どこにでもいるOLの話。
夏目 六花
ごく普通の、一人の女性の日常。
「ただいま〜」
真っ暗な部屋にそう呼びかけても、当然返事は返ってこない。適当にパンプスを脱いで部屋のスイッチを探す。あ、あった。
あたしがごく普通のOLになってから数年経った。
このマンションで、大学時代からずっと一人暮らしをしている。誰もいないのは分かりきっているけれど、「ただいま」と言ってしまうのはただの癖だ。
それこそこの部屋から誰ともわからない声で「おかえり」だなんて返ってきても困るし。
「ただいま」っていう言葉は、「おかえり」が無いとこんなに虚しく響くんだな。
バッグと、帰り道に寄ったコンビニで買った袋をテーブルに置く。
よれよれになってきたパンツスーツを脱いで部屋着に着替える。
ああ、今日も疲れた。
大学を出て、新卒で一般企業の事務職に就いた。特別やりたいことがあったわけではないし、就職浪人も嫌だったから、いくつか内定をもらった企業の中で選んだのが今の会社だ。
淡々と仕事をこなすだけの事務職は自分に向いていると思う。だけど別に楽しくはない。
完全に誤算だったのは残業が思いのほか多かったことだ。
帰ってきてから自炊をする気力もないので、夕食はいつもコンビニで適当に選んで買ったサンドイッチを食べている。あとビール。
そうしてあたしの1日は“何となく”終わっていく。
換気扇の下で煙草を吸いながら、あたしはぼんやりと昔のことを思い出していた。
制服を着た頃のあたし。
あの頃は何でも出来る気がしていた。怖い物なんて何も無かった。
成績も優秀だったし友人も多かった。
「木村なら大丈夫だろう」そう先生から言われて、難関と言われている第一志望の大学に現役合格もした。
あの頃のあたしは根拠の無い自信に満ち溢れていた。大学を卒業したら手に職をつけてやりがいのある環境でバリバリ仕事をして、充実した毎日を送るんだと信じて疑わなかった。
だけど現実はそう上手くいくことはなかった。
難関大学に合格したのだから、当然周りも“出来る子”だ。その中であたしはどんどん埋もれていった。
自分の中にあった自信が砕けるまで、そう長くはかからなかった。
今の自分のことを改めて考えてみる。
制服を着たあたしが思い描いていた大人はこんなものだったかな。
いや、違う。なんか、なんか違う。
やりがいも夢も無い日常なんて、あの頃のあたしが思っていた姿と全然違う。
あたしが固執しているのは“過去の栄光”だ。
あの頃のあたしが選んだ未来なんだから、当然明るく開けたものであるに違いない。
そう思っていた。思いたかった。
だけど現実はどうよ?
缶ビールを飲み干すと、なんだかいつもより苦い気がした。
ここまで考えて、今日はあまり良くない夜だと実感する。過去のことを思い出す日に良い日はない。
「こんなはずじゃなかった」と、最後の抵抗のような言葉が浮かぶ。
だけどあたしは何も行動できない。それは、変化が怖いからだ。
ずっとこのぬるま湯に浸かっていたい。
わざわざ動いて失敗するくらいだったら、このままの方が良い。
いつからあたしはこんなに臆病になったのだろう。自信に満ち溢れていたあの頃のあたしはどこに行ったのだろう。
大人って、大変なんだな。
特別大事でもないのに失っちゃいけないものがたくさんあるんだ。
…そうか。大人になるって多分こういう事だ。
自由は得られるけれどのしかかる責任は重くなる。
全てが自分の手に委ねられる。
もっと楽に生きられたらいいのになーと大きなあくびをしたとき、ハンガーに掛けられたパンツスーツが目に入った。完全にくたびれている。
「仕方ない、武装するか」そう小声で呟いて、明日は新しいスーツを買いにいくことに決めた。
それにせっかく外出するんだったら、美味しいランチでも食べよう。
そんなことを考えながら、あたしは3本目の煙草の火を消した。
どこにでもいるOLの話。 夏目 六花 @_ricca_natsume_
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