AIの発展により、短歌のコンテストが中止に追い込まれるなど、
数年前ならSFの笑い話で済んでいた話が現実になりつつある昨今。
575の17字で表現する、俳句は、さるがシェークスピアをタイプするがごとく、
総当たり的な力業で、簡単にAIによって滅ぼされてしまうのではないか。
――いやいや。思ったよりも俳句は奥深いぞ。
そもそもいい俳句ってなんだ?
そんな話を実際の俳句をもとにAIと辿っていきます。
短いがゆえに、解釈の奥行ができて面白いのかもしれませんね。
果たして、俳句はAIに滅ぼされてしまうのか――?
AIに 負けるな守護神 柿食う人
お粗末様です!
定型パターンを模倣し量のアウトプットをしていくこと。それが現在AIの得意とする領域ではある。模倣と拡散、あるいはパターンの抽出とアレンジ。
人は意図的にそれを逸脱することができる反面、それが必ずしも句として素晴らしいものになるとは限らない。そして句の評価とは、一見突飛な句が高く評価されたり、改めて詠むと取り立てて良いと思えない句が様々な理由により高く評価されたるする、なかなかに人の営為に左右されるところでもある。本作が示唆する採点評価の難しさはそこにある。
さて、デジタル技術黎明期に絵画方面でまっさきに「先鋭的」として取り入れられたのは点描法におけるランダムドットパターン。模倣というよりはむしろ意識の一切を排除したところで生じる予測不可能性への評価であったことは踏まえておくべきだろうか。
とはいえ、ある程度の様式美(語句の字数等)に過大な評価を与え続けていくとどうなるかは、昨今俳句の賞が「AI生成結果と区別がつかない」という理由で廃止になったりする結果を生んでもいる(あれはどちらかといえばリスク判断かそうでなければ投稿量が多くなりすぎるので捌ききれないという点ではあったろうし、直近のカクヨムAI小説を巡るそれを感じさせる出来事でもある)。
それが俳壇の問題なのか、あるいはそうでないのか。なかなか難しい問題を突き付けている本作ではあるが、それも筆者が一定以上の古典から現代までの俳句の知見を備えているが故の問題提起である。
字数に対して語るべきことの多さ、それを端的に折りたたんでいくそれは、俳句を題材にしたSFの一つの臨界点。
なおタイトルの句は俳句採点AIによると72点。これを良いと見るか悪いと見るか。採点パターンが決まってしまえば、それに合わせて自ずと採点のために逸脱箇所を減らしていくという、本末転倒な作句の転回である(字余り減点対策等)。これもまた俳句や短歌の採点を機械的に行うことのナンセンスさの表れではあろう。まさに本作が描写した内容そのものである。
そういったことも考えながら読むと面白い。
ぜひ皆さんも俳句を詠み、AIに採点させながら読んで頂きたい。
作中で試みられている評価を巡る設計の壁を、自ずと体験できることだろう。