第2話

 ◆◆◆


 ――その日の夜、部屋の人たちがすやすやと眠っていることを確認して、暁華は昔培ったスキルを発動させる。


 忍び足は、何度目かの人生でくのいちととして覚えた技だ。


 どうやら今生でもきちんと使えるらしい、と胸を撫で下ろし、他のことを試すために誰もいないような場所を探す。


 たどり着いたのは、小さな庭園。


(ここなら大丈夫かな?)


 人の気配も感じられないし、この世界にいるかどうかはわからないが、魔物の気配もない。


(毎回、使えるかどうか確かめるのって緊張する)


 手のひらを上にして、暁華は炎の魔法を試した。ボッと勢いよく炎が飛び出したので、慌てて止める。


 こんなに強い炎が出たのは初めてだ。


(この身体、魔力が満ちている?)


 信じられない、とばかりに目を大きく見開く。


(中華風の世界は初めてだけど……魔法と相性がいいのかな?)


 水、氷、土、風、淡々と覚えていた魔法を試していくと、すべて問題なく使えた。


(……うん、やっぱり相性がいいのかも。習った魔法がこんなに使えるなんて……)


 十六歳の誕生日、記憶を取り戻してから行うこの確認は、いつもドキドキとする。使えない魔法や技があるかもしれない、と。


 だが、今のところ使えないものはなく、ほっと安堵の息を吐く。


「に、しても……」


 この中華風の世界で、この力をどうやって活かしていけばいいのか……と思考を巡らせている暁華の耳に足音が届いた。


「……奇妙な術を使う。そなた、何者だ?」


 今日は月が出ていない。


 新月のため星の瞬きだけが二人を照らす。


「……何者だと思いますか?」

「質問を質問で返すな。そなたのことを聞いているんだ」


 怒気を含んだ声を聞いて、暁華は肩をすくめた。


「本日、十六歳の誕生日に後宮入りした林暁華です」

「林家の者か。このような奇妙な術を使う娘だとは聞いていなかったが……?」

「知らなくて当然ですわ。だって、この力は本日目覚めたものですから」


 果たして見えているかはわからないが、声の主に笑ってみせる暁華は、ポゥ、と柔らかい光を手のひらに浮かべると、その光が二人の姿をはっきりと見せる。


 長い漆黒の髪は下ろされ、アメシストのような輝きを持つ切れ長の瞳は澄んでいて、吸い込まれそうだ。


(後宮内に男性がいるとしたら宦官か——または皇帝だっけ?)


 声からして男性だと考えていた。その考えは合っていたが、まさかと目を瞠る。


「陛下、ですか?」

「いかにも」


 中華後宮のことはよく知らないが、お気に入りの女性のもとで過ごすものだと思っていたので、こんな場所で出会うとは思いもしなかった。


「……そなたは、仙女なのか?」

「いいえ、人間です。ただ……ちょっとした天才なだけですわ」


 茶目っ気たっぷりに笑う暁華を、彼はまぶしそうに目を細めて見据える。


「天才なら、そのような術も使えるのか?」

「どうでしょう。私のこれはそこそこ特殊な事情がございますので……」

「そうか……」


 どこか残念そうに肩を落とす彼を眺め、暁華は首をかしげた。なにか特殊な力がほしい理由でもあるのだろうか、と考えて軽く頬をかいた。


(好奇心は猫を殺すっていうし、あんまり関わらないほうがいいよね)


 十六年生きた記憶はあるが、後宮のことはさっぱりとわからない。そもそも、膨大な記憶を今日思い出したばかりなので、気持ちに余裕もない。


「そなたは……その力を使って、悪事を働く気はあるか?」

「しませんよ、そんな面倒なこと」


 暁華はキッパリと断言した。


「面倒なこと、か。……ならば、善行をするつもりはあるか?」

「えっ? 善行?」


 こくりと首肯する彼にびっくりして、暁華は目を丸くする。なぜそんなことを自分に尋ねるのだろうか、と。


「人とは違う力があるのならば、使いたくはならぬか?」


 ニヤリと片方の口の端を吊り上げる皇帝。


「もしかして……私に手伝ってほしいことがあるのでは?」

「察しがいいな。そういう女性は好みだ」

「……後宮には多くの女性がいますし、好みの女性はたくさん見つかりそうですが……」


 かもしれんな、と皇帝は笑った。その笑顔がどこか寂しそうに感じ、暁華の胸がなぜか騒ぐ。


「ところで、善行とはなにをさせるおつもりですか?」

「……近頃、おかしなことが後宮で続いていてな。そなたのその奇妙な術を使えば、原因を探れるのではないか?」


 笙鈴が言っていたことか、と顎に手を添えて思い返していると、皇帝が空を指した。


 指先を追って視線を動かすと、そこにはふわふわとなにかが浮いていた。あれはなんなのか、と目を凝らし眼光を鋭くさせる。


「あれは……いったい?」

「悪鬼だ。後宮内をうろうろしているモノ」


 口の中で悪鬼、と繰り返す。


(この世界の魔物ってところかな?)


 西洋風ファンタジーの世界では魔物、和風ファンタジーの世界ではあやかしと呼ばれていたモノ。


 もっとも、魔物とあやかしではいろいろ違うのだが。


「放っておいて大丈夫なのですか?」

「今のところは」


 なんとも微妙な返答だった。


 暁華は小さく肩をすくめ、空に向かって手を伸ばす。


(果たして効くんだろうか)


 ぽわ、と暁華の手のひらが淡く光った。


 その光はまっすぐに悪鬼へ向かっていく。


 光に貫かれ、悪鬼は音もなく消えていった。


(効くんだ、西洋風ファンタジーの世界で覚えた光魔法)


 試してみただけだが、予想以上の効果があった。これなら他の悪鬼にも効くかもしれない。


「……一撃とは。そもそもなんだ、さっきの術は」

「悪鬼に効きそうな光属性の術です。効くとは思いませんでした」


 アンデッドに効く魔法だから、もしかしたらと試した結果がこれだ。


 暁華は首筋に手を置いて、改めて皇帝を眺めた。


「ふたつの術を同時に使えるのか……」


 辺りを照らす明るい光の魔法と、悪鬼を浄化した魔法。


「ええ、まぁ……」


 その気になればさらに多くの魔法を同時に使えるが、それは黙っておこうと曖昧にうなずいた。


「気に入った」

「え? なにをですか?」

「そなたに命ずる。朕に手を貸せ」 


 いきなり命じられたことにギョッとして、暁華は彼を凝視する。


「その力、朕のために使うといい」


 胸を張る皇帝は、ぐいっと暁華の手首を掴み歩き始めた。


「陛下、それは……どういう意味ですか?」

「言葉通りの意味だが? その力を使わないのはもったいなかろう」


 くすりと笑う皇帝は、スタスタと早足で庭園を抜けていく。


「そなたの部屋はどこだ?」

「あちらです」


 記憶をたどって自分の部屋に案内すると、皇帝はただ黙って足を動かした。


 部屋まで着くと、あまり音を立てないように扉を開け、そのままひとつだけ空いている寝台に暁華を寝かせ、皇帝も横になった。


 どうして一緒の寝台で? と思わず変な声が出そうになった。口を手で押さえてなんとか堪え、ぎゅむっと抱きしめられ皇帝の体温が伝わってくる。


 その体温に眠気を誘われ、暁華はうとうとと船を漕ぎ始めた。


 だが、このまま眠っても大丈夫なのだろうかと不安を抱く。


 明日の朝、この部屋に皇帝がいることでみんなに驚かれるのではないか——。


 しかし、眠気が限界になってしまい、暁華はあっという間に夢の世界に旅立った。

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