クラスの美少女と放課後の音楽室で~ゆっくり進む2人の関係
ルキノア
第1話 出会い
四月。都会の中高一貫校・
鷹栖は中高一貫校で中学から内部進学する生徒が多く、すでに人間関係が出来あがっている独特の空気がある。高校から入学するのはごく一部──その数少ない新規組のひとりが、
始業式から数日、校内はどこか浮き立った空気が残っている。
新しいクラス、新しい教室。だが、内部生たちの緩やかな輪の外側にいる玲は、ひっそりとした存在だった。
長めの黒髪が前髪にかかり、横顔の半分ほどを隠している。中性的な整った顔立ちだが、制服越しに見える肩幅はしっかりしていて、近づけば男子らしい体格がわかる。
それでも彼は教室の隅に座り、誰とも目を合わせない。
「高校から入った子?」「名前……月城くんだっけ?」「見た目良さそうだけど全然喋らないんだよな」
そんな噂が耳に入るたび、玲はそっと前髪に触れた。
中学の頃、周囲の期待や視線が重荷になった経験がある。だから目立たない方が楽だった。
それでも、ごく一部だけ玲に気さくに声をかけてくれる存在もいた。
同じクラスの
「なぁ月城、一緒に昼食わね? ひとりで昼飯食ってるとこ見たぞ〜」
「……見ないでほしいんだけど」
「見えるって! お前、隅っこでオーラ消しすぎなんだよ」
その軽口は、不思議と不快じゃなかった。
押しつけがましくなく、答えに迷えば待ってくれる。
内部生で友達が多い陽斗の明るさは、基本一人で居る玲にとって少し救いだった。
一方で、同じ学年で圧倒的に注目を浴びる存在がいる──
中学から鷹栖に通っている内部進学生で、成績優秀、運動もそつなくこなす、完璧な人気者。
長い黒髪にほんのり青のインナーカラー。
涼しげなまなざしと整った顔立ちがひときわ目を引く。
「藍原さんって中学の頃からずっと人気らしいよ」「告白すごかったって聞いた」
そんな声がどこからか聞こえる。
いつも柔らかい笑顔を見せるけれど、距離を保つのが上手な子──それが凛だった。
内部生として築き上げた友人関係の中にいながら、どこか深いところではひとりで立っているような静けさが見え隠れする。
その日の放課後。
凛は鞄を開けて、目を細めた。
「……鍵、忘れた」
友達はみんな部活へ。
教室にいれば誰かしらが声をかけてくる。
人気者は、静かにひとりになれる場所が思っている以上に少ない。
凛は小さく息をつき、鞄を肩にかけた。
──旧校舎の音楽室なら、誰も来ない。
中学の頃、ふと立ち寄ったことがあり、今でも時折立ち寄る。古くて静かで、誰にも見られない場所。
そういう場所が、今の凛には必要だった。
一方その頃──。
玲は昇降口を出たところで、スマホの画面に目を落とした。
母からのメッセージは特にない。けれど、朝の会話を思い出して足を止める。
『今日の夕方、家にお母さんの音楽関係の人が来るから、ちょっとバタバタするかも』
忙しそうに髪を結びながら、母はそう言っていた。
母の“音楽関係の知り合い”。
その言葉だけで、胸の奥にざわりと嫌な予感が広がる。
──きっと、またピアノの話になる。
褒められるのも、期待されるのも、もう十分だった。
家に帰れば、きっと自然とその話題になる。
そう思うだけで、足が無意識に引き返していた。
「……今日は、戻らなくていいか」
少しだけ、静かな場所で時間を潰したい。
そんな気持ちで、玲は校舎の方へ歩き出した。
向かったのは、人がほとんど来ない旧校舎。
ひっそりしていて、誰にも話しかけられない場所。
──旧校舎の奥に、まだ使われていない音楽室があったはずだ。
玲はその記憶を頼りに、静かな廊下を進んでいく。
同じ頃、凛もまた旧校舎へ向かっていた。
まだ互いを知らない二人が、同じ場所で、似たような少し違う孤独を抱えながら。
旧校舎に足を踏み入れた瞬間、空気がひんやりと変わるのがわかった。
夕方の光が細長い窓から差し込み、埃の粒を静かに照らしている。
玲は、人の気配のない廊下を歩きながら、手に持った楽譜の端を無意識に摘んだ。
(……ここなら、誰も来ない)
高校からの外部入学生である自分は、この学校の“空気”をまだ掴めずにいた。
中学から持ち上がったクラスメイトたちは、すでに関係が固まっている。
その輪の外にいるのは、別に辛くはない。
ただ、静かな場所のほうが居心地が良かった。
旧音楽室の前で足が止まる。
扉は古びていて、プレートの文字も薄くなっている。
「……入るだけ」
自分に言い聞かせるように小声で呟き、玲はそっとドアを押した。
きい、と金属が軋む。
中は薄暗く、誰もいない──はずだった。
だが、奥に置かれたグランドピアノがやけに存在感を放っていた。
黒い艶やかな天板は、外の光をかすかに反射し、どこか懐かしい匂いまで漂う。
玲は目を細め、その視線を外そうとした。
(別に弾くつもりなんて……)
その思考を断ち切るように、かすれた声が聞こえた。
「……ほんと、お母さん全然LINE見ない……」
玲は反射的に振り向く。
声の方向──ピアノの向こう側。
「……え?」
そこでようやく、誰かがいることに気づいた。
次の瞬間、ピアノの影から黒髪がゆっくりと持ち上がる。
長い髪の内側には、青いインナーカラーが光を受けて透けるように揺れた。
少し眠たげな目、軽いパーマのかかった前髪──。
藍原凛。
この学校で名の知られた存在が、まるで気を抜いた猫のように伏せていた姿で出てきたのだ。
「……あ、誰か来るとは……思わなかった」
凛が目を瞬く。
玲も同じだった。
まさかこんな場所で、こんな風に彼女と会うとは思っていない。
気まずい沈黙。
だが、凛の視線が玲の手元に落ちた瞬間、その静けさは破られる。
「それ……ピアノの楽譜?」
玲は反射的に紙を持ち直した。
「まあ……」
「やってた人?」
「……少しだけ」
凛は、ふむ、と首を傾ける。
「中学の頃のこと?
あ、でも──月城くんって外部入学生なんだよね。高校から来たって聞いた」
玲はわずかに驚く。
「知ってたのか」
「そりゃ、同じクラスだし。名前覚えるのくらい、普通でしょ?外部入学の人少ないから簡単だよ?」
その“普通”が玲にはなかった。
中学の頃は、名前を覚えられる側ではなかったから。
凛は続けた。
「中学から上がってきた子たちって、内輪で固まるし」
その現実をあっけらかんと言う姿に、玲は少しだけ肩の力が抜けた。
「まあ……そうかもね」
凛は軽く笑う。
「うん。だから、月城くんが楽譜持ってても変じゃないよ」
不思議と、その“変じゃない”という言葉に救われた気がした。
凛はポニーテールを結び直しながら、小さく呟く。
「……あたしは鍵、忘れちゃっただけなんだけどね」
「鍵?」
「うん。家入れないの。お母さんも仕事で家にいないし、連絡つかなくて」
その声は、さっきよりも少しだけ弱かった。
玲は言葉を探す。
「じゃあ……ここに?」
「そう。教室だと人が多いから。
誰かに見つかったら話しかけられるし……ちょっと、しんどくて」
人気者のはずの藍原凛が、そんなことを思っている。
そのギャップに玲は黙った。
凛は視線を落とし、膝を抱え直す。
「……ねえ、月城くん」
「なんだ」
「ちょっとだけ……そこにいてくれる?」
玲は驚いたが、断ろうとは思わなかった。
理由も聞かなかった。
「別にいいけど」
その答えに、凛は安心したように微笑んだ。
さっきまでの冷たい空気が、少しだけ温度を上げる。
凛は再びピアノの影へ戻り、静かにうずくまる。
玲は窓際に腰を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。
旧音楽室は、二人の呼吸の音だけが支配していた。
言葉は少ない。
けれど、その沈黙は不思議と心地よかった。
(……こんな時間も悪くない)
玲は楽譜を閉じ、黙って天井を見上げた。
その横で、凛は膝に頬を当てながら、小さく呟く。
「……ありがと」
聞こえないほどの声だったが、玲の耳には確かに届いた。
──この日が、二人の始まりだった。
お互いをまだ知らないまま、静かに重なった時間。
それが、物語の扉をゆっくりと開いていくことになる。
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