【短編ホラー】宅配便

岩名理子

第1話

「格安の物件ですよ。しかもマンションの最上階、南向き、日当たり良好という好条件です」


 不動産屋のセールストークだとわかりつつも、惹かれてしまう。駅だけは少し遠かったが、スーパーコンビニ、加えてドラッグストアが近い。さらに鉄筋コンクリート造りの比較的築年数も新しい点も高ポイントだった。


 家賃は事前に調べた。この辺りの相場の半額とまではいかないが、三割ほど安い。

 彼の顔を見る。すでにここに住むことを決めていたかのような、満足気な笑みを浮かべていた。


 不動産屋の店舗にもどり、重要事項の説明を受ける。その中に、ひとつ気になる文面があった。


――ポストと玄関のドアプレートに、必ず名前をフルネームで明示すること。


「どうしてですか?」


 思わず口をついてしまった。他の物件にはなかった文面だ。

 

「宅配の方が困ってしまうからですよ。配達するときに、名前を確認できないと間違えますよね」


 昨今、個人情報の保護もあり、フルネームを明示する人の方が少ない。むしろ、そうやってポストに名前を記載することで犯罪に巻き込まれるリスクの方が高い気がする。そう思い、私はポストやドアプレートの明示はしなくても良いのでは? と、申し出た。


「しかし」

 

 宅建士は困った顔を浮かべながら、強い口調でいった。


「そこに誰が住んでいるかわからないと、困りますから」

「でも、入居情報はもう契約した時点でわかるじゃないですか。それなら別にポストに記載しなくてもいいと思いますけど」

「家主様からのご要望です。どうしてもこの点が難しければ、他の物件もございますから……」


 これから他の物件を探そうという気分にはなれない。

 あの物件に二人で住むんだという思いがすでに芽生え、いまさら他を回ったところで満足できる気がしない。ただネームプレートに名前を掲示するだけ……。多少の違和感は残るが目を瞑ることにした。契約書にサインをする。

 

 とたんに、宅建士の表情が険しいものになった。

 

「こちらの文面は必ず守って下さい」と。


 念のため、引っ越しの際に他の住人のネームプレートやポストをさっと確認する。空き部屋を除いて、全員が名前をつけていた。洗濯物やメーターが回っていることから、一致している。どうやら規約を破っている人などいないようだ。仕方ないか、と私も手書きでネームプレートに名前を書こうとした。するとそれを見ていた彼が後ろから声をかけてきた。


「俺の名前は書かないで」

「ダメよ、そういう契約でしょう? 守らなくて追い出されたらどうするの」

「どうせバレやしないって。どうしても書きたいなら自分だけ書いたら」


 こういう時、彼は私がどれだけ説得しようとしても聴く耳を持たない。確かに、ポストもドアプレートも、さらにフルネームまで、なんて……。確かに神経質だなと思う。大家さんや不動産屋に何かをいわれたら、彼の名前を追加すればいいだけだ。そんな軽い気持ちで、悩んだ末に自分の名前だけ記載して貼っておいた。

 

 その夜、引っ越しのダンボールを開封していると、


 ピンポーン


 玄関チャイムが鳴った。

 ドアスコープを覗くと、誰もいない。

  

「お荷物ですよ」


 閉じたドア越しに曇った声が聞こえる。

 何? と思いもう一度覗き込むが誰もいない。

 

「お荷物ですよ」

 

 抑揚なくドアの向こうから再び告げられる。

 開けてはいけないと直感が働いた。

 

「今ちょっと手が汚れていて、玄関ドア前に置いてもらえますか」


 とっさにそういうと、玄関前にドサッと重い荷物が置かれる――いや、落とされた音がした。


 何が置かれたのか、ドアスコープからは把握できない。気配がないのに、まだ誰かいるのでは、開けたら何かが出てくるのでは。落とされたのはそもそも何だったのか。すべてが気持ち悪くて、玄関を開けることができない。


「ねえ、何か荷物が届いたみたいなんだけど」


 リビングへ戻り、彼を探した。リビングのソファーに座っていた。梱包されていたテレビを早々に出して、クイズ番組で笑っている。現実に戻った気がして、ほっと胸を撫でおろす。


「は? こんな時間に荷物なんて誰からだよ」

「知らない。でもさっき宅配業者がきてたし、玄関先に重い荷物が置かれた音がしたの」

「はいはい」


 めんどくさそうに立ち上がり、玄関へと向かっていく。

 サンダルを履き玄関ドアを開ける。廊下に出て――左右を確認して。


「何もないぞ」

「でも、さっき――なにか重そうな荷物がきてたのに」

「よそじゃないのか。うち宛てって、きちんと確認した?」 

 

 そういわれると確認はしていない。


 押し黙った私に対し、彼は舌打ちをして玄関を乱暴に閉めソファーへ戻った。じゃあ、なんだったのか。あれは――気のせいと片付けていいのだろうか。もしかして何かしらの事故物件ではないのか。不動産屋に電話をかけてみるが、誰もでない。こんな時間じゃあ、仕方がない話だ。


 検索してマンションの住所を調べる。

 でも、怪しいことなんて何も……それらしきことは何も出ない。


 お風呂に入って湯舟に浸かる。


 ピンポーン。


 またチャイムが聞こえた。

 彼が出るだろう、どうせテレビをみているのだから。

 

 さっきのことだって、考えすぎないようにしないと。

 お風呂の栓を抜こうとした瞬間、玄関チャイムが連続して鳴った。

 

 ピンポーン。

 ピンポーン。

 

「ちょっと! 宅配業者きてるってば!」


 お風呂から声をあげるが、返答はない。

 それどころか。

 

 ピンポーン。


 ピンポーン。


 ピンポーン。



 慌てて全身をバスタオルで拭き、雑にパジャマを着る。

 その間もチャイムは止まない。


 「ちょっと! どこにいるの⁉ お風呂なんだから、さすがに玄関出てよ」

 

 リビングに入るけれども、テレビがついたまま。

 

 彼の姿が見えない。

 

 ピンポーン、とまたチャイムが鳴った。


 視界の端に見えたものに、背筋が凍りそうになった。

 鍵……が、開いている!


 とっさに玄関に走ってドアノブを押さえシリンダーを回して施錠する。


 施錠した後で、はっと気づく。

 玄関の外にいたのが、チャイムに気づいた彼だったら……?

 

 開けようか。


 ピンポーン。


 でも、何か、何かがおかしい。

 鳴るはずがない、彼なら……ドアノブをまず回すはず。

 きっとドアを叩くはず。

 それに、それに……私の名前を読んだり、開けろよ、なんて……


 ピンポーン。

 

 リビングのテレビの音が止んだ。

 その後、ざざざ……と砂嵐の画面に切り替わる。


 チャイムも止んだ。 

 

「お荷物ですよ」

 

 玄関扉の向こうから、声が聞こえた。

 恐る恐るドアスコープを覗く。

 

 でも、やはり誰もいない。

 玄関先に取り付けた壁時計がさしていた時刻は23時。


 こんな時間に配達をするなんてあり得ない。

 スマホはリビングのテーブルの上。

 ここから離れて、スマホを取りに行こうか。

 彼はどこにいったのか。どうして玄関の鍵が開いていたのか。


「お荷物ですよ」

 

 先ほどと同じ声で。


「ベランダに置いておきますね」


 どさっとベランダに何かが落ちる音がした。一瞬息が止まる、そんなハズはない。あり得ない。


――だって、だってここはマンションの

 どこから、何が、落ちてきたというのだろうか。


 玄関から離れベランダにかけよる。夜なのでカーテンは閉めていた。届けられた荷物は何なのか、恐怖と好奇心が混ざり、カーテンをつかみながら、開けられないままでいる。確認した方が良いのか、止めた方が良いのか判断がつかない。


 ベランダから離れ彼を探す。

 トイレも洗面所も寝室も念のためベッドの下も。

 彼はどこにも見当たらない。



 万が一、あの音が――不安にかられ、カーテンを開けた。


 ベランダには異変がない。

 エアコンの室外機がいつも通り動いているだけだ。誰もいない、何もない。


ピンポーン。

ピンポーン。

ピンポーン。

ピンポーン。

ピンポーン……。

 

「間違えて配達してしまいましたので回収しますね」


 耳元ではっきりと聞こえた。

 祈るように朝を迎え、そのまま引っ越しをした。

 彼はあの日から消えたままだ。


 宅建士は違う人に変わっていた。

 前任者はと尋ねたら、いえませんと、たったそれだけ。

 もしかしたら、ポストに名前が無い人は……。


 考えすぎだと首を振る。


 知らないままの方が……。


 その時、ピンポーン。とチャイムが鳴った。



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