未知
一河 吉人
未知
「では、次の議題です」
書記官の言葉に、各人の書類を
「ロロイ北部の村から、【聖女】の
瞬間、室内の空気が変わる。いつも通りのはずの会議は、にわかに雲行きを怪しくした。参加者の誰もが眉間にしわを寄せ、口々に
「【聖女】……」
「【聖女】、か……」
「ふむ……」
やがて、一人の参加者が言った。
「【聖女】――これは……何と読むのだ?」
オーランド王国の定例会議では今、未知の職業との対決が始まろうとしていた。
「長官、これは新職業で間違いないのか?」
「正式な決定は調査結果の出る明朝を待ってのことですが、ほぼ間違いないかと」
「文字の方は?」
「少なくとも部署の誰一人として見覚えがありませんでしたな」
文部庁の専門家が知らないのならば、この国の誰も知らないだろう。ある者は姿勢を正し、ある者は椅子に座り直し、全員が会議への態度を改めざるを得なかった。
ここオーランド王国では15歳の成人を迎えると、天より
短くない王国の歴史の中で数え切れないほどの職業が与えられてきたが、未だ10年に1度の頻度で新職業が発現している。そしてこの度、【聖女】がその列に加わろうとしていた。
「6、いや7年ぶりか」
「前回の、何だったか、あの……」
「【ネットバトラー】か。あのクズみたいにならなければいいが」
【ネットバトラー】とは、7年前に現れた新職業である。その名前からして投網を駆使して戦う職業と考えられ、なかなか進まない海洋型迷宮の攻略に寄与するのではと大いに期待されたが、どんな網や銛を持たせても役に立たず、その上やれあそこが痛い、そこの調子が悪いと口ばかり達者でおまけに傲岸不遜な態度が各所からの反感を呼び、早々に見限られて今は何をやっているのか用として知れず、大方どこかの海にでも沈んでいるんだろうとまことしやかに噂されていた。
「まあ、あれはカタカナ職業でしたからなあ」
「職業に貴賤はありませんが、やはりねえ」
新しい職業は神聖文字の中でもカタカナと呼ばれる種類で記されたものが多かった。【プログラマー】【エンジニア】【スーパーバイザー】【ハイパーメディアクリエイター】――そして、それらの大半が何の役に立つか分からない、いわゆる虚職であった。
「その点、この……
「しかも、画数が多い」
「それはいいのだが、この、
「……まず読みを決めよう」
一同は無言で頷いた。
「女、の方はいいだろう。男女の女だ」
「問題はこちらでしょうな。この、耳、口……」
「耳と同じならミミかジ、口と同じならクチ、コウ、ロだが」
「それより……」
「…………」
話がいよいよ話は核心に近づき、誰もが発現をためらった。
王――
王とは、オーランド王国でも王を意味する。そして、聖には『王』の文字が含まれる。このあからさまな事実に、肝を冷やさない者はいなかった。
ただの偶然ならいい。だが、それを確かめる術はない。これを授かった少女がやんごとなき存在の可能性も捨てきれないのだ。場合によっては新たな貴族家の創設、それに伴う権力構造や同盟関係の組み換えも十分にありうる。オーランド王国の上層部を集めた会議だ、出席者は高位貴族ばかりである。当然、その場の全員が正しく理解していた。そして、それが自分たちの利益になるのか、どうすれば利益に繋げられるのか、頭の中で猛然と考えを巡らせていた。
「……王と皇の例に倣えば、聖もオウと読むことになるのが自然だ」
「【聖女】でオウジョ、か」
「待て、ワンジョかも知れぬ」
神聖文字は神々の文字とも異界の文字と言われている。矮小な人間の身ではその全てを知ることなど到底叶わないこと、人々は憶測に憶測を重ねるしかなかった。
「王と聖が何らかの関連があるのなら【王子】ならぬ【
「待て、ワンコかも知れぬ」
憶測に憶測を重ねるしかなかった。
議論は進むが、結論は出ない。そんな重苦しい空気を打ち破ったのは、扉を叩く音だった。
「失礼します、【祈祷師】の方をお連れしました」
「む。よし、入れ」
衛兵に囲まれ、一人の男が入室する。線が細く、髪の長い、どことなく生気のない男だ。
「貴方には、この神聖文字について
書記の言葉に男は一つ頷くと、すぐさま仕事に取り掛かった。
「では、始めさせていただきます――Nei Sarak Mishog ta Uo Tosand Na……」
【祈祷師】は呪いによって様々な現象を引き起こすことのできる、呪術系の職業である。そして、特に高位の者は精霊をその身に降ろしたり、他の世界への
「――Na Sari An Armi……キエエ、キエエーーー!!!!」
長い、長い呪文。そして、突然の奇声。男が白目をむいて、がたがたと震え始める。
「ア、アアア……アア――」
全員が男の涎まみれの口元に集中する。
「――セ、イ……」
「おお!」
「セイ、か!?」
「待て、続きがある」
「ショウ……ヒ……ジリ……カク、スウ……ジュウサン……」
突如、がくりと頭が下がったかと思うと、男が粗い呼吸を取り戻した。
「ハア、ハア……このように出ました」
憔悴しきった男は、その言葉だけを絞り出すので精一杯のようだった。無理もない、たった数分の祈祷で別人のように老けて見えた。
「うむ、よくやった」
「実に見事よ」
一同が次々に称賛を口にする。
「分かっているだろうが、決して他言ないように」
祈祷師を下がらせ、話し合いは再開した。
「『異界渡り』、何度見ても異様な技よ」
「うむ、命を削るとは正にあのこと」
冷や汗を拭きながら、異能の技の感想を交わす。
「だが、助かった。セイ、ショウ、それにヒジリか?」
「長官、どう考える?」
「そうですな。正式な調査は後日として、とりあえずはセイを採用しておくのはどうでしょう?」
「うむ」
「異存ない。とすると【聖女】、セイジョか」
「【王女】、【聖女】……ふむ」
「【王子】なら【聖子】、セイジか」
「待て、セイシかも知れぬ」
読みが定まったことで、議論にも一層熱が入った。
「【聖女】という書かれ方からして、聖は立場、役職、形容」
「だから、それがどういう意味なのかが問題なのだろう」
「あるいは……王とどう関連するのか」
「【剣王】、【魔導王】などの職業はあるが、文字自体に王の入った職業など聞いたこともないぞ」
「それこそ【国王】くらいではないのか」
古くは【狂戦士】といった職業の記録もあったが、時代の波に飲まれ今では見られなくなっていた。
「神聖文字全体で考えても皇、全、凰くらいでは?」
「待て、珍もある」
「玉も含むなら国、璧……」
「待て、宝もある」
議論はいよいよ佳境を迎えていた。
「そういえば当人の能力値は精神の値が高く、ついで魔力、他は並かそれ以下でしたな。似たような構成なのは神官ですが」
「つまり神職ということか?」
「待て、それはおかしい」
一人の参加者が、ヒゲを撫でつけながら言った。
「女が神聖な訳がない」
オーランド王国は、男尊女卑の激しい国だった。
「間違いありませんな」
「女は不浄、神官は務まらぬ」
「精々が修道女でしょう」
同意の声が集まる。
「だが、王はどう説明する?」
「そういえば、古い文献で見た覚えがありますな。異界には『王の目、王の耳』と呼ばれる役職があったと」
「おお!」
「まさにそれではないか!」
「さすが長官どのよ。して、それはどのような官職なのだ?」
「はい、王に代わって代官を監視したり、市政に溶け込み情報を吸い上げる者だったと」
「……つまり間者か」
「しかし、『聖』に目は入ってないな。代わりに口はあるが」
「目も耳もあれば口もあるのが自然であろう」
「高い精神力は間者にとって重要な素質であろう」
「さらに、『王の耳はロバの耳』、という言葉もございます」
「ロバ? どういうことだ?」
「ロバといえば行商人、つまりその類の間者だろう」
「なるほど」
そのとき、一人の男が口を開いた。
「なるほど、我が呼ばれた意味が分かったわ」
これまで無言を貫いていた男の発言。そして、参加者たちも全てを理解した。
「たしかに、これは大公様の担当でございますな」
「王家の間者となれば、王弟におまかせするのが筋でしょう」
これは国王案件だ。あとは大公にまかせておけばよい。
だが、次の発言は彼らの理解の外にあった。
「【聖女】は、その能力値から鑑みて修道女である」
「なっ!?」
「し、しかし……」
一同が言葉に詰まる。女が神聖なはずがない。だが、一体どういう……。
「この【聖女】は貴重な職業例であるからして、国として特別に保護することになるだろう。そうだな、後宮にある修道院に送られ、神に仕え何不自由なく一生を終えるだろう」
「おお!」
「確かに、そうですな」
「うむ、我が国始まって以来始めての職業だ。丁重に扱うと約束しよう」
その言葉で、話は決まった。彼女はきっと幸せな人生を送るだろう。決して自分たちの預かり知らないところで。そう、きっとあの【ネットバトラー】のように……。
その後、辛く苦しい訓練生活を強いられた【聖女】は間者として送り込まれた隣国で王子に見初められ幸せな結婚、結果として追放する形となったオーランド王国は神の加護を失い大国に飲まれて消えたという。
未知 一河 吉人 @109mt
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