7.「男が女を守り、女も男を守る」
就寝時間。外からはホーホーと梟の鳴く声が聞こえ、部屋の静けさが一層引き立つ。
今宵は雲も少なく、星空がいつになくくっきりと浮かんでいた。
部屋の窓からその星空を眺めながら、ベッドの上で横になっている。だが、頭の中ではまったく別のことを考えていた。
俺――アレクシ・ルフェーヴルは、今日起きた出来事を何度も思い返していた。
いや、出来事……というよりも。
今の俺の思考の大部分を占めているのは――
「セレスティン……オート……」
その名前だった。
「まったく……凄い人だ……」
ため息と一緒に、思わず言葉が漏れる。
木材が落ちてきたあの瞬間のことを、俺は何度も思い出してしまう。
少女たちの上へ迫る巨大な木材。
危ないと思い助けに行こうとしたら、黒髪の少女は金髪の少女の腕を掴み、すっとその場から離れていった。
――俺の助けなんて、最初から必要なかったのだ。
その動きは想定外だったが、まだ木材が落ちてくるまでに多少の余裕はあった。
反射神経には自信がある。普段の俺なら間違いなく躱せていたはずだ。
――なのに。
あの時、黒髪の少女――セレスティンの表情が、視界から離れなかった。
俺の顔を見た途端、なりふり構わずこちらに向かって来るあの表情。
彼女のその表情、その瞳、その動きに、全身が釘付けになった。躱すはずの足が、自然と止まってしまった。
そして――気がつけば、逆に俺がセレスティンに助けられていた。
「……本当に、どうかしているな、俺って奴は」
自分でも呆れる。
本来なら自分の命を顧みず、誰かを守る立場にあるはずの俺が、逆に誰かを危険にさらし、守られてしまうなんて。
騎士を志す者としては完全に失格だろう。
父に知られたら、拳骨と説教とハードなトレーニングのフルコースを味わうことになるだろう。
もしかしたら母が止めに入り、父の怒りをある程度中和してくれるかもしれないが。
だが、俺がそれ以上に呆れてしまうのは、今回の己の失態よりも、助けに来てくれたセレスティンのことばかり考えてしまう自分の心だ。
(……この気持ちは……何だ?)
彼女のことを考えると、胸に
それだけじゃない。
彼女の、あの黒曜石のような力強さを感じさせる瞳や表情には、どこか見覚えがあった。
あの表情、どこで見たのだろうか……?
そんなことを考えているうちに、徐々に俺の思考は薄れていった――
***
「アレク……アレク! そろそろ起きなさい! もう朝練の時間よ!!」
「……う、うん? ね、眠い……母さんおはよう」
母さんに起こされた俺は、まだ寝ぼけている。
何か夢を見ていたような気がするが、思い出せない。どんな夢だったのだろうか。
だが、そんなことを深く考える暇もなく、今日も俺は父が待つ訓練場へ急いで向かう。
「……アレクシ……お前も、もう十四歳になった頃か……」
父は木製の剣を手に持ちながら、訓練場で待っていた。
この日から、俺は本格的に剣術を学ぶことになった。
一般的には、騎士を目指す者は親元を離れ、専用の施設で英才教育を受けるものだ。
しかし我が家は由緒ある騎士団の家系であるため、特別に親元を離れず、家で騎士になる教育を受けることになっていた。
「甘い! アレクシ! その程度か!? もっと腰に力を入れろ!!」
「はい! 父さん!」
――カンカンカンカン!!
互いの木製の剣がぶつかり、訓練場に激しい音が鳴り響く。
父は現役の騎士として活躍しており、休日も俺の教育に全力を注いでいる。
過去には、騎士道を学ぶために何人かの子供が父のもとを訪れたこともあった。しかし、父の訓練は専用施設の教育よりも厳しく、耐えられる者はおらず、結局どの子も別の施設で騎士教育を受けることになった。
俺は他の施設なんて知らない。
だから父の厳しい教育が、騎士になるための“当たり前の教育”だと思っていた。
ただ、友達になれそうだと思った子が、ある日突然去っていくのは、やはり心に来るものがあった。
確かに父の訓練は辛く、逃げ出したいと思うこともある。
だが、結局俺はいまだに父の訓練を受けている。
それは父への恐怖のせいなのか、惰性なのか、あるいは俺自身が騎士になりたいという気持ちからなのか――正直、自分でもよくわからない。
それでも今日も、俺は剣を握り、父のもとで訓練を続けている。
「この辺でいいだろう‥…朝食も出来ている頃だろうしな」
父の言葉で朝練も終え、ようやく家族で朝食を囲む時間になった。
朝練を終えたあとに食べる母の作った朝食は、格別に美味しく感じる。
特に母の目玉焼きは俺の大好物で、白身は柔らかいながらも、噛むとカリっとする焼き加減で、黄身は半熟で、食パンに乗せてもよし、そのまま食べてもよしで本当に美味しい。
「来年よね……アレクの入学は……」
母がボソリと呟く。
「母さん……」
「私……あなたのことが心配だわ。家で訓練ばかりしてきたから、学園生活に馴染めるかどうか……それに、悪い女に引っかからないかも心配で……あなた、真面目だから」
母は心配そうに黒い瞳で俺を見つめた。
「俺としては、入学してから学園生活に現を抜かして修行を怠る方が心配だけど――」
「あなた!」
冗談めかした父の言葉に、母は叱るように言った。
大事な一人っ子が家元から離れて生活するのだ。母としては心配になるのも無理はない。
俺の赤髪赤眼は、母と父それぞれから受け継いだものだ。赤髪は母の髪色、赤眼は父の瞳の色から。
「たしか……父さんと母さんは、学園生活で出会ったんだよね?」
俺は二人に尋ねた。
「ええ……懐かしいわ、あの頃が……」
母は思い出に浸るように、顎を両手に乗せて上を向いた。
母は元々、名門貴族の出身だった。
しかし学園生活で父と出会い恋をしていくうちに、最終的に爵位も立場も捨て、“ただの騎士の妻”になることを選んだ。
だが、母は身分を捨てたことを決して後悔しているようには見えなかった。
そんな母は、よく俺に口癖のように言っていた言葉がある。
――アレク、いい? 将来結婚するなら、私のように、夫を守ろうとする人を選びなさい。
守られるだけを待っている女なんて、これからの時代には向かないし、何より、男が守っているだけの関係は最終的に“男女共に弱くなっていく”。
男が女を守り、女も男を守る――この関係が最終的に、生まれてくるその子を守るために、共に強くなっていくのよ。
自身満々に語る母に、俺の返事は――
「うん……よくわからないけど、わかったよ母さん」
正直にそう言うと、母は苦笑を浮かべた。
昔から訓練漬けで、恋愛なんて経験のない俺には、結婚はもっと遠い存在だった。
だが、その母の言葉が、ちょっぴりとわかる日が来た。
それは、訓練の一環としての馬術の訓練中――
暴れん坊な馬を手懐けるのに苦戦していたとき、馬が大きく飛び跳ね、俺は手綱を放してしまった。
空中に一回転する俺。
そこで見た景色は――
母がなりふり構わずこちらに向かって来る表情だった。
ほんの一瞬の光景だったのに、その表情、その瞳、その動きに、時間が遅く流れたように印象的だった。そして地面へ落下していくはずなのに、恐怖は微塵もなかった。
母の黒曜石のように力強い瞳が、俺の恐怖を守ってくれるような気がしたのだ。
そして――
母が下敷きになるように飛び込み、それがクッションとなり、俺は大した怪我をせずに済んだ。
あの瞳を信じた通り、母は俺を守ってくれたのだ。
「アレク……よかった……本当によかった」
母は俺を抱きしめ、泣いた。その光景は忘れられない。
(結婚するなら……母のような人か)
抱きしめられながら、俺は母の口癖の言葉の意味を、ちょっぴりだけわかった気がしたんだ。
***
「……う、うん?」
瞼に眩しい光が射しこむ。外からはチュンチュンと雀の鳴く声が聞こえた。
「ここは……?」
見慣れた部屋の光景――ここは俺の部屋のはずなのに、どこか他人の部屋のようなよそよそしさを感じた。
そしてようやく理解した。
「そうか……先ほど見ていた光景こそ夢だったんだな……」
母に起こされたあの夢――奇妙だったが、紛れもなく過去の現実の出来事だった。
夢の中で過去を振り返ったことで、俺は気づく。
「思い出した……助けに来てくれたセレスティンのあの表情、あの黒い瞳――母とまったく同じだったんだ」
だから、あの時、俺の足は動かなかったのかもしれない。
――アレク、いい? 将来結婚するなら、私のように、夫を守ろうとする人を選びなさい。
守られるだけを待っている女なんて、これからの時代には向かないし、何より、男が守っているだけの関係は最終的に“男女共に弱くなっていく”。
男が女を守り、女も男を守る――この関係が最終的に、生まれてくるその子を守るために、共に強くなっていくのよ。
思い出す母のあの言葉。
今なら少し、母の言っていたことがわかる気がする――男が女を守り、女も男を守る、そういうことか……
そして、胸のざわつきに気づく。
「セレスティンを思うと……ざわざわと胸に来る、この感覚――これが“恋”ってやつなのか?」
たった一人の部屋で、俺はそう呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます