王子様の卵を拾いました

相内充希

第1話

「テリュネ、わたしの花嫁」


 そう言って甘やかに微笑んだ青年の顔を、テリュネはポカンとして見つめた。


 艶やかな濃い紫色の髪に金色の瞳。背はテリュネよりも頭一つ分は高く、痩せてはいるけれど貧弱ではない。身に着けているものもどれも質の良い仕立てであることが分かるが、テリュネが驚いたのは、突然目の前に現れたのが高貴そうな青年だからというわけではなかった。


 そこにあったのは卵のはずだった。

 人の頭くらい大きかったけれど。

 紫水晶のような綺麗な紫色に金の輪が付いたみたいな模様の変わった卵だったけど。

 卵のくせに自力で動いたり自己主張するような変な卵だったけど。

 それでもやっぱり卵だったはず。


 なのにそれが光の粉を振ったようにきらきらっと輝くと大きく揺れ、瞬き一回分の隙に人になっていたのである。意味が分からない。



 そもそもの話、テリュネが卵に出会ったのはふた月ほど前のことだった。

 お昼過ぎから静かに降り出した雪が夜半には止み、雲一つない青空の下は一面の銀世界だった朝のこと。冬でもめったに雪の降らない土地なので、見渡す限り白く染まった世界は、朝の光を浴びて輝いていた。


「わあ、すごい」


 一緒に住んでいた祖母が亡くなって半年。すっかり独り言が癖になっていたテリュネが感嘆の声を上げると、遠くで白い鳥が飛び立つのが見える。

 こんなにきれいな景色を堪能しないのはもったいない!

 そう考えたテリュネは小さなりんごを二つポケットに入れると、昔親戚の誰かから教わったようにブーツに滑り止め用の縄を巻いた。マントを羽織って外に出ると、まっさらな世界にもう一度だけ小さく感嘆の声を漏らし、ゆっくりと散策を始めた。

 ここは村の中心からは少し離れているので、動いている生き物は自分と小さな獣や鳥だけだ。


 少し凍った雪がサクサクと音を立てるのが楽しくて、テリュネは子どものように弾む足取りで森のほうへ向かった。



 今は一人で暮らすテリュネだが、子どものころは大家族だった。

 父と母、兄が一人に弟妹が合わせて五人。祖母は少し離れて住んでいたけれど、親戚がたくさんいて毎日が賑やかだった。そのイトコたちと雪だるまを作ったことを思い出し、久々に小さい雪だるまを作ってみる。石や枝で顔を作ると、間抜けで愛嬌のある可愛い雪だるまになった。


「みんな元気かな」


 近くの採石場が閉鎖になり、親戚一同が新しい仕事場に移動したのは七年前。テリュネが十六歳の時だ。

 最初は祖母も連れていくつもりだったのだが、足腰が弱った祖母は、亡くなった祖父と過ごしたこの土地を離れることを嫌がった。

 そこで、まだ独身で女の子で一番年上だったテリュネが祖母のそばに残ることになった。

 最初はかくしゃくとしていた祖母は、足を怪我したことをきっかけに寝込むようになり、最後の二年はほぼベッドから動くことができなくなっていた。穏やかな性格だったのが嘘のように気難しくなり、テリュネもきつい言葉を投げられることが多くなったが、根気よく祖母の看護を続けたのは祖母のことが好きだったからだ。


 忙しい母の代わりに料理や編み物を教えてくれた祖母。字は読めなかったけれどとても物知りで、色々なおとぎ話を教えてくれた。


 元気になれば元の祖母に戻るのではないかと期待していたが、テリュネが二十三歳になって間もなく帰らぬ人となった。

 一人になったテリュネは、春のリヴィワールまではここにいるつもりでいる。

 リヴィワールとは、春の女神が訪れる花月に、前の年に亡くなった人々の魂を送る祭りだ。


 この国では、死者の魂は春に旅立つと信じられている。それまでは家族や友人など、縁のある人や場所を旅し、ゆっくりと死者の国へ旅立つ準備をするというのだ。

 祖母の魂はまだ近くにいるから、見送るまで離れることはできない。


 とはいえ、リヴィワールが過ぎれば二十四になるテリュネに行く当てなどない。

 家族は呼んでくれるが、しずかなせいかつになじみすぎたせいだろうか。兄弟も親戚もそれぞれ家庭を築き、新たな生活の基盤ができているところに入るのはなんとなく気が引けた。


 このまま小屋を守り、糸染をしていた祖母の後を継ぐのがいいかもしれない。

 糸染は、マールという虫が吐き出す糸を、思い思いの色に染め上げる仕事だ。わりと希少価値が高いので、つつましく暮らせば一人で暮らす分には問題ないだろう。

 すでに結婚適齢期はとおに過ぎている。

 外の世界を見て見たい気持ちもあったけれど、お転婆だった少女時代の自分は、大人の自分の奥深くに潜ってしまった。


 大きな卵を見つけたのは、そんな時だった。



「まあ、なんて綺麗なの」


 倒木の間、枯草のベッドに守られるように一つだけあった卵は、見たこともない大きさだった。しかも色は祖母が持っていたアメジストのような美しい紫で、上のほうには金色の輪のような模様が入っていて冠のように見える。


(なんの卵だろう?)


 こんなに大きな卵を産む動物や鳥は見たことがない。


 しかし、湧き上がる好奇心にしばし遠くから観察するも、親らしき動物はやってこない。


 持ってきたりんごを一つかじると、思ったよりもお腹がすいていたことに気づいた。


「一度帰ってごはんにしようかな」


 また後で見に来てみようと決めて踵を返そうとしたところ、目の端に映った卵が揺れた気がした。気のせいかと思いつつもしばらく観察してみると、やはりかすかに動く。

 周りを警戒しながら近づいてみると、卵はハッとしたように動きを止め、目はないはずなのにじっとこちらを見ているような気がした。


「もしかして生まれる?」


 卵が動くとしたら孵化だろうと思ったが、その言葉を聞いた卵が気分を害したような気がして思わず吹き出してしまった。

 恐る恐る触れてみるとわずかに温かい。

 その卵がテリュネの手にすり寄ってきたような気がして思わず両手に抱えてみると、そこに確かな命を感じた。


 変な卵だ。

 もしかしたら卵型の新種の生き物なのかもしれない。

 それでも拾ってしまったものを元に戻す気にもなれず、テリュネは卵を持ち帰ることにした。



 自分以外の命が側にある。

 そのことはテリュネの生活に色と温度を与えた。

 最初は卵を温めようと色々工夫していたが、気づくとくるんでいた敷布などからはみ出してしまうので、そのうち寝るときだけ寝床用の籠に置くことにした。

 テリュネがおとぎ話や子守唄を聞かせれば、卵が嬉しそうに小さく震える。

 時々ころんころんと勝手で動いて、仕事をしているテリュネのそばまでやってきたりする。

 時折いたずらなんかもするので、「玉子焼きにするわよ」なんて脅すとブルりと震える卵に大笑いしたこともある。


 村の人が来ると隠れるので、なんとなく卵の存在は秘密にしなくてはいけないような気がして、誰にも聞けずにいた。それでもひと月みっちり一緒にいれば愛着もわき、家族のように思えてくるもが不思議だ。

 これはなんの卵なのだろうと疑問に思い続けてはいる。

 大きな動物がうまれたら、自分に飼うことはできるのだろうかという心配もある。


 でも、卵が真摯に慕ってくれるのを感じると嬉しく思うのは確かで、短い時間でもこの幸せを堪能することに決めた。


 そうして大事に大事に世話をした卵だったが、ある満月の夜異変が起きた。

 ほんのり温かかった卵が石のように冷たくなったのだ。


 自分でも何をしているのだろうと思ったけれど、必死で卵を温めた。

 熱いお湯につけてゆで卵になったら困るから、お風呂ぐらいのお湯に入れてみたりこすってみたり。でも冷たいままの卵に祖母が亡くなった時を思い出して、泣きながら抱きしめ、いつの間にか眠ってしまった。


「テリュネ」


 小さな声が聞こえ、目が覚める。

 大事に抱いていた卵がなくて急いで周りを見回すと、少し離れたところに卵が立っていた。


「卵? 元気になったの?」


 囁くように聞くと卵がぶるっと震える。

 その元気そうな様子にホッとして立ち上がると、突然卵がキラキラと輝き出し、次の瞬間見たこともない青年が目の前にいたのだ。


「テリュネ」


 青年の囁くような声は、まるで声が出せるのか試しているかのような自信なさげな声だったが、何度かテリュネの名前を繰り返すうちに彼はにっこり笑い、だんだん呼び方が甘くなっていった。

 何が起こっているのか分からないテリュネの前で卵であったと思しき青年が差し出すように手を挙げ、

「テリュネ、わたしの花嫁」

 と言ったのだ。それはそれは嬉しそうに。


 花嫁――は、さすがに空耳だろう。突然美男子が現れたこと以上に謎すぎる。

 卵が消えて青年が現れた。ということは、見た目は大人でも彼は赤ちゃんなのかもしれない。

 もともと大家族で育って赤ちゃんのお世話だって何度もした経験があるテリュネだったが、卵から人が生まれるのを見たのは初めてなのだ。割れた殻がどこにあるのかは分からないけれど、彼が妖精か何かだったら卵生もありうるのかも?


 そんなことを忙しく考えていたら、ヒヨコが最初に目にしたものを親だと思う習性に思い当たった。


(あ、そうか。花嫁じゃなくて母親ママって言ったのか)


 納得。


 だがしかし、きらきらとした目でこちらを見つめる青年は、どう見てもテリュネより年上に見える。


(ううん。拾ったのは私だもの。責任もって育てなきゃいけないわよね)


 そんな考えは無意識に声に出していたらしい。


「違う。テリュネはわたしの母親じゃなくて花嫁だよ」


 そう言って不機嫌そうになる青年は、理屈抜きにあの卵に見えた。



 卵青年の話によると、彼は森の向こうにある精霊界の王子らしい。

 ある日精霊界を襲った魔獣の炎から身を守るために魔力を放出したところ、色々な偶然が重なり卵のような姿になってしまったのだそうだ。人間の世界に逃げられたのはいいものの、卵の姿のままでは野生の動物に食べられてしまうかもしれない。


 そんなときテリュネに出会い共に過ごすうちに、テリュネの愛情が彼の卵の姿を解いたのだという。


「わたしが冷たくなったのは、どうやらもともと持っていた魔力が底をつきかけていたみたいでね。もう元の姿に戻れなくても、テリュネのそばで死んでしまうならそれも幸せかな、なんて思ってたんだよ」


 その言葉にテリュネは自分でも驚くほどショックを受けた。

 冷たくなった卵が自分の命をあきらめかけていたなんて!


「……元気になってよかったわ」


 戸惑いつつも、心の底から卵だった彼にそう言うと、青年は花がほころぶような笑顔になるので、テリュネの心臓が止まりそうになる。


「元に戻れたのはテリュネのおかげだ。どうかわたしの花嫁になってほしい」


 はじめての求婚だと理解したが、テリュネは頷くことはできない。


 だってさっきまで彼は卵だった。

 家族みたいな気持ちにはなっていたけれど、夫としてはどうなのだろう。

 というか、精霊ということは寿命だって違うではないか。

 しかも彼が王子様なら、人間の自分たちと同じく、綺麗なお姫様と結婚するに決まっている。完全行き遅れの自分のような女ではなく。


 早口でそうまくし立てたテリュネに、青年は根気よく説得を続けた。

 名前も教えてくれないことに気づいてそれを問うと、名乗ると大きな力が働くことになるので新しい名前を付けてほしいという。


「わたしは人間になろうと思うんだ」

「えっ?」

「ただの君の夫になりたいんだ。ねえテリュネ。わたしに名前をつけて、夫婦になってもいいと言って?」


 精霊の王子はたくさんいるという。たんぽぽの綿毛のようにたくさん生まれるから、大きくなったら王様になる一人以外はそれぞれ自立しなくてはいけないらしい。

 卵と呼ぶのも変だから、「キラ」と呼ぶことにした青年は不慣れながらもよく働いた。いつのまにか村の人とも交流をはじめ、周りからは夫だと思われていて焦りもした。


 人として共に過ごすうちに気持ちは揺れ動いていた。でも、どうしても頷けない。

 この気持ちがなんなのか分からなくて、あまりにも不思議過ぎて怖かったのかもしれない。


 やがて春がきて、リヴィアールが始まった。

 キラと共に、祖母の思い出の品を火にくべる。


(おばあちゃん……)


 おとぎ話が好きだった祖母なら、今のテリュネを見て何と言うだろう?

 そんなことを考えながら炎を見つめていると、突然懐かしい声が聞こえた。


「人になった精霊なんて珍しくもないんだよ」


 それは祖母が話してくれたおとぎ話の一つ。

 何度も話してくれるたくさんのお話のなかで、聞いたのはおそらくその一回だけだった。


 精霊が人になることを不思議がる子どもたちに、祖母はイタズラっぽく笑う。


「人と恋に落ちるとそうなるのさ」


 長い命は邪魔だから、愛する人と生きるために精霊であることを捨てるのだと。


 あまりにロマンティックな話に恥ずかしくなったのか、祖母は続きを教えてくれなかったけれど、テリュネはあることを思い出した。

 祖母がなくなる前に、テリュネの祖父が精霊だと言ったことを。


 おとぎ話と現実を混同していると思い、すぐに忘れてしまっていた。それまで何度もあり得ない話を言うようになっていたからだ。


 でも本当だったのかもしれない。

 不思議な出会いをしたのはテリュネだけではなかったのかもしれない。


 そう思ったら、急に悩んでいたことがすべてどうでもよくなった。

 大事なことはひとつだけ。そうでしょう?


 近くにいるであろう祖母の魂に語りかけると、温かな空気がテリュネの頬を撫でた。祖母がいつもしてくれたように。


「テリュネ?」


 黙り込んでいたテリュネにキラが心配そうな目を向ける。それにニッコリ笑い返すと、キラはハッと息を飲んで頬をかすかに染めた。

 それが愛しいと感じ、知らず浮かんだ涙を指でぬぐうと、テリュネはキラをまっすぐに見つめた。


「キラ」

「は、はい!」


 子どものような返事にクスッと笑う。

 ああ、私はキラが大好きだ……と。




 二人が本物の夫婦になり、たくさんの家族に囲まれて過ごすようになるまで、あと少し。





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