第10話(最終話): ダンジョン令嬢は、今日もうはうはです♡

第10話(最終話):

ダンジョン令嬢は、今日もうはうはです♡



エルグレン領の朝は、かつての暗鬱とした静寂が嘘のように、活気に満ちた「音」で始まる。


遠くで鳴り響くのは、ダンジョンに向かう冒険者たちの快活な笑い声。そして、王都と領地を直結する魔導列車の汽笛だ。リリア・フォン・エルグレンは、新設された領主館のバルコニーから、その光景を眩しそうに眺めていた。


「……リリア、また数字を見て笑っているわね。貴女、本当に飽きないわね」


脳内に響くコアさんの声も、どこか誇らしげだ。リリアの手元にある水晶体には、分刻みで更新される驚異的な収支報告が浮かび上がっている。


「当然です、コアさん。うはうは(・・・・)が止まらないのは、それだけ多くの命が循環し、豊かになっている証拠ですから」


リリアは、かつての「男爵令嬢」という窮屈な殻を脱ぎ捨て、今は「ダンジョン領主」として、王国の経済を根底から支える『準伯爵』の位を授かっている。実家のエルグレン家も、娘の功績により一気に王国の重鎮へと返り咲いた。


1. 魔法の「再定義」

かつて「無能」と蔑まれたリリアの魔法は、今や王国の三本柱――経済、医療、教育の「心臓」となっていた。


「リリア様、失礼いたします。聖教会の医療魔導師たちが、第4層の『再生の霧』の使用許可を求めています」


かつての冷淡さを完全に捨て去り、今やリリアの忠実な執務官となったハインリヒが、敬意を込めて一礼する。


「許可します。ただし、抽出したデータはすべて共有すること。……ハインリヒ様、あの『微弱な麻痺毒』による神経治療薬、治験の結果はどうでした?」


「驚異的です。長年動かなかった兵士の足が動いたと、各地から感謝の寄進が絶えません。もはや貴女を『魔女』と呼ぶ者は一人もおらず、皆『癒やしの聖女』と崇めておりますよ」


「……聖女、ですか。私はただ、毒を薄めて売っているだけなのですが」


リリアは可笑しそうに肩を揺らした。 彼女が構築したダンジョンは、もはや冒険者が魔物を殺す場所ではない。 微弱な状態異常を「刺激」として利用した最新鋭の医療センターであり、幻覚魔法を駆使して戦場でのトラウマを克服させる精神療養所であり、そして――誰も死なずに強くなれる、世界最高の騎士養成学校となっていた。


2. どん底から見上げる空

「……おい、そこ! スライムの粘液が残っているぞ。しっかり拭け!」


ダンジョンの入り口付近。 そこには、かつての栄光を失い、ボロボロの清掃服に身を包んだアルベルトとセシリアの姿があった。 彼らは今、ダンジョン経営の「土台(清掃員)」として、最低賃金で働き続けている。


「……くそっ。なんで俺が、こんなスライムのケツを追いかけるような真似を……」


アルベルトが呪詛を吐くが、その声に力はない。 彼はかつて、圧倒的な火力で魔物を焼き尽くすことを誇りとしていた。だが、今の王国で求められているのは、緻密な魔力制御と、他者を活かすための繊細な魔法だ。 彼が誇っていた「破壊の力」は、平和なリリアの領土では、ただの「危険な火遊び」としてしか扱われない。


「お兄様、文句を言わないで。……さもないと、リリア様に『強制労働の延長』をされてしまうわ……」


セシリアは、泥だらけの手を震わせながら床を磨く。 かつてリリアを「無能」と笑い、贅沢に耽っていた彼女にとって、今の暮らしは地獄そのものだ。だが、死ぬことは許されない。リリアの完璧な健康管理(状態異常制御)によって、彼らは決して病まず、決して倒れず、永遠に「働き続ける」ことができるのだから。


バルコニーからそれを見下ろしたリリアは、優雅に紅茶を啜りながら呟いた。


「人を殺せば、恨みが残ります。でも、こうして再雇用(・・・・)してあげれば、領地の美化に繋がります。……無駄のない、素晴らしいシステムだと思いませんか?」


『……貴女、やっぱり最後の一言が一番怖いわよ』


3. 「役立たず」が変えた世界

晩餐の時間。 王都から招かれた高名な学者や、かつてはリリアを無視していた大貴族たちが、彼女の言葉一つ一つに耳を傾けている。


「リリア辺境伯。この『睡眠魔法による効率的な学習システム』、ぜひ我が領の学校にも導入したい」 「医療用毒素の輸出枠を広げていただけないだろうか。価格は言い値で構わん」


かつての「嫁に不要」という評価はどこへやら。今やリリアは、王国で最も「望まれる女性」となっていた。だが、彼女はそれらすべての誘いを、穏やかな、しかし鉄のように硬い微笑で受け流す。


「皆様、魔法とは『力』ではありません。『仕組み』です。誰かを排除するために使うのではなく、世界をどう回すかの歯車として使う。……それが私の哲学です」


宴が終わり、深夜の静寂がダンジョンを包む。 リリアは一人、ダンジョンコアの前に座っていた。


「……コアさん。私、間違っていませんでしたよね」


『ええ。貴女は証明したわ。破壊よりも再生が、死よりも生が、そして「無能」と呼ばれた個性が、どれほど大きな富を産むかを』


リリアは、青く輝くコアにそっと手を触れた。 そこから伝わってくるのは、冷たい魔力ではなく、明日へと続く確かな熱量。


「攻撃魔法が使えない。即死魔法も使えない。……でも、だからこそ、私は誰も殺さない道を探し続けることができた」


リリアは窓を開け、夜風を全身に浴びた。 眼下には、彼女が守り、育て、作り上げた「平和な要塞」が、穏やかな眠りについている。


誰一人として泣かず、誰もが明日を信じられる場所。 かつて「役立たず」と切り捨てられた少女が、その繊細な指先で手繰り寄せた、最高に「うはうは」で、最高に幸福な結末。


リリアは満足げに瞳を閉じ、独り言のように結んだ。


「役立たずと言われた私の城は、今日も誰一人殺さず、国を救っている」


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