死ぬくらいなら…………

 そこから先の記憶は――俺にはない。

 気が付いた時には、俺は自室のベッドの上で体を丸めて横になっていた。

 どうやって帰ってきたのか。父は、今回の結果に何と言っていたのか。

 何一つ頭の中にはない。

 ただ、呆然と立ち尽くして、気づいた時には家に帰ってきていて、ふらつきながら部屋に入り、ベッドの上で丸くなった。

 俺自身が把握しているのはそれだけだ。


 時折聞こえてくる、両親の話し声。母がすすり泣いているような、そんな音も耳の中に入ってくる。

 既に部屋に閉じこもって二日。

 気遣わしげに食事を部屋へと持ってくる母親に、俺は返事もできずにいる。

 お腹は減る。けれど、食べる気力などない。

 どうせ今食べても吐き戻す。それにどうせもう余命僅かなら……と考えると、食事すらする気にもならなかった。

 入浴もしていないので、涙の通り道がカピカピとしていて、肌が突っ張っているのがうっとうしい。

 髪はゴワゴワとしていて、べたつく。

 それでも、入浴する気など起きなかった。

 排泄だけして、後はベッドの上。そんな生活が三日目に突入した朝。


 ふと、思ってしまった。

 あと少ししか生きていられないのに――――まだ何もしたいことができていない。

 せっかく魔法がある世界なのに、まだ大魔法と呼ばれるようなすごい魔法を使ったことがないし、使えない。

 せっかく剣を振り回して戦う世の中なのに、大型モンスターを斬ったこともない。剣を振るった相手など、訓練用の藁人形か、スライムくらいなものだ。

 せっかく色々と勉強したのに、薬草採取の仕事や調合での新たな発見などもしていない。新薬とか作ってみたかったのに。

 せっかく馬に乗れるのに、遠征もほとんどしたことがない。強いて言えば街へ行った時が初めての遠征だった。


 なにより、せっかく身体を鍛えて、せっかく知識を付けて賢くなり、せっかく顔立ちもそこそこ整っているのに、女を一人も抱いていない。

 これは由々しき問題だ。

 前世で俺がどんな人間だったのかは不明だが、今世はかなりスペックに恵まれているのだから。

 そしてなにより、法による規制や道徳観が前世より緩いのだから、複数の女を抱いてみたい。――――ハーレムを作りたい。


 そう――考えてしまった。

 同時に閃く。

『十六歳となる前日に、貴方は死亡する』という神からの啓示にビビっていたけれど、逆に言えば十六歳になる前日までは生きられるということ。

 なら、その日を迎える前までは――――好き放題しても死ぬことはないということだ。


 それが例え。

 伝説級のモンスター、ドラゴンと戦っても死ぬことはないし。

 失敗するリスクが高い極大魔法に挑戦しても死ぬことはないし。

 大爆発する可能性が高い危険な調合も死ぬことはないのだ。


 これはむしろ、凄いことではないだろうか?

 どれも成功すれば名声を轟かせることができるような偉業だ。

 どれも自分の命を対価に挑戦しなければならないものだ。

 けれど、俺は違う。――命の保証を神にされている。


「…………なら、挑戦するしかないじゃねーか」

 急に体に力が湧いてくる。

 そうして、腹が減りすぎて、全身が臭すぎて、嫌になってくる。


 俺は今朝運んでもらった朝食に急いで飛びつき、わき目もふらずにガツガツ食べる。

 まるで獣のように、豪快に。

 そうして食べ散らかして、俺はその足で風呂へ向かう。


 両親は留守だった。

 父は仕事へ、母は買い出しにでも行っているのだろう。

 正直この三日間情けない姿しか見せていなかったので、ありがたかった。

 顔を合わせるのは気まずい。


 そそくさと家にある、木の壁に石の床でできた風呂へ行き、石窯に溜めてあった水を頭から被る。

 本当なら薪で火を起こして溜めた水を温めてから利用するものだが、今はそんな悠長なことをしている気分じゃなかった。

 もちろん、母が帰宅してしまうかもしれない、という焦りもあったのだが。


 全身を水でずぶ濡れにしてから、泡立つ水を手に取り、髪に、そして体へと塗りたくる。

 ガシガシと音を立てながら、普段より泡立たない様子を見て取り、自分の汚れ具合に嫌気を覚えながら全身を洗う。


 満足いくまで全身を泡で満たしてから、また盛大に水を被る。

 泡が多すぎて、いつも以上に流すのに苦労しながら、何度か水をかけてどうにか泡を流し終えてから、俺は体を乾いた布切れで拭き、動きやすい服装を身にまとう。

 普段訓練などで着る、丈夫な革を使用してできた服だ。よく冒険者などが似たような服を着ているのを見かけたことがある。

 これからのことを考えたら、ちょうどよかった。なにしろ、これから行く予定なのは冒険者ギルドなのだから。


 服を着込むと、次に部屋へ戻って持っている中で一番大きな鞄を取り出す。

 簡易的なリュックだ。縫い付けられたボタンを一つ外すだけで、物を取り出せる。安っぽいデザインだが、これも革製の丈夫なもので、結構気に入っているのだ。

 その中に必要そうなものを片っ端から詰めて、背負う。


 昔誕生日に買ってもらった剣を、腰に付けていたホルダーへ納めて。

 自分の姿を一瞥する。


 子供が背伸びした、冒険者ごっこの姿。そう評する人が多そうな格好ではあるけれど、これが今できる最大の『それっぽい』格好だった。

 そうして準備が終わると、俺は部屋にある紙を一枚手に取る。

 白く滑らかな紙は貴重で、ここにあるのはゴワゴワとした不純物が多く混じった紙だけど、文字が書ければなんでもよい。


 両親へ宛てた書き置き。

 旅に出る旨と、必ず帰ってくる旨を記して、ダイニング机の上に置く。

 いつも家族で食事していた机には多くの傷がある。

 思い出せる傷もあれば、いつの間にかついてしまった傷もあるけれど。


 この机を次に利用するのは、俺が死ぬ直前だろうな。と考えて。

 三日間は寂しい思いを、そして悲しい思いをさせていたであろう両親へ、申し訳ない気持ちを抱きながら。


 俺はその日に家を出た。


 必ず帰ってくると誓って。

 どんな死に方をするのか分からないけど、できることなら、最後はこの町で死にたいな。

 そう願いながら、俺は冒険者ギルドのある街へと足を向けた。


 ――――――そして、一年後。

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2025年12月24日 19:00

異世界転生して十五年目で余命一年を告げられたので、好き放題に生きてみたら、いつの間にかハーレムが出来上がってしまったのだが 鼠野扇 @mouse23

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