりくださいな」


 やや緊張した様子で、姫川はエッグタルトを僕の口に近づける。落ちてしまわないよう、慎重にかじる。同じ分量で作られているはずなのに、恐ろしく甘く感じる。


「姫川。ここまで密着しないと味わえない食べ方だったのかな?」

「誰かに食べさせられるからこそ、甘みが増すものだと聞いていますわ」


 微笑む姫川に、僕は息をついた。大きな器に入れた平常心が、とろりとこぼれてしまいかねない。衝撃を受けた卵にひびが入るのと同じだ。姫川に早く下りてもらおう。


 残ったかけらを食べ切るために、僕は姫川の手に顔を近づけた。

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学園の王子様が膝の上に乗られてしまう話 羽間慧 @hazamakei

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