奈落のチェロ弾き

ジミー

上 悲劇は静かにやってくる

 夜だ。


 黒い雲に覆われた、星なき空だ。


 僕は死んだ。


 死んだはずだった。


 お気に入りのチェロと共に。


 僕はしがないチェロ弾き。名はオスカー。ただのオスカー。


 僕は立っていた。


 闇の大口、と呼ばれる穴の前に。


 光すら通さない、底無しの黒を見て僕は思い出していた。


 すべてを失ったあの日のことを。







 僕は、森の演奏者だった。

 森の住民たちに音楽を聞かせたり、教えたりしている。

 あの日もいつも通り皆に音楽を聴かせていた。

 森の広場。切り株だらけの開けた広場。

 いつもと変わらず土臭く青臭い。

 太陽は、てっぺんで座していた。そして照らされるみんなの広場。

 そんな場所に、動物たちが行儀よく座っていた。

 犬にネズミ、テヌミやドズクや狸、熊に猫など種類は様々だ。

 その面々の中で僕は広場の中心にある大木の前に座っていた。

 何故ならば、今日は週に一回の演奏会。

 娯楽の少ない森での、皆の最大の楽しみだ。

 僕は、年期のはいったチェロをかまえる。

「センセぇ、今日は『ヨーゼフの喜劇』を弾いてよ。」

 狸がぽんぽこ腹を叩きながらリクエストする。

 調子のよいやつだ。だが可愛いやつでもある。

「いいよ、狸くん。最初は『ヨーゼフの喜劇』だ。」

 演奏を始める。僕は精一杯ギコギコとチェロを弾いた。

 僕の自慢のチェロはその威厳もあり、親しみもある響きを発してくれる。

 ヨーゼフの喜ばしい人生をドラマティックに弾いてやれば、みんな鳴き声をあげ喜んでくれた。

 それを見ると、たまらなくうれしくなってしまう。

 演奏が終わると雨のような歓声。

 演奏者の冥利につきる。幸せだった。



 その後、リクエストを何回かこなし演奏会は終了した。

 動物たちは拍手ではなく、それぞれの鳴き声などで僕を称えてくれる。

「先生、今日も素晴らしい演奏でした。」

 テヌミが赤い毛を震わせながら、僕を称賛してくれた。

 僕は顔が緩むのを抑え少し気取った顔をし、「そうだろう、そうだろう」と返事を返した。



 時は夕方。太陽はゆっくりの沈み辺りは橙に染まっていた。

「では僕はもう帰るよ、みんな今日は聴いてくれてありがとうね。」

 動物たちに手を振り帰る僕。

「先生」

 しかし、しゃがれた声に呼び止められ、老年の熊がぎこちない足でやってきた。

 彼は通称、熊爺。この森の長だ。

「先生、今日はうちに泊まりませんか?」

「え? なぜです?」

「オスカー先生。最近この森に魔物が出るらしいてね、

 夜行性らしくてな。昼には出ないのらしいのだが…………

 虎さえ喰ってしまう危ないやつじゃ。今日はもう遅い。うちに泊まった方がいいじゃろう。」

 熊爺は心配そうに、立派な爪で頭をかいた。

「いや大丈夫だよ。熊爺。あと家でチビどもが待ってるし。」

「しかしなぁ。心配なんじゃよ。ワシは。」

「いいよ、大丈夫さ。僕は足も早いし、出会ったらすぐ逃げるさ。じゃあまた明日ね。」

 僕はそう言うと、チェロを背負って皆に手を振り森の広場から出発した。

 これが人生でもっとも愚かな選択になるとは知らずに。



 僕は、森の獣道を歩く。

 いつも通りの道だ。

 辺りは暗くなったが慣れているのでわけなかった。

 口笛を吹いて、ズンズン帰路に着く。

 しばらく虫の声も聞こえてきて、自然のセッションを楽しんでいた。


 風が吹いてきた。



 変わらない緑の香り。



 少し肌寒い?



 初夏なのに?


 風邪かな?


 風が止まる。


 いつの間にやら、森は不自然なまで静かだった。



 珍しい? この森に音がなくなるなんて。



 その時すぐに走って家まで帰ればよかったのだ。



 もう遅かった。


 激痛。

 背中で木製のものが壊れる音がする。


 爪?  牙? 鋭いものが両肩に食い込んでいた。


 大事なチェロごと、貫かれる。


 弦が切れ、耳を掠めた。


 鋭い痛みに僕は焦る。



 獣の匂いとはまた違う臭さに嗚咽が止まらない。


 なにかが後ろから飛び乗ってくる。


 お、重い。


 そして臭い。


 腐った肉の匂い。


「なんだよ!!」 


 恐怖で後ろを向く。



 それは、黒い何かだった。



 醜いなにか、獣? まばらな歯がついた丸い口を大きくあける。


 そして僕は。



 首を噛みちぎられた。


 吹き出す赤。


 そして化物は黒い吐瀉物をはいて、

 僕を穢した。



 そして寒くなって。




 僕は目を閉じた。






 目が覚めると、満月が見えた。


 もう真夜中だ。






 仰向けに僕は寝ていた。背中で泥がぬかるんでる。

 とても気持ち悪い感触だ。

「チェロは!?」


 僕の魂を探す。

 よかった。チェロは無事である。

 なぜかいつもより艶やかに見えた。

「ふぅー」

 安心して深呼吸した。


 僕は体をさする、一つも傷がなかった。


 あれは夢だったのか? 

 けど服はズタズタで赤くて鉄の匂いがする。

 奇妙だ。


 やはり現実? さっきの化物はどこに?

 吐きかけられた黒いものは?

 辺りを見回すがなにもいない。

 ただ木の揺れる音と虫の声が聞こえるだけだった。

「帰らなくちゃ。」

 僕は立ち上がり再び帰路に着いた。家族の待つ家に。



 僕は森の外れにある我が家に到着した。

 家とはいうが立派なものではなく、壊れた風車小屋を勝手に借りているだけである。

「ただいま。」

 ボロボロの扉を開け、中に入った。

 そうすると、可愛い奴らがお出迎えしてくれる。

「おかえりなさいませ。せんせぇ。」 

「遅かったねぇ、せんせい」

「おいみんな先生が帰ってきたぞ。」

「せんせぇ汚れてるね、まずは水でも浴びたほうがいいねぇ。」

「せんせぇご飯食べようご飯ご飯」

 毛玉鼠のコルヒ達が僕を迎え入れた。

 十体以上の丸々に太った、手のひらサイズ毛の丸達が僕に集まる。


 僕たちは、小さい頃からの家族。

 例え森から追い出されても、チェロと彼らがいれば孤独を感じることはないだろう。

 しかし、今日は疲れた。

 僕は水ためた瓶からコップで水を汲み、ゴクゴクと一気に飲んだ。

「今日は疲れたよ。もう寝ちゃおうかな。」

「えーせんせぇ練習しないの? 一曲聴きたいよ」

「そうだよ、ボクたちはそれを聴くのが楽しみなのにぃ。」

 毛玉たちはピィピィ、キィキィと鳴き出す。

 僕はため息をついた。

「しょうがない、一曲だけだぞ?」


「やったー」「さすがせんせぇ」 「これがなくちゃあ」

   「ピイピイ」 「やった やったよ」

 と歓声が湧いた。僕は気分が少しよくなった。



 小さなお客さんを前に僕は弾き始める。

 曲は『月鼠の進行』皆が好きな曲であり、とてもポピュラーな曲で初心者用の曲だ。

 しかし、シンプルゆえに奥が深くこの曲を聴くだけでその奏者の実力をはかれるといわれる曲でもある。


 最初はソロリ、ソロリと繊細に、月鼠がクレーターから静かに出てくるように、繊細に弓をひく。



 ピイピイ ピイピイ

 毛玉の合いの手でこっちの気分もよくなる。



 至るところから出てくる月鼠というイメージがはっきり見え徐々に弓の動きが活発になる。


 ピィ ピイピイ ピイピイ



 そして進行が始まる。まさしく運動会のごとく。

 曲の最高調だ。腕だけでなく体も縦に横に動く、動く。



 ピイピイ……ピイピイ

 なぜか調子が良い。音がいつもより体に入り込むように響く。



 ………ピイピイ

 グチャ……


 相棒のチェロは、とても調子いい。

 滑る滑る。


 ぐピイ……ぐ…………グチャ……グチヤ


 生臭い匂いがする。

 しかし関係ない。

 僕は激しくギコギコと弾いた。


 ピイピヒィ…………ギィチ…………


 月うさぎの餅を奪うために、進行せよ。


 ………………ビァ……


 感情が入る。月鼠は綺麗な隊列をつくり、前へ進むのだろう。

 なにも見えない。音しか見えない


 ビキィピ………………ィ…………………………。


 クライマックス。月鼠の進行が最高速。

 そして止まった。

 月鼠のマーチはここで終わる。


 ………………………………………………。


 静寂。拍手はなかった。


 ……………………。



 そして目の前は、血の海であった。


 可愛い家族は、共食いで全滅していた。

 気づけば朝だった。






「……なんで?」

 僕はチェロを抱きうずくまった。

 だってこんなのありえない、そうだよ。

 こんな地獄絵図のような血塗れ。

 この血だまりが可愛いアイツらのわけがない。



 僕は走る。助けを呼ぶために。


 森の広場に行けば、皆いる。

 物知りの熊爺もいるはずだ。

 皆起きているはずだ。

 足をこれでもかと動かし、森の道を走る。

 草や枝で体に切り傷などがつく、そんなの関係ない、痛みも麻痺していた。


「熊爺! クマジィィイ!!」

 僕は叫ぶように、呼んだ。

 他の動物たちも驚きこっちを見る。

「オスカー? どうしたんだい?」

 僕に優しく、問いかける。

 説明しなくては、あの惨状を、なんとかしてもらわなくては。


 しかし…………



 僕の体は……




 勝手に動き、チェロを構えたのだった。


「お? オスカーせんせいのゲリラライブかい?」

 狸は逆立ちして喜ぶ。

「おお!なんて楽しみなんだ、朝から聴けるとは」

 他の動物は歓喜の声で騒ぎだした。

 熊爺も最初は心配そうにしていたが、チェロを構えた私を見て温和な笑顔を浮かべた。


 違う、皆違うんだ。

 僕は、弾こうとはしてないのに。




 そして、腕が動く。

 チェロに弓をあてがい、始まる。



 エードズ・ビリオンの第2交響曲「レクイエム」が……


 最初の子守唄のようなしらべから奏でる。


 そして徐々に盛り上がる曲。


 ドラマティックに盛り上げていく、作曲者が賑やかに死後送ってほしいと願ってつくられたこの曲は、とても………………心が沸き立った。



 目を閉じて、戦慄に身を任せ、この14分ほどの曲を無意識に弾いていた。


 僕はただ腕を動かす、緑の匂いに生臭いなにかが混じる。


 歓声が悲鳴? いや狂った喜びになる。



 そして緑が赤黒く吹き出し染まる、朝の広場は混沌に沈んだ。

 

 すべてすべてすべて。


 幸せのかたち。



 崩れ。


 何もかも失う。






 僕は、歩いていた。

 チェロを、引きずるようにもつ。山を超え、谷を超え…………


 そして着いたのだこの奈落への大穴に。

 伝説の神ですら恐れる空間の入り口。


 僕は呪われ、穢され、仲間や家族を失った。

 あろうことか音楽を、それを楽しむ心を……


 僕はただ死ぬまで森で音楽を、皆で楽しみたかっただけなのに


 僕は皆の顔を頭にうかべ、穴に吸い込まれるように落ちた。


 そして全ては黒に染まった。

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