分からなかった「鋳物」と「鍛冶屋」

なかむら恵美

第1話


今の子供。

小・中学生が「切符の買い方が分からない」だの、「公衆電話の掛け方が分からない」だの。「黒電話を知らない」だの。

時々(?)ネット記事に出てたりするけど、当然だ。

育つ過程で「敗退」。廃れていってしまっている。丁度、フォークソングの「戦争を知らない子供たち」みたいに。(一寸、違うか)


「鍛冶屋」と「鋳物」が、長い間、わたしのそれであった。

小学生の低学年の時。

音楽の教科書に「村のかじや」が掲載いたが、<かじや>自体が分からない。

当時、週刊新潮TVCMにも採用。

合唱団が歌うBGMでもあったが、(ナレーションは、子供の声で一言「週刊新潮は、何とか発売です」のみ。故・谷内六郎氏が担当の表紙絵が画面に映った)イメージ出来ない。絵として頭の中に浮かばないのだ。

早速、母に問う。

「<かじや>って何?」

教えくれたが、それでも把握できない子だった。

(ああ)

具体的に分かったのが、10年後ぐらい。アニメ「おんぶおばけ」が地元テレビで再放送。おんぶの親代わり、オジーの仕事が「かじや」なのだ。

「鋳物」も、イマイチであった。

「鉄以上の鉄」と、思うのであるけど、如何かな?


自分が生まれ、育つ過程で誕生するものもあれば、廃れるものもあるって事です。

どんなに新しくても、いつか古くなる。

「生あるものはいつか死に、形あるものは壊れ、新しいものは、古くなる」

順繰りなのね。


                                <了>

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分からなかった「鋳物」と「鍛冶屋」 なかむら恵美 @003025

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