エッグ・タレント ~才能を喰らう者~ 2030年、君の人生を調理する配信者

ソコニ

第1話 スクランブル・エゴ


2030年11月、東京。

街のあちこちに「エッグ・ステーション」と呼ばれる透明なカプセルが並び、通行人たちは首元のバイオチップから投影される卵のホログラムを、まるで名刺のように見せ合っていた。

「タレント・エッグ(TE)法」が施行されて3年。人々の市場価値は、首元に埋め込まれたチップから生成される「卵」に記録される。IQ、身体能力、残り寿命、社会的影響力——あらゆるデータが可視化され、卵の輝きが人生を決める。

黄金に輝く卵を持つ者は「ゴールデン」と呼ばれ、企業の重役や人気配信者として崇められる。一方、濁った卵を持つ者は「シェルレス」——殻のない、価値なき存在として、社会の底辺で生きるしかない。

九条レンの卵は、泥色だった。しかもウズラの卵ほどの大きさしかない。SNSのフォロワー数が100人を切ると、卵は縮み、やがて消える。社会的な死だ。


深夜2時。レンは6畳一間のアパートで、スマホを握りしめていた。

「……また、削除された」

配信アプリの画面には、「規約違反により削除」という無情な文字。

壁一面に投影されたコメント欄が、彼を嘲笑う。

『泥卵が喋んな』

『お前の1時間は、俺の1秒より価値ない』

『才能のゴミ捨て場w』

最後のコメントは、超人気暴露系配信者・ゼウスのものだった。登録者数1,200万人。彼の首元には、ダチョウの卵のように巨大で、太陽のように輝く黄金の卵がホログラムで浮かんでいる。

レンは、空腹に耐えながら画面を閉じた。冷蔵庫には何もない。財布には243円。卵の評価が低い者は、就職もアルバイトも断られる。

胃が痛い。いや、心が痛い。

その時、窓の外で何かが光った。


路地裏に、一人の女性が倒れていた。

人気アイドル配信者・リリィ。レンがまだ希望を持っていた頃、毎晩のように彼女の配信を見ていた。優しい声。励ましの言葉。「誰にでも才能はあるよ」と笑う彼女に、レンは何度も救われた。

その彼女が、ストーカーに刺され、血の海の中で息絶えていた。

「リリィ……さん……?」

レンは震える手で彼女に近づいた。首元のバイオチップが砕け、そこから一つの卵が転がり落ちる。

黄金色に輝く、完璧な卵だった。

「……これ」

レンの脳裏に、狂気じみた衝動が走る。

違う。これは違う。警察を呼ぶべきだ。だが——

「……ごめんなさい」

レンの手は、既に卵を掴んでいた。

「僕、もう……限界なんです」


アパートに戻ったレンは、黄金の卵を見つめた。

テーブルの上には、自分の首元から取り出した泥色の卵も置かれている。ウズラの卵ほどの惨めなサイズ。政府の規則では、チップは取り外し厳禁だが、レンのような底辺には誰も監視の目を向けない。

「……これって、ファン活動だよね」

自分に言い聞かせる。

「リリィさんと、一つになれるんだ」

レンは小型の鉄板に火をつけた。そして、躊躇なく自分の泥色の卵を割り落とす。

ジュウ、と不快な音。ドブ川のような臭いが立ち込める。中から出てきたのは、灰色に濁った粘液だった。

「……これが、俺」

次に、黄金の卵を手に取る。冷たく、そして重い。涙が頬を伝う。

「ありがとう、リリィさん。あなたの才能、無駄にしない」

パカッ。

卵が割れた瞬間、眩いばかりの光が溢れ出した。液体ではない。それは、純粋な「才能の粒子」だった。空間に浮かぶホログラムが、リリィのステータスを表示する。

[カリスマ性: SSS / 歌唱力: A+ / 残り寿命: 58年 / ファン数: 890万]

「……凄い」

レンは、泡立て器を手に取った。

そして、二つの卵を混ぜ始めた。

泥と黄金が激しくかき混ぜられ、次第に禍々しい琥珀色へと変化していく。鉄板の上で、才能が「調理」されていく。

その瞬間、レンの脳内に膨大な情報が流れ込んできた。

歌い方。話し方。カメラの角度。人を惹きつける声のトーン——リリィが10年かけて磨いた全てが、レンの中に定着していく。

「ああ……リリィさん……これが、あなた……」

レンは完成した琥珀色のオムレツを、素手で掴んだ。

熱い。だが、手を離せない。

口に押し込む。

喉を通る瞬間——

リリィの声が、レンの喉の奥で反響した。

『頑張って』

『諦めないで』

『あなたにも、才能はある』

——違う。もう、あなたの才能は、僕のものだ。

胃の中で、黄金が溶けていく。征服感に近い、生理的な快楽がレンの全身を駆け巡る。

世界が、変わった。


翌日。レンは配信を再開した。

「みんな、久しぶり。九条レンだよ」

その声は、もう卑屈ではなかった。磁石のようなカリスマ性が、画面から溢れ出す。

視聴者数が、100人から1,000人、10,000人と跳ね上がっていく。首元の卵のホログラムが、ウズラからニワトリほどの大きさに膨れ上がる。

『なにこれ』

『声変わった?』

『めっちゃ引き込まれる』

レンは微笑んだ。リリィの笑顔で。

「今日はね、特別なゲストを呼んだんだ。そして……特別なプラグインも起動する」

画面に表示される。

[味覚共有プラグイン:ON]

コメント欄がざわつく。

『味覚共有って、あの違法ツール?』

『マジで?』

『通報した方がいい』

「大丈夫。今日食べるのは、みんなが大好きな『正義の味』だから」

画面が切り替わる。

そこには、椅子に縛り付けられたゼウスがいた。

「え……?」

コメント欄が凍りつく。

ゼウスは、かつてレンを「才能のゴミ捨て場」と罵り、彼のアカウントを炎上させた張本人だった。ダチョウの卵ほどの巨大な黄金の卵が、彼の首元で威圧的に輝いている。

「ゼウス、君は言ったよね。『才能のない奴の1分は、天才の1秒の価値もない』って」

レンは、超音波振動ナイフを取り出した。

「だから、君のその黄金の1秒を、僕の泥の1分に混ぜ合わせてあげる」

「やめろ……! その卵を割れば、俺の社会的権利は全部消える! 殺人より重罪だぞ!」

「殺人? 違うよ」

レンの目が、狂気を帯びて輝く。

「これは……**再利用(リサイクル)**だ」

ナイフがゼウスの首元のバイオチップに触れる。黄金色のホログラムが空間に溢れ出し、ステータスが表示される。

[IQ: 145 / 扇動力: S / 残り寿命: 42年 / 秘匿権限: 警視庁内部データ]

「最高だ……この扇動力があれば、僕の言葉は聖書になる」

レンは、自分の首元から新たに生成された卵を鉄板に割り落とす。まだ泥色だが、先ほどよりは少し輝きを帯びている。そして、ゼウスから奪った黄金の卵を、その上に叩きつけた。

「さあ、スクランブルの時間だ」

泡立て器が二つの才能を混ぜ合わせる。黄金と泥が、琥珀色に変わっていく。

ジュウジュウと音を立て、甘い香りが立ち込める。

「あああ……俺の……言葉が……記憶が……!」

ゼウスの瞳から光が消える。彼の「才能」が、鉄板の上で調理されていく。

レンは完成したオムレツを口にした。

咀嚼する。ゼウスの絶叫が、喉の奥で反響する。

「ああ……美味い……」

脳内に、新たな力が流れ込む。大衆を操るロジック。嘘を真実に見せる話術。権力へのアクセス——。

そして、レンが飲み込んだ瞬間——

画面の向こうで、味覚共有プラグインを起動していた視聴者たちが、一斉に声を上げた。

『何これ……甘い……?』

『舌がビリビリする』

『もう一回食べて』

『中毒になる』

レンは満足げに微笑む。

「ゼウス、君の人生、意外と薄味だったね。僕の絶望という出汁と混ざって、ようやく深みが出たよ」

足元で、ゼウスが肉塊のように崩れ落ちる。才能を奪われた人間は、ただの抜け殻だ。

配信の同時接続者数が、100万人を突破した。レンの首元の卵が、さらに大きく輝き始める。

コメント欄が爆発する。

『神回』

『次、あの政治家やって』

『これ、本物……?』

『美味しそう』

『もっと食べて』

レンは、カメラに向かって微笑んだ。

「視聴者の皆さん、次に『食べられたい』のは誰? リクエスト、待ってるよ」


その夜、政府の「TE法監視局」に緊急通報が入った。

「未承認の卵の移植……いや、これは……『合成』?」

モニターには、レンの配信が映し出されていた。

局長は、震える手で電話を取る。

「……彼を確保しろ。いや、待て……これは、予定通りだ」

「予定通り……とは?」

局長は、窓の外の夜空を見上げた。

そこには、巨大な宇宙船が、静かに浮かんでいた。

「TE法は、人間を美味しくするための『熟成期間』だったんだ。卵が輝くほど、彼らにとっては上質な食材になる」

「まさか……」

「ああ。収穫の時期が、来たんだよ」

局長は、自分の首元の卵を見た。

それは、誰よりも巨大で、誰よりも黄金に輝いていた。


【完】

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