第4話:同じ分岐点
並んで歩くのは、久しぶりだった。
久しぶり、と言っても、数えられるほどの日数が空いただけだ。
会っていなかったわけでも、避けていたわけでもない。
ただ、帰る時間が合わなかった。
それだけの理由で、並ばない日が続いた。
その日は、偶然だった。
改札を抜けたところで、視界の端に彼女がいて、
こちらを見て、軽く会釈をした。
声をかけるほどの距離でもない。
かといって、無視するほど離れてもいない。
ちょうど、その中間に立っていた。
歩き出すタイミングが、自然に揃った。
「今日は、こっち?」
彼女が言った。
最短の道と、少し遠回りになる道。
その分かれ目は、以前と変わっていない。
信号の位置も、街灯の色も、舗道の幅も同じだ。
変わったのは、そこに立つ私たちだけだった。
「どっちでも」
そう答えてから、
彼女が一瞬だけ私を見る。
確認するようでもなく、
判断を委ねるようでもない視線だった。
彼女は遠回りのほうへ歩き出す。
私は、少し遅れてその後を追った。
夜の空気は、前よりも冷えていた。
風は弱く、音が残りやすい。
足音が舗道に返ってきて、
それが二つ分、重なったまま続く。
歩く速度は、前と同じくらいだ。
早くもなく、遅くもない。
無理に合わせている感じもない。
話題は、仕事のことだった。
忙しさや、どうでもいい出来事。
どれも、記憶に残らなくていい話だ。
それでも、沈黙が挟まる。
以前なら、
その沈黙に理由を探していた。
今は、探さない。
続いても、終わっても、
どちらでも困らない。
分かれ道が、近づく。
遠回りを選んだことで、
駅に着くのは少し遅くなる。
それは分かっている。
分かっていても、
歩調を変える理由は見つからなかった。
彼女が、足を止める。
完全に止まったわけではない。
進む前の、一拍。
引き返すこともできる位置で、
ただ立ったまま、前を見ている。
私は、横に立つ。
何も言わないまま、
同じ方向を見る。
街灯に照らされた道が、
静かに続いているだけだ。
彼女が、一歩踏み出す。
確かめるような歩幅だった。
私は、その後ろに続く。
距離は変えない。
並んでいる、というより、
同じ流れに乗っている感覚に近い。
駅が見えてきたころ、
電車の到着を知らせる音が聞こえた。
間に合うかどうか、
微妙な距離だ。
早足になれば、乗れる。
そうしなければ、次になる。
彼女は、歩調を変えなかった。
私も、変えない。
結果として、
電車は行ってしまった。
ホームに着いたときには、
ドアが閉まるところだった。
彼女はそれを見て、
小さく息を吐く。
「次でいいか」
独り言のように言って、
ベンチに向かう。
隣に座る。
肘が触れない距離。
近すぎず、離れすぎない。
前に座る人の背中を見ながら、
次の電車を待つ。
数分の間、
会話はなかった。
それでも、
落ち着かない感じはしない。
時間が余った、というより、
元に戻った、という感覚に近い。
電車が来て、乗り込む。
同じ車両、同じ位置。
吊り革につかまり、
窓の外を見る。
トンネルに入る前の、
短い暗転。
降りる駅は、同じだ。
改札を出て、
また並んで歩く。
今度は、最短のルートだった。
分かれ道に着く。
「じゃあ」
「うん」
それだけで、別れる。
背中を向けて歩き出しながら、
足音が一つになるのを聞く。
少しして、二つに分かれる。
家に着いて、靴を脱ぐ。
特別なことは、
何も起きていない。
それでも、
同じ分岐点に立った、
という事実だけが残っている。
前と違うのは、
迷わなかったことだ。
理由は分からない。
名前もない。
つける必要も感じていない。
今日も、生活は続いている。
それで、問題はなかった。
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