人類飽和状態

@coffeesugar710

第1話 

 熱したフライパンのようなアスファルトから立ち上がる蜃気楼によって、坂の上の景色は歪んで見えた。
夏ももうすぐ終わるだろうというのに、太陽は、僕らを挟むかのように照りつけた。 錆びて思うように回らなくなったチェーンを、必死にペダルで回しながら、僕は彼女のもとに向かっていった。

 僕も彼女も、これといった目的があったわけではない。定期的に会うのが習慣となっていたため、こうして向かっているのだ。前回は一体何を話しただろう? 一体何をしたんだったっけ? 考えてみたが、思い出せない。そのくらい大した用ではないのだ。

 坂を半分ほど上ったところで、僕はとあるものに目が止まった。自販機だ。今となっては、僕たちの生活には欠かせないものだ。僕はあまりにも喉が渇いていたため、そこで飲み物を買うことにした。

 ラインナップとしては、お茶、水、スポーツドリンク、炭酸飲料、コーヒーなど様々なものがあった。

 僕はすかさず財布を取り出して、硬貨を数枚投入した。 スポーツドリンクの下のボタンを押すと、ゴトンゴトンという小気味よい音とともにスポーツドリンクが落ちてきた。
キャップを開け、傾けると、冷たい液体が喉を通り、潤してくれた。

  先人からの知恵で、途中で止まってはいけないということはわかっていたが、あまりにも喉が渇いていたため、思わず止まってしまった。今日の僕に、この坂を再び駆け上がる力は残っているのだろうか。なんだかこれからの苦労を考えると、もう今日はここで帰ってしまってもいいんじゃないかと思えてきた。

 しかし、今まで一度も欠かすことなく、あの場所に集まっていた僕たちにとって、今日のこの少しの過ちによって失われる関係性のことを考えると、諦めるわけにはいかなかった。この、何もいない、何もないこの街の中で、失うわけにはいかないつながりだった。


 僕は再び自転車に乗り込み、ペダルを動かし始めた。そもそも、なぜもっと楽な場所を選んで集まろうとしなかったのかは、今となっては不明だ。今日は、新たな集合場所について彼女と語るようにしようかと思う。 やっとの思いで坂を登り切ると、そこにはいつもの公園があった。遊具等は無い。ただベンチがあるだけの公園。その中でポツンと佇む、壁のない小屋のような建物のベンチに、彼女が座っていた。屋根と机とベンチしかない。その公園の一角に、僕たちはいつものように集まったのだ。

 「こんにちは。元気だったか?」


 「まぁ、ぼちぼち。そっちは?」


 「見ての通りだよ。ああ、そうだ。今日はこの集合場所について、ちょっと話そうと思ったんだ」


 「そう? どうしたの?」


 「何気なく決めたこの場所だけど、僕の家からはあまりにも遠くて、高すぎる位置にあると思うんだ。君はどのあたりに住んでいるんだっけ?」


 「話題を振ると見せかけて、住んでいる場所を特定しようとしているのなら、あまりにも浅はかだから、これ以上はやめたほうがいいと思う」

 僕の方としては、そういったつもりは一切なかったが、そこまで言われると、これ以上追究することができなかった。

 しかし、ここで黙ってしまえば、まるで彼女の先程の発言が、僕の今回の思惑のように思えて、このままただ黙るだけにはいかなかった。

 「君の家がここから遠かったり、低い位置にあるかどうかは、この際置いておくとして。今僕が問題提起しているのは、僕の家から見れば、この集合場所があまりにも遠くて、高い位置にあるということだ。特段深い理由がないのであれば、集合場所、改めてみないか」


 「そうね。ここには何もないし、夏は暑いし、冬は寒い。せっかくの機会だし、新しい集合場所でも探しましょうか」

 そう言って、僕たちは新たな楽園を求めて走り出した。といっても、あてもなくこの街をうろつくのは自殺行為に等しいため、この街の地理に詳しい先生の元を訪ねることにした。先生の家は、この公園から少し北に向かったところにあったはずだった。自転車にまたがり、先生の家を目指す。 先生の家にたどり着く頃には、僕より後ろを走っていたはずの彼女が、すでに到着していた。一体どんな方法を使ったのかは、あえて言及しない。

 「いやあ、よく来たね。数子ちゃんに理科くん。今日は一体どうしたんだ?」

 「僕たち、この坂の上の公園をいつも利用していたんですけど、どうにも最近、そこを不便に感じまして。新しい集合場所を探していたところなんです。社先生なら、どこか良い場所を知っているかなと思いまして」

 「集合場所か。そうだね。別に、ここを使ってくれても構わないけれど、そういうわけにはいかないのかい?」

 「先生の家に、ですか?」

 そういえば、この街の住人は、出会ってはいけないという決まりがあるかのように、滅多に遭遇することはなかった。集まって話すような内容も、行うような催し物もないため、必然的に集まることはなかった。みんな悪い人ではない。気が合わないわけでもない。ただ、そうすることが当然だと皆が思っているから、今までそうしてきたのだ。

 これは何かのきっかけかもしれない。僕は彼女と先生に相談した。

 「数子、社先生。みんなを集めて、花火大会をしませんか?」

 「花火大会? 花火なんて、どこかにあったかい?」

 「それは僕が用意しますよ。先生にはみんなへの連絡と、場所の提供をお願いしたいんです」

 「いいけど、急にどうしたんだい」

 「特に理由は無いですけど、そろそろ何かを変えないといけないと思いまして」
  

 「変える? 一体何を」

 「何もかもです。では、お願いします」

 「私は何をしたらいい?」

 「いつも通り、よろしくね」

 そう言って、僕は花火の調達に取り掛かった。花火大会の日程は決めていなかった。けれど、まるで最初から決まっていたかのように、その日は訪れた。 日が落ちて暗くなった頃、明かりに群がる虫のように、彼ら彼女らは集まった。いや、あまりにも失礼な表現だったかもしれない。

 「久しぶり、国枝ちゃん、英くん。今日は集まってくれてありがとう。連絡した通りだけど、理科くんが花火大会をしたいと言い出してね。面白そうだから、集まってもらったんだ。仕入れはどうだった?」

 「バッチリです。皆さんには、今日は楽しんで帰ってもらおうと思ってます」

 「花火なんて、いつぶりかしらね。よく用意できたわね、理科くん」

 「本当だよ。毎度毎度、君の行動力には驚かされるな」

  国枝さんと英さんを見たのは、いつぶりだろうか。二人の顔を見られただけでも、今回花火大会を企画した甲斐があったというものだ。

 「花火だけでも充分楽しいと思うけれど、せっかくだからと思って、僕もこんなものを用意してみたよ」

 そう言って、社先生はキッチンからスイカを持ってきてくれた。

 「先生こそ、それどうしたの?」

 数子は不思議そうな目で、そのスイカを見ていた。

 「今年の夏が始まった時から、ずっと探していたんだよ。こんなこともあろうかと思ってね。まあ、早めに見つけたところですぐに食べないと腐ってしまうから、今日という日の直前に見つけることができて、本当によかったよ。さあ、みんなで食べながら、花火でもしようじゃないか」

 風物詩的な意味で季節を味わったのは、いつぶりだろうか。冬も夏も秋も春も、ただ過ぎていくばかりで、暑いだの、寒いだの、花粉症だの、自分を取り巻く環境くらいでしかなかったが、こうしてみると、季節というのは何かのきっかけに過ぎないのかもしれない。

 「理科くん、花火を出してくれないか。僕も楽しみだったんだ」

 英さんにせかされて、僕はカバンから花火を取り出した。もちろん、線香花火から癇癪玉、打ち上げ花火と、様々なバリエーションを用意できたため、それは大いに盛り上がった。

 僕たちに残された理性と知性は、こういったものを楽しむために存在していたのかもしれない。こういったものだけを感じて、生きていけるような世の中で生きていきたいとさえ思うことができた。

 僕たち以外、存在しないこの街で、長い時を過ごしてきた。この街の中で、僕は初めてそう思えたのかもしれない。一体、いつから僕たちはこの街にいて、どれだけの時を過ごし、どんな目的で生きてきたのだったっけ。 僕は改めて思い出し、考え直し、これからの未来について、彼女と語り合っていかなければならないと、そう思った。

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