レッドカーペットはまだ遠い
バーニーマユミ
第1話
「その昔、イタリアから移住してきたマルコ・アントーニオはどうにか生きていくための稼ぎを得ようと、見聞きした面白い話をさらに大袈裟にして、大衆向けの劇を始めた。それが25セントの始まりです、だってさ」
「それはいいんだが、どうして俺たちはこんな場所にいるんだ?」
「お前、今朝の新聞読んでないのか?」
「新聞はとってない。金がない」
「はあ、私立探偵たるものが…」
「稼げるなら乗ってやるぞ」
「…」
「なんだ、奉仕活動か」
「あー、分かったよ、分かった、ポケットから出すから大しては払えないぞ」
「警部殿はたいそう儲けてるかと存じますが」
「にやにやするな、くそっ」
ニューヨークはマンハッタン、ミッドタウンのはずれ、数々の劇場が並ぶ密集地の外に25セントという時間だけは流れた、劇場があった。
色褪せた外観、おもてのポスターは雨にやられたのか、ぼろぼろになっていた。
話によれば、収容人数50人に対し、観客は10人入ればいい方。観劇料は80ドル。コミカル作品がメインでたまに、有名作品もやっているらしい。
中に踏み込むとやや埃っぽいにおいが充満していた。あまり使われていないような雰囲気がある。これは80ドルでも入るまい、と口には出さなくとも、警部ーーダウニー・ジェームズは思っていた。
ダウニーのしかめっつらをにやにやと見ているのが、私立探偵という看板の男、アーロン・ウィリアムズである。
ふたりの出会いの話はまたの機会においておくとして、今回の話は腐れ縁のようなふたりが事件を解決する、そんな話である。
ここだけの話だがダウニーには潔癖のきらいがある。こんな埃っぽい空間は本当は入りたくないに違いない。あと数分もしないうちに口に清潔なハンカチをあてるに違いない。きちんとアイロンのかかったねーーほら、ダメだった。またアーロンが笑ってる。気づいてないけどね、ダウニーは。
「被害者はロバート・アーヴィン、ここの古い役者らしい。ここの屋上から突き落とされて」
「彼を恨んでるやつの犯行か?しかし、3階ぐらいからじゃ、なかなかそう上手くはいかないだろ?」
「落ちる前に鈍器で後頭部を殴打されていた。それが致命傷だろう。それから彼を恨むような人物が見つからないんだ。彼は平和主義者で、ここの以前のオーナー、今はエキシビターとかいうの、ジョシュ・アントーニオとよく知った仲らしいし」
「今のオーナーは?」
「今のオーナーは…チーフエグゼクティブとかいうらしいが、ベン・カーティスとも特にトラブルは無し、聞き上手のよき相談相手だと言っている」
ダウニーは小さい手帳のメモをしばらく睨みつけていた。答えを探しているかのように。あぶり出しなんて仕掛けはないだろうけど。
「殴って落としたのか…よっぽどだろうな」
「ああ、しかし隠していない。犯人は自分はバレないと思っているのか」
「…恨みを買わない人物か…しかしなくて七癖ってこともある。どっかにはアラがあるはずだ。聖職者でもあるまいし」
「それは…」
「盗みをせずに大人になるやつがいるか?人を殴ったことのない大人がこのニューヨークにいくらいる?罪は犯すのさ、だれしもが。そうじゃなきゃ俺たちの出番は無いぜ。商売上がったりだ」
「お前は不謹慎だ」
「カタブツなだけだろ、警部殿が」
「けっ」
「あの、まだ準備中なんですけど」
「失礼、ロバート・アーヴィンさんの件で捜査に…わたくし、ミッドタウンノース警察署のダウニー・ジェームズ警部です。オーナー…あー、えーっとチーフエグゼクティブには許可を得ています」
「俺は私立探偵のアーロン・ウィリアムズです。彼に呼ばれまして。手を貸して欲しいと」
「あ、すみません、お客さんかと…私はゾーイ・フォックスです。ここの、役者です」
「役者さんでしたか、すみません、お邪魔して」
「いえいえ、掃除していただけなので」
「掃除?スタッフは?」
「いません。役者が裏方もやっているんです。なんせ、お金がなくて…」
「彼が奢りますから、外でお茶でもどうですか?」
「は?」
「え?いえ…あの」
「チーフには連絡しておきますから、彼が」
「おい!」
「経費で落ちるだろう。さ、お嬢さん」
「くそっ」
ゾーイの瞳は石を投げ込まれた湖の水面ぐらい、揺らぎが見られた。柔らかく微笑んだアーロンの瞳はその様子をただ、見つめていた。
「あれ?サラ、もう時間?」
「サラ?」
「ここでの芸名です、一応。あ、彼は」
「僕の芸名はトムです。本名はマイケル・ブラウン。どうぞよろしく、自己紹介までに」
マイケルはいやらしいぐらい完璧な笑顔を作ってみせた。オーデションを1発でクリアしそうな笑顔だ。
「ミッドタウンノース警察署のダウニー・ジェームズ警部です、それからこっちは」
「どうも、私立探偵のアーロン・ウィリアムズです。人気の役者さんにお目にかかれて光栄です」
「あれ、探偵さん、僕を知っているんですか?!」
「知ってるもなにも。後ろのポスター、1番大きく描かれているのはあなたでしょう?」
「あれ、あはは、ほんとだ勘違いしちゃいました、お恥ずかしい。あ、それよりも僕、生で探偵さんを見るの初めてです。貴重な体験だ…あの、握手してくれませんか?」
「喜んで…」
「でも警部さんと、探偵さんが揃ったらまるで事件みたいですね」
「ご存知ありませんか?」
「何をです?」
「今朝の新聞で…」
「すみません、新聞とってなくて。タブレット派なんです、見たいやつだけサクサクっと」
「仲間が見つからなくて残念だったな、警部殿」
「うるせぇや」
「何です?」
「何でもありません。ロバート・アーヴィンさんが亡くなった件を調べていまして、何かご存知ありませんか?」
それは自分のセリフだと言わんばかりのアピールをしてくる警部をよそに、アーロンは静かに目の前の人気役者らしい青年を見つめていた。
先ほどの握手ーー彼の手はやけにしっとりとしていた。直前まで水を使っていたのかもしれないが、劇場前の掃き掃除となればその可能性はあまり期待できない。秋が冬を呼びかけている季節とはいえ、日中はあまり汗ばまないように思うが…まあ、邪推はやめよう。変に先入観をもつのは良くない。
「え、アーヴィンさん亡くなったんですか?どうやって?」
「この建物の屋上からです」
「え、もしかして殺人ですか?」
「なぜです?」
「あ、いや、警部さんたちが来るなら事故じゃ来ないんじゃないかと思いまして」
「なるほど」
「あ、すみません、足止めしちゃって。どこか行くところでしたよね?サラ、あとはやっとくから」
「すみません」
「では」
にこにこと彼は見送ってくれた。
賑やかな通りに出ると、おもむろにサラーーゾーイは切り出した。どこか言いづらそうに。
「さっきの、彼、トム…マイケルですが、もうすぐ劇場を辞めるんです」
「へえ、そんな雰囲気はありませんでしたね」
ダウニーはあまりにも気のない相槌を打った。
「ええ…ハリウッドにスカウトされたんです、彼」
「ええっ、そんな役者にはっ」
言い切る前にダウニーの脇腹を小突いてやった。幸い、ゾーイは全く気にしていなかったが。
「何でだろう、って思ってたんですが」
「ゾーイさん、ここにしましょう、ここなら何でもある」
通りに面したオープンテラスの喫茶店に入り、3人ともコーヒーを頼んだ。コーヒーはすぐに来た。
「あの…申し訳ないんですが、このあと行かなきゃいけないところがあって」
「それは、こちらこそ申し訳ありません、有無をいわせず…」
「それではそこまで見送りましょう、警部殿は署まで戻らねばなりませんから」
「あ、いや…ああ、そうだな」
「すみません、ごちそうになったのに」
今日は演劇の養成所に行く日で、それでも8時からのソワレには出るらしかった。
俺は帰り際、探偵事務所という名の自宅の番号の載った名刺を彼女に渡した。
ゾーイはずっと浮かない顔をしていた。
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レッドカーペットはまだ遠い バーニーマユミ @barney
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