フラスコの中のちっちゃな恋はもうおしまい

鴻山みね

フラスコの中のちっちゃな恋はもうおしまい

ルリスのノート

第1話

   ルリスのノート。《Lelys' Notizbuch.》


 まずさいしょに。


 わたしがどこで生まれたのとか、どんな生活を送ってきたのとか、うーん……どんな〝人〟なのかとか、そういう長い時間の話はバツ。


 どうしたってみんなそんなつまらない話を知りたがるのかはわからないけど、わたしはニガテ。


 じっさいにわたしが長い時間の中のつまらない話を口から出ちゃうものなら、シルティはわたしの口に手をあててきて、息を止めようとしちゃうものなの。だからニガテというより、しゃべっちゃいけないの。


 シルティってだれ? さいしょだからどうしたってわからない人がこのペーパーにのってる。


 わたしって記憶がじゅうぶんに持たなくて、どうしたってすぐに忘れちゃう。でも、すべてを忘れちゃうわけじゃなくて、つまりその――つまらない話は覚えてるの。しっかり。


 だからいまやっているこれって、わたしのすぐに忘れちゃう記憶を助けるやり方なの。


 そういうわけだから、このノートのペーパーに書かれてることは『ほんとうにおきた』ことだけを書かないといけない――わかった? ルリス?


(もちろん!)《Doch!》


 このルリスちゃんはわかったみたい。目の前のルリスちゃんも忘れないでね。


(もちろん!)《Doch!》


 これじゃあ、ルリスが2いるみたい。ルリスは1だけ、増えないで。


(もちろ――)《Doc――》


 こんなお遊びもうバツ。今日の『ほんとうにおきた』ことを書くの、いますぐに。


 わたしとシルティは外に出掛けたの。大切な話を忘れてた……シルティはわたしのトモダチ。たまに忘れちゃうけど、すぐに思い出す。


 どんな見た目だっけ……顔はほこりをかぶってるみたいなの。でも、さいしょからじゃなくて、長い時間の中のつまらない話のなかではとても明るかった。いつもわたしに話をかけてくれたもの。口元がきらきらしてるってぐらい。いま暗いのはなんでなの?


 身長はわたしより大きい、それは変わらないかも。わたしは前よりおっきくなったから、シルティに手がとどかない大きさじゃなくなったけど、まだわたしの頭いっこぶんぐらい大きい。でも周りの人とくらべても、大きくはないからわたしより大きいってぐらい。触れるのはとてもうれしい。


 服はいつもローブをはおってる。つまらない話のなかでも、シルティはだいたい着てた。黒いローブで身体をぜーんぶ隠しちゃうの。頭は出てる――そうじゃないと前が見えないもの。わたしが覚えてる長い時間のなかだと、そのローブを楽しそうになびかせてた。気分がいいといつも。さいきんはやらなくなっちゃたみたい。


 そんなシルティといっしょに出掛けたの。


 いつもはあんまり外にはいかないの。ううん、わたしを連れてってくれない。記憶がよくわからないから覚えてないけど、身体が固くてうずうずしてるからそうだと思う。シルティもそんなうずうずをわかったみたい? 笑顔だった。口だけ笑ってた。


 いつもいる地下室からトコトコ階段をのぼって、シルティが手首に通してるカギから外に出たの。


 まぶしかった。明るかったから夜じゃない。外がどうなってるかは部屋からじゃどうしたってわからないもの。


 時計が部屋にあっても、何度も回り続けてたらもう昼なのか夜なのかわからない。地下室だから、外の明かりなんてぜんぜん届かないの。外はまぶしかったけど、シルティと出掛けられるなんていい気分だった。


 名前はたしか……フォ……フォルシュング……ハイム。そう、フォルシュングハイム。わたしとシルティが暮らしているところ。


 シルティみたいなローブをはおってる人がたまにいて、シルティに話しかけてきたりするのを目にした。全員じゃない。知ってる人? なの?

 相手の人とどんな会話をしてたっけ? ……たしかこんな話。



「やあ、シルティ。よい昼だね」

「――うっ! はい、よい昼ですね、ゲオルクさん」


 ゲオルクって人は丸い身体をしてて、見た目も中身もふわふわ柔らかそうなふんいき。シルティより声が大きくて、わたしはちょっと驚いちゃった。


「おっと、友達と買い物だったかね?」


 そうシルティに聞いていたんだけど、勝手にわたしがこたえちゃったの。だって、トモダチだって言われちゃったんだもの。


「そうみたいなの! シルティが外に連れてってくれるって、わたし楽しみ」

「……外に?」



 あごに手をあてながら顔を横にしたゲオルクに、シルティは急に大声で「わ、わあー! わああーーー!」って叫んだんの。

 わたしもゲオルクもびっくり。シルティに顔を向けたら、目がどうしたってぐらいにおっきくしていたの。ほこりをかぶったみたいな顔も、このときは吹き飛ばされちゃったみたい。



「ふぉ、フォルシュングハイムから『外に』ってことですよ、ゲオルクさん」

 ゲオルクは首を縦に振ってた「そうか、そうか。だが街から出るのはいいが、風が寒い時期になってる。あまり遠くに行って、帰りが遅くならないようにしたまえ。女の子でもあるのだからね」


「大丈夫ですよ。いざとなれば、錬金道具で暖を取りますから」

「それもそうか。まあ、だがね。君は錬金術師としては優れてるが……あまり君の友達の前で言うのも難だが、ふうむ……コミュニケーションに少々問題がある。学校では同じ学生同士であまり交流を取らないから、変な噂ばかり立っているのも知っているだろう。錬金学校の先生として君がそんな人間じゃないことはよくわかっている。学校外の友達とも遊ぶのはけっこう、自ずと知見が広がるしね。だがね、もう少し学校内でも友達を作ってくれたまえ。優秀とはいえ成績に響くし、楽しい学校生活を送るのも学生の役目なのだから。それにね、一般人は君と違って錬金術が――」



 途中から何を言ってるのか、聞くことすら忘れちゃった。話が長くて、長くて……わたしの長い時間の中のつまらない話を思い出しちゃうぐらいに長かった。


 気づいたときには、もうゲオルクはいなくなってて、シルティがとっても疲れた顔をしてたの。色のある赤や緑の石がくるくる回ってて機械を動かしてる街並みとは違って、色がなくて動くのをやめちゃったぐらいにシルティは頭を下に落としてたの。


 わたしはそんなシルティに聞いたの。どこに行くのかって。



「ねえ、シルティ。今日はどこに行くの? 何度かわたしたちはお出掛けしてるんでしょ? でも、わたしは忘れちゃってるから、どこに行くかぜんぜんわからない。目に見えるもの、なにも新しくてドキドキしちゃってるもの」


 下に落としていた重そうな頭でわたしを見たシルティは、さっき話してたときより低い声で疲れきちゃった見た目で話したの。


「……大丈夫だよ、ルリス。気にしないで。ちゃんと私についてくればいいから。はぐれないで、絶対に」

「もちろん。わたしとシルティはトモダチ。ずっと前からトモダチだもの。はぐれるなんてかなしい、いつもいっしょ!」



 シルティはじーっとわたしを見たあと、おっきなため息を吐いて背中を曲げたまま歩いたの。よくわかんないけど、元気じゃなかったの。


 どうして……?

 うーん……?

 読み直したら、わかった! ゲオルクの話がつまらなかったみたい。


(せいかい!)《Richtig!》


 ルリスちゃんはここでうなずいた。

 ルリスちゃ……じゃなくて、わたしは記憶がよくわかんないから、こうやって書いたのを読み直せば『ほんとうにおきた』ことをいつだって思い出せる。


 気づくのにどれくらい掛かったかな? 三日……? 一週間……? それとも一か月?


 だけど、考えたってしょうがないの。どうしたってもう思い出せないもの。早く書かなきゃ今日の記憶がなくなっちゃう――! 早く書いてルリスちゃん、バツ、バツ。


 どれくらい歩いたかはぜんぜんわからない。長いのか短いのかもぜんぜん。でも、どこかで座りたくなっちゃったの。疲れなんていないけど、せっかくのシルティとのお出掛けなのにどこにも寄らないで歩いてばかりなんて退屈でしょうがないもの。そう、わたしが座りたくなっちゃったのは、きっと歩いてばかりだったから。


(せいかい!)《Richtig!》


 もう歩きたくない、お買い物したい、ってわたしシルティに言ったの。



「もうすぐだから、もう少し歩いてよ。ルリスはお出掛けが好きなんでしょ――まあ、そりゃそうだよね」

「いや! シルティ歩いてばかり。お出掛けは楽しいけど、お店に寄った方がもっと楽しい。すぐに寄らないなら、わたしもうここで止まっちゃう」


 頭に手をあてながら左右に何回もふったシルティは、何かぶつぶつとひとりで言ったあと「わかった、わかった、わかったから、お茶を飲んで落ち着くってことでいい」近くのカフェに目を向けたの。

「初めてのお店、わたしドキドキしてる。カフェって飲み物があるんでしょ? お茶やコーヒーとか」

「……初めてのお店。そう、お茶とかコーヒーとか飲む場所。だけどルリス、わたしの傍から離れたり、勝手なこと言わないでよ。わかった?」



 わたしは頷いた、それはもう大きく。わたしの腰まである長い髪が後ろから前に飛んでっちゃうぐらいに。


 わたしとは反対にシルティって髪が短いんだけど、ボサボサなの。長い時間の中のつまらない話の時は、こんなにボサボサじゃなかった。そういう気分……なの?


 外の丸いテーブルのある席にわたしたちは座ったの。帽子をかぶった女の人が寄ってきて、「メニューはどうします?」って聞いてきたの。テーブルに置かれた硬いペーパーを手に取って、わたしはじーっと見た。



 シルティはすぐに「コーヒーを二つ」そう言ってた。



 だけど、わたしがじーっと文字の書かれたペーパーを見てたから帽子をかぶってる寄ってきた人はわたしを待っていたの。「コーヒー二つ、それだけでいいですよ」シルティは寄ってきた人にもう一度言ってたんだけど、寄ってきた人はわたしに顔を近づけてこう言った。



「何か他に頼みたいものある? 前はリーベスクノッヘンをとても美味しそうに食べてくれたけど、頼むならすぐに出せるわ」

「リーベスクノッヘン――いい名前。すてきな飲み物なの?」

「うふふ、リーベスクノッヘンは食べ物。前と同じ反応ね、そういう冗談流行ってるの?」

「わたしわからない。でも、『愛の骨Liebesknochen』すてきな名前だもの、すてきな食べ物なのはせいかいでしょ」

「ええ、正解だわ。あんなに美味しそうに食べてくれるかわいい子はあなただけ、フリル髪の天使ちゃん。えーっと、コーヒー二つとリーベスクノッヘン一つ――それでいいかしら?」



 帽子をかぶってる寄ってきた人はシルティにそう聞いたの。シルティの目はまた大きくなってたけど、「それでいいです」って首を何度も小さく縦にふってた。


 寄ってきた人がいなくなるとシルティは息を吐いてたの。疲れがいまやっと取れちゃったみたいな反応だった。きっとシルティも歩いて疲れてたみたい。ああ、ひとあんしん――って顔だった。


 それから何を話した? うーん……わかんない。


 どうしたって記憶にならないものってあるの。歩いてるだけなのとか、話してばっかりなのとか、そういうのなんて言うの……? うーん……だから、頭にトゲがささらないような時間は忘れちゃうってことなの。終わり!


 シルティと話したことはわかんないけど、帽子をかぶってる人がコーヒーとリーベスクノッヘンを持ってきたのは覚えてる。じゃあ――そこから話を始める!


(ぴったりせいかい!)《Genau Richtig!》


 コーヒーとリーベスクノッヘンがテーブルに置かれたあと、シルティはテーブルにある白い粉の入った容器を取ってコーヒーに十回ぐらいふりかけたの。それは何って聞いたら、「砂糖。甘い粉」って言ってた。それで『甘い』が気になったわたしは手のひらの上に二回ふりかけて舐めてみたの。


 感触をたしかめたら、わたしにも『甘い』がわかった。だからシルティにわたしは言ったの。



「シルティの言うとおり甘い味。わたしもシルティと同じで甘いのが好きみたい。変な感じなんてなくて、こんな感じだったみたいな味。わたしも入れる」



 わたしもシルティと同じに十回ぐらいコーヒーに砂糖をふりかけたの。

 甘いがわかって、すごく楽しかったの。甘い、甘い、甘い――そう何度も言って、わたしはコーヒーを飲んだの。


 そんなことをしてたから、リーベスクノッヘンのことを忘れちゃってて、コーヒーがなくなってやっと気づいたの。リーベスクノッヘンに。



「リーベスクノッヘン……これって、どんな味だと思う?」



 わたしはお皿に載った細いパンみたいな見た目のリーベスクノッヘンをちょっと触ったの。そしたら上にかかってる黒くて固くなってるのが擦れたみたいに指についたの。

 気になったからシルティに聞いたの。



「たいへんシルティ、指になんかついちゃった」



 でも、何も言わなかった。コーヒーを飲んでいたけど、口をカップから外しても黙ったままだったの。だからもう一度聞いたの。



「見てシルティ、指に黒いのがついちゃったの。どうしたらいい?」



 わたしは何度か聞いたんだけど、ぜんぜん答えなかったの。わたしの方は見ていたのに……うーん? もしかしたら見てなかったかもしれない。わからない。


 だけど、どうしたって反応してくれなかったの。


 どんな食べ物か気になってたのに、シルティが何も言わなくなっちゃったから、わたしもリーベスクノッヘンをただ見てることしかできなかった。それからどれくらいかわからないけど、大きな息といっしょにシルティが声を出したの。



「――その黒いのはチョコ。食べれるから、早く食べて」

「どんな味なの?」

「甘い味」



 わたしはやっとリーベスクノッヘンを食べた。そしたらほんとうにほんとうに、シルティの言うとおりで甘かった。



「コーヒーよりいっぱい甘い。それにふかふかしてる。シルティは食べなくていいの? 甘いの好きならシルティもきっと気に入ると思う」

「いらないよ。何度も食べてるし、それに――食べたい気分じゃないから。私のことなんて気にせず早く食べなよ、ルリスは好きなんでしょ、リーベスクノッヘン」

「そうみたい! シルティを待たせるのは悪いもの、わたし早く食べる」

「……そう」



 シルティを待たせないように、わたしはできるだけ早く食べた。そしたら帽子をかぶった人が「本当に美味しそうに食べるわね。サービスあげる」って言いながら、コーヒーをわたしたちのカップ入れたの。


 シルティは「いりませ――」って首を左右に振ってたけど、帽子をかぶった人は勝手にコーヒーを入れてた。



「いいの、いいの。それなりに来てくれてるんだから、気にしないで。それじゃあ、ごゆっくり」



 帽子をかぶった人はコーヒーを入れたあと、お店の中に入っていったの。

 わたしは「シルティはここによく来るの?」って聞いたんだけど、「たまに」としかシルティは言わなかった。


 『それなり』、『たまに』……。わたしにはどれくらいなのかよくわかんない。

 言葉って難しい。



 ……? ……?



 どうして、森の中にいるのか思い出せないの。カフェに寄ったあと、次に記憶にあったのが森の中だったの。


 上から光がうまくきてなくて、空は薄暗かった。周りにはたくさん木が生えてたから光が届かなくって、下の地面なんて真っ黒だったの。


 何度か転びそうになったんだけど、シルティはどんどん先に歩いて行っちゃって背中ばかり見えてた。


 暗いなんて書いたけど、ほんとうは青かった。『ほんとうにおきた』ことを書くんだから、しっかり書かないと。


(せいかい!)《Richtig!》


 森の中って青っぽい。暗くて青いの。だから、シルティの黒い頭は、上の部分だけうすーく青くなってた。


 そんな頭の上がちょっと青くなってたシルティも、ぴたっと止まったの。

 近くまで行って、シルティが見ていた地面を見たの。

 地面に大きな穴が開いてた。

 おっきな穴。人がすっぽり入っちゃうぐらいに、大きな穴。


 地面は真っ黒だったけど、もっと真っ黒。地下室でシルティに電気を消されたのと同じぐらいに、真っ黒。いっぱい真っ黒だったの。



 ……? ……? ……?



 その後の記憶はないみたい。どうしたって思い出せない。


 いま覚えてるのは、暗い夜にシルティの家のドアの前にわたしは立っていて、ドアを開けたらシルティがいて、シルティは目を大きくしていたってことだけ。

 それからわたしは地下室に入れられて、いまこうやって記憶をノートのペーパーに書いてる。だから今日の記憶はここまで!


 うーん……見返したら、今日はすごく外で遊んだみたい。またシルティと遊びたい。


 日付を書いておいたら、覚えれる? ルリスちゃん?


(もちろん!)《Doch!》


 カレンダーが地下室のどこかにあったと思う……。

 ――あった!


   きょうは、十一月十日。《Heute ist der 10. November.》

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