初めて、ドキドキした
陽光が石畳を照らす昼下がり、カイルは退屈そうに武器屋の軒先に腰を下ろしていた。店の中では、ゼノスが店主とマニアックな武器談議に花を咲かせている。一度火がつくと長いのはいつものことだ。カイルはあきらめて、流れる雲を眺めながら相棒を待つことにした。
その平穏を切り裂いたのは、喉に張り付くような鋭い悲鳴だった。
「や、やめてください……っ!」
声のした方へ視線を向けると、路地の隅で茶髪の少女が身を縮めていた。その手首を、嫌な光沢のある甲冑に身を包んだ男が、万力のような力で掴み上げている。
「いーじゃねぇかよ、減るもんじゃなし!こちとら高貴な騎士様だぞ? 国を守ってる英雄なんだ。そんな俺様とお忍びでデートできるなんて、お前、一生の誉れだと思えよ?!」
男の口からは酒の臭いと、身勝手な傲慢さが溢れ出していた。 周囲の通行人たちは異変に気づきながらも、「騎士」という肩書きに怯え、関わり合いを避けるように足早に通り過ぎていく。
カイルは、山で獣の気配を察した時のように目を細めた。都会の複雑なルールは知らない。けれど、目の前の少女が震え、助けを求めている。その事実だけで、彼が動く理由には十分だった。
カイルは音もなく立ち上がると、無造作な足取りで男の背後へと歩み寄った。その瞳には、獲物を狙う野性味を帯びた、静かな怒りが宿っていた。
「…おい。その手を離せよ」
カイルの低く冷ややかな声が、路地に響いた。 男は苛立ちに顔を歪め、獲物を横取りしに来た少年を睨みつける。
「あぁん?…なんだてめぇ。俺が『騎士様』だって分かってて向かってきてんのか?
英雄に逆らうってことは、国に逆らうってことなんだよ!」
逆上した男が、酒のにおいを撒き散らしながら重たい拳を振り上げた。だが、山奥で猛獣を相手に育ったカイルにとって、その動きはあまりに鈍く、隙だらけだった。魔法を使うまでもない。
カイルは最小限の動きで拳をかわすと、踏み込みの一歩で男の懐へ潜り込んだ。
「……うるせぇよ。英雄が泣いてる女の子を脅すのか?」
空気を切り裂くような鋭い一撃が、男の顎を正確に撃ち抜いた。
「がっ……!?」
体が糸の切れた人形のように崩れ落ち、石畳に転がる。男が気絶したのを確認すると、カイルは関心なさそうに視線を外した。
震えていた少女に歩み寄り、その顔を覗き込む。 「……怪我、ねぇか?」 少女が呆然と頷くのを見て、カイルは「ならいい」とだけ短く呟き、何事もなかったかのように武器屋へと背を向けた。
「あの……! 待ってください!」
背後から響いた切実な声に、カイルの足が止まる。 振り返ると、少女が顔を真っ赤にしながら、必死の形相で頭を下げていた。
「ありがとうございました! 私、雑貨屋のコハルっていいます。本当に、本当に助かりました!」
精一杯の感謝を伝えると、彼女は恥ずかしさに耐えきれなくなったのか、小走りで自分の店の方へと駆けていった。その一生懸命に動く後ろ姿が、山で出会う小さな野ウサギやリスのように愛らしく見えて、カイルは目を離せなくなった。
不意に、胸の奥が騒がしくなる。
「……なんだ、これ」 今まで感じたことのない、心臓が跳ねるような奇妙な鼓動。
カイルは自分の胸元をぎゅっと掴み、少女が消えていった角をいつまでもじっと見つめていた。
それが「初恋」という名の魔法だと、今の彼はまだ知らない。
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