もう痛く.......ない??
深夜玲奈
第1話
もう痛く......ない??
夕方の光がゆっくりと沈んでいく。
私は、今日も学校の屋上から街を眺めていた。
ここは風が強くて、嫌な記憶が勝手に浮かび上がってくる。
でも、それでちょうどいい気がした。
私の人生は、事故と怪我だらけでできている。
保育園の頃、公園で遊んでいた時。
突然、車が砂場の方へ突っ込んできた。
先生も友達も無事だったのに、なぜか私だけが弾き飛ばされた。
頬の皮が剥け、膝から血が滲み、泣き叫ぶことしかできなかった。
母は私を抱きしめ、震える声で何度も私の名前を呼んだ。
あの時の母の手は汗で冷たく、声は途切れ途切れで、
私は「痛い」よりも「怖い」が勝っていた。
小学校五年生の時もそうだった。
休み時間、掃除用具入れの前で男子たちがふざけていて、
そのうちの一人が勢い余って私の背中にぶつかった。
階段——。
体が宙に浮き、視界が回転し、
ゴンッ、ゴンッと鈍い音が自分の体から響いた。
痛みで気絶しかけながらも、
私は、担架に乗せられる自分をぼんやりと見ていた。
周りは泣き声とざわめきに包まれていたのに、
私だけは妙に静かで、
ただ「まただ」と思っていた。
中学に上がる頃には私は“事故体質”として有名になっていた。
陽キャたちは私を「不運ちゃん」と呼び、
机に「しぬのまだ?」なんて落書きをされたこともある。
嫌な予感はしていた。
いつか取り返しのつかないことが起きる、って。
ある日の放課後、体育館裏に呼び出された。
ふざけ半分、いじめ半分。
私は突き飛ばされ、
体勢を崩し、そのままコンクリートに倒れ込んだ。
腕に激しい痛みが走った。
視界が白く弾けた。
病院で目を覚ました時、
左腕はもうなかった。
母は泣いていた。
父は怒っていた。
警察は来たし、学校は大騒ぎだった。
いじめた子たちは「事故でした」と言った。
本当は違うのに。
私は泣きも怒りもしなかった。
ただ冷めた目で天井を見つめていた。
「……どうして私だけ?」
その問いは、誰にも届かなかった。
高校に上がっても事故は続いた。
自転車に乗れば車が飛び出し、
歩けば看板が倒れ、
何もしていなくても、突然物が落ちてくる。
いつも、私だけ。
そして、決定的な“偶然”が起こった。
体育の時間。
二階の窓から落ちてきた鉄アレイが、
私の頭すれすれをかすめた。
普通、そんなこと起こらない。
誰かが投げたわけでもない。
その部屋には、誰もいなかった。
それでも私はまた生き残った。
「なんで……?」
恐怖よりも、混乱よりも、
“疑問”が先に立った。
その日の夕方、私は屋上に立っていた。
風が強い。
空は少し赤く染まっていて、
街の音が遠くからざわざわと響いてくる。
柵の向こうに手を伸ばす。
学校の地面、道路、人、車。
全部が小さく見えた。
“ここから落ちたら、終われるかもしれない。”
そう思った。
だから私は、そのまま足を前に出した。
身体がふわっと浮く。
髪が逆立つ。
空気が耳元で引き裂かれる。
落ちる瞬間、
ああ、これで全部終わるんだ……
そう思って目を閉じた。
でも——。
私は死ななかった。
気づいたら、地面に倒れていた。
頭から血が流れているのに、
腕が変な方向に曲がっているのに、
痛みがまったく無かった。
いや、それだけじゃない。
救急車のサイレン。
走ってくる先生。
叫び声。
ざわめき。
私はその全部を、**“横で立ったまま”**見ていた。
担架に乗せられている“私”を、
私は見ていた。
その瞬間、理解した。
——私はもう、生きていない。
でも、奇妙なことに、
恐怖も悲しみも湧かなかった。
それどころか、
胸の奥に何かが湧き上がってきて、
私は笑った。
「あはははは!! きゃはははは!!」
その日から私は、
事故に遭っても痛みを感じなくなった。
車に轢かれても、
階段から落ちても、
体が砕けるような音がしても、
何も痛くなかった。
血まみれでも、骨が飛び出しても、
ふらふら歩いて帰った。
通りすがりの人は悲鳴を上げる。
でも私は笑っていた。
痛くないって、こんなに自由なんだ。
怖いものが何もないって、
こんなに気持ちが軽いんだ。
だからある日、
“試して”みた。
もう一度、屋上から落ちてみた。
ばんっ、と鈍い音がして、
世界が暗く沈んだ。
次に目を開けた時、
私はまた立っていた。
今度は、完全に“向こう側”だった。
道路の真ん中に、小さな男の子がいた。
ボールを追いかけて、
車が突っ込んできて——。
轢かれたはずなのに、
その子は泣かなかった。
私の方を見て、微笑んだ。
「もう、痛くないね。」
その瞬間、私は悟った。
“痛みが無い”って、うつるんだ。
それから私は、
事故に遭いそうな人を探すようになった。
死にかけている人。
気が緩んでいる人。
耳元で優しく囁く。
「大丈夫。すぐ楽になるよ。
痛くないから。」
すると、彼らは笑う。
私と同じ笑い方で。
そして一歩、危険の方へ踏み出す。
赤信号を渡り、
踏切に近づき、
屋上の柵へ近づき——。
次の瞬間には、
笑ったまま地面に倒れている。
私はその度に思う。
痛みがない世界って、
こんなにも静かで、
こんなにも優しいんだ。
でも時々、
夢を見る。
病院で泣いていた母。
怒りながらも震えていた父。
泣きじゃくる友達。
怖がる先生。
その声だけが、
胸の奥を少しだけ痛ませる。
その痛みは懐かしく、
ほんの少しだけ恋しい。
でも——。
もう戻れない。
今日も私は屋上に立つ。
夕暮れの風が髪を揺らし、
下では学生たちが笑い合いながら歩いている。
その中に、
ひとりの少女がいた。
スマホを見ながら歩き、
ぼんやりした顔。
柵の近くを無防備に歩いている。
その歩き方、
背格好、
横顔。
“あの頃の私”にそっくりだった。
いや、
そっくりじゃない。
私そのものだ。
気づいた瞬間、
私は笑った。
「ねえ、私。
もう痛くないんだよ。」
少女の背後に回り、
耳元でそっと囁く。
「こっちにおいで。」
風が吹き、
鉄柵がぐらりと揺れた。
少女の足が滑り、
体が前に倒れる。
落下音。
悲鳴。
ざわめき。
私は静かに笑った。
だって——。
ようやく、
私が“私”に追いついたのだから。
そしてまた一人、
痛みのない世界へ仲間が増えた。
うふふふふふ。
もう痛く……ないよね?
もう痛く.......ない?? 深夜玲奈 @Oct_rn
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