私は私を手放した

西しまこ

永遠なる

 泥濘の中で私は待っていた。


 ぬるい柔らかいものが私に纏わりつく。

 ねえ。

 ねえ。ねえ。

 伸びをしようとする。

 だけど、私は足を抱えて目を閉じることしか出来ない。

 薄い膜が、私と外界とを遮断する。


 時折。

 光が。

 何か明るいものが私の目蓋を刺激する。

 目を開けてもいいのだろうか。

 分からない。


 自由と引き換えに安寧を得たのだ。

 永久の牢獄のような。


 その柔らかく幸福な泥濘の中で私は膝を抱える。


 穴という穴にぬるいどろりとしたものが入り込む。

 ああ。

 ああ。ああ。

 私はそれに身を任せる。

 いいのだ、私には目も耳も鼻も要らない。

 薄い膜を包み込む固い殻の中にいるのだから。


 時折。

 声がする。

 私の耳に何かが届く。

 耳を傾けそうになる。

 傾けなくてもいい。


 耳を失うことで安らぎを得たのだ。

 永遠の静かなる音失。


 そのどろどろに溶かされた泥濘の中で私は私以外を遮断する。


 何もかもが塞がれてしまっている。

 もう。

 もう。もう。

 滲んだ涙さえも泥濘と一つになる。

 そして、私は私の輪郭を失っていく。

 ぬるく柔らかな暗いところで、私は私を棄てよう。


 光も。

 音も。

 感覚も。

 息遣いも。

 私だという感覚も。


 堅牢な牢獄の中で私は私を放擲した。



 

 永遠なる。

 暗闇。

 無音。

 無慈悲な。

 無差別な。

 無機質な。

 


 私は私は私は。






 私なんて、存在しない。

 

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私は私を手放した 西しまこ @nishi-shima

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