人生のもっちりとした部分

黄間友香

第1話 怠惰=もっちり

 今週末、本当に何もしなくて、ほとんど布団の上で過ごしていた。平日はバタついていてほとんど書けないんだし、せっかくの休日なんだから小説書けよ自分〜と思いながら漫画とか動画を見る手が止まらず、いつの間にか寝落ちしておりました。とっぷり日が暮れて夜になっている時のなんとも言えない気分ときたら。でも今回はなんか違ったんですよね。寝転がりすぎて腰とストレートネックが痛いなーとか考えつつのそのそベッドから起き上がり、顔を洗おうと己の顔を見て、この度気がついてしまいました! 人生のもっちりさは、怠惰から来るのだということに!(むくみはこの際置いておく!) もっちりを得るためにダラダラしているんですよ私たち!

 人の真理を見つけてしまった私を天才と呼んでもらっても構いませんことよ!? どうしよう、秘密に近づきすぎて抹消されちゃったりなんかしたら。(買い被りすぎ)


 ずーっと何かをすることができる回遊魚みたいなタイプの方がいるのはもちろん知っているし、もっちりしたくてもいろんな事情でできない人もいるかと思いますが、怠惰な部分が人生に必要な要素としてあまり含まれてない気がする。

 ガス欠にならなければそれに越したことは無いけど、私はもっちりが必要なのだ! ほんっとに何もしない、ひたすらに体力を回復していく日がないと回復できない、根源的なものがある。というか、それをしないと性格がブスになってしまう。そもそも最近、仕事で怒りまくる(出てくる成果物が、あまりにもひどい! とぷりぷりしながら直すので長時間労働という日々を数週間続けていた)こともあって、民度の悪いスレのごとき人格になってました。……あんまりスレとかよく分からないのにネット民ぶってみましたすみません。

 ところがどっこい、怠惰に1日を過ごしたことによって、己の心がもっちりしたのですよ! 心の潤いではなくて、弾力というかふっくら感というか。何もしなかったことによって、頭の中のギスギスした感情が消えた気がします。

 似たようなもので心の潤いがあると思うのですが、若干ベクトルが違う気がする。心の潤いは、何が楽しいことをしたりとか美味しいものを食べたりとか、買い物して好きなものを買うとかで満たされるものだと思うんですよね。なにか行動することで得られるものなので、何もしないわけではない。もっちりとは、外に出て何かをしてスッキリしよう! みたいなことでは解決できないと思うんです。ひたすら籠りにこもって、何もしないことでしか回復できないことがある。

 私の感覚だと、潤いの方に重きが置かれているから、もっちりするための儀式を毎週末やっていたらなんだか勿体無い気がします。でも、数ヶ月に一回、チャージの一日として設定するのは全然悪くない。今までだってこういう日はあったのですが、無駄にしてしまった感じがしてあんまり好きじゃなかったんですよね。でも、なんか急に許せる! 自分にはこの時間が必須であることを学んだので、そのほかの日々を全力で過ごすためにぐーたらするのは全然ありですよね!? そして、もっちりなしでも元気に走り続けられる回遊魚のごとき人たちに全リスペクトをば!


 たぶんあれよね、そういう動いてないとダメな、二十四時間働けますか? タイプの人たちはシャキシャキ感があるタイプなのではないか? きゅうりがもっちりしてたら「偽物……?」となるのと同じで、適当な感触みたいなのがあるのかもしれませんね。

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