5.「うるせぇんだよ」

「待って私のプランBが……フェラン待って!」


 義姉ねぇさんが、ポルナレフ先公にずるずると引きずられていった。

 俺――フェラン・クレルモンは、しばらくその場に立ち尽くしたまま、動けなかった。

 頭の中で繰り返されるのは、ついさっき義姉ねぇさんが俺にぶつけてきた、あの言葉ばかりだ。


 ――どうしたのじゃないわよ! 先ほどの魔法は何? あなたの実力はあんなもんじゃないでしょう! 

 どうしてもっと本気出さないのよ!!

 ――そうやって……本気を出さずに何でも器用にこなす俺、カッケーって思っているんでしょうけど……

 ――たとえ不器用でも、どんなことにもひたむきに頑張る人の方が、ずっとかっこいいわよ!


「……うるせぇんだよ……容量悪い女のくせに……」


 誰もいなくなった廊下で、俺は小さく毒づいた。

 散々説教じみたことを言っておきながら、当の本人は合格ラインに届かず補習送り。

 言っていることと結果が噛み合わねぇにもほどがある。

 本来なら「俺へのひがみかよ」って笑って流して終わり。それでよかったはずだ。


 けどよ――


(なんでだよ……なんで義姉ねぇさんの言葉が、抜けねぇ薔薇の棘みてぇに心に刺さりっぱなしなんだ……)

(不器用でも、ひたむきに頑張る人……まさしく兄さんのことじゃねぇかよ)


 この時の俺は、幼少の頃の兄さんとの日々を思い出していた。

 俺の兄――レオナール・ド・クレルモン第二王子。

 魔法も勉学も運動もそつなくこなし、クレルモン家の名に恥じない優秀さ。

 何より、あの真面目な性格がそのまま努力の量に直結している、まさに“どんなことにもひたむきに頑張る人”だ。

 その姿勢ゆえ、次期国王の筆頭候補とまで言われている。


 けどよ――昔は違ったんだ。


 幼い頃は、魔法も勉強も運動も、貴族の作法だって、全部俺のほうが上だった。

 兄さんは、義姉ねぇさんみたいに容量が悪く、何をやってもうまくいかねぇ子供だった。

 兄さんが怒られ、弟の俺が褒められる。

 そんな日々が当たり前のように続き、後で聞いた話じゃ、次期国王の候補に“兄さんじゃなくて俺を”って声まであったらしい。

 そりゃ弟の俺から見れば、“弟よりできない兄”、“期待されていない子”。正直、哀れにすら思っていた。


 ……だけど。

 兄さんはそこで腐るような男じゃなかった。

 兄さんは俺の想像以上に、強い男だったんだ。

 自分の才が劣るなら、それを努力で埋める。

 本当に、クソがつくほど真面目で、しつこいくらいに一歩ずつ積み上げていった。

 周りから馬鹿にされても、お前じゃ無理だと言われても、積み上げを止めなかった。

 もしかしたら当時は、俺へのコンプレックスもあったのかもしれない。

 だが、兄さんはきっとそのコンプレックスの感情すらも、己を高めるために使っていたんだと思う。


 そして――ちょっとずつ、ちょっとずつ。

 魔法も、勉強も、運動も、作法も……全部で俺を追い越していった。

 もちろん、当時の俺は遊んでいたわけじゃねぇ。

 心の中で下だと見下していた兄さんが、俺を越えようとする姿を見て、俺も焦っていた。

 俺だって、俺なりに努力はしていたんだ。

 だが、気づけば……俺はいつの間にか、兄さんに勝てなくなっていた。

 両親の叱咤も、いつの間にか兄さんではなく、俺に向けられるようになっていたが、それもいつの日かパタリと止まった。“期待の子”が、俺から兄さんへと移っていったんだ。


(いつからだろうか……俺は弟だから、責任ある立場なんて怠いって、そんな言い訳ばかりするようになったのは)

(いつからだろうか……真正面から挑まず、初めから効率的な方法や安易な道ばかり選ぶようになったのは)


 腐っていったのは俺の方だった。

 ……くそ。

 なんでだよ。

 名ばかりの婚約者で、俺はもとより兄さんとも全然関わろうとしなかった義姉ねぇさんが、俺の心をえぐるようなストレートな言葉を吐けるんだよ……。


 ――たとえ不器用でも、どんなことにもひたむきに頑張る人の方が、ずっとかっこいいわよ!


 そんなことは俺だってわかっているよ。

 ……そうだよな。

 兄さんに勝てるから頑張る、勝てないから頑張らない。そんなことはどうだっていい。

 俺は兄さんに勝てないかもしれねぇ……それでも、俺が頑張らない理由にはならねぇよな?


「……よし! いっちょ久しぶりに本気出すか!」


 誰もいなくなった廊下で、俺は自分を奮い立たせるように大声を出した。

 次の授業は――剣術だ。

 剣術。その言葉に、昔の俺と兄さんの姿が脳裏をよぎる。

 そういえば、最初に俺が兄さんに勝ち、そして最初に兄さんから敗北を味わったのも剣術だったな。


「たしか……兄さんも次の授業、一緒だったはずだ。よし、久しぶりに勝負、挑んでみるか」


 普段は授業なんて怠くて、足取りがいつも遅かった俺だが、なぜだか今は、自然と足が速くなっていた。


(まぁ……なんだ……サンキュー、義姉ねぇさん)


 何かが吹っ切れたような気分で、補習送りになった義姉ねぇさんへ、俺は心の中でそっと感謝を送った。

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