第6話

 その日の我が家のリビングは、珍しく賑やかだった。もう10年以上も会っていなかった貴子ちゃんが、久しぶりに訪ねてきてくれたのだ。その場には、高校生になったうちの娘もいた。

「ママたちって、昔から友達なんだよね?」

「うん、大学時代からずーっと」

 隣に座る貴子ちゃんと目を合わせる。彼女も「言う?」って感じで小さく笑った。

「実はね、ママたち、大学時代に……二人とも、牛だったのよ」

「ちょ、ちょっと待って!牛って何!?」

「私たち、大学のマスコットやっていたの。一代目が私で、二代目が貴子さん」

「そ、そうなんです。イベントがあるごとに着ぐるみを着て、踊って、手を振って、握手して、もう大変でした」

「可愛い牛のキャラクターよ。ちゃんと白黒模様のスカートはいて、つぶらな瞳で!モーモーちゃんていうの」

「え、ほんと?暑くなかった?」

「そりゃ暑いわよ、とても。でも、みんな喜んでくれたから、頑張れたわ」

「そうそう!手のところが蹄だったんです。だから中に入ったら、自分の手で物がつかめないんですよ」

「えーーー!? 何それ超ウケる!」

「それに着ぐるみを被るとあんまり外がよく見えないし、外の音も聞き取りにくいし、孤独なんですよ」

「ああ、そうなんだ」

「恥ずかしいんですけど、私、怖くなって泣いちゃったこともあるんですよ」

「あ、それ、覚えている。モーモーちゃんが大きな声で泣きながら戻って来たから、驚いちゃったわ。私はそこまで怖くなった経験はなかった」

「ママは呑気だから」

「でも、プロでもそうなること、あるらしいよ。そうならないために着ぐるみの頭の内側は明るい色にしているんだって。顔が見えないように黒い袋を被るっていうのは大失敗ね」

「そうそう、失敗と言えば、私の一番の失敗は、蜂よ」

「えっ?なにそれ、ママ、ミツバチハッチにでもなったの?」

「違うのよ、一生懸命、モーモーちゃんダンスをしていた時に、蜂が一匹、いやハエだったかもしれないんだけど、モーモーちゃんの頭の中に飛び込んできたの」

「ブーン、ブーンって、ママの頭の周りを飛んでたってこと?」

「そう。モーモーちゃんのままで病院に運ばれ頭を取られると顔じゅう蜂に刺されている、そんな姿が頭に浮かんできて、もうパニックになっちゃった」

「めちゃめちゃ、痛そう」

「でも、ダンスは、もう半泣きになりながら、なんとか最後まで頑張ったわ」

「偉い!ママにもプロ根性はあったんだ!」

「ダンスが終わったら、もう一直線に舞台裏に飛び込んだわ。『取って!頭を取って!』と声を限りに叫んだわ」

「で、蜂はどうだったの、ママ?」

「頭を外したら、もうどこかに飛んで行ったみたいで、見あたらなかった」

「そんなことがあったんですか?知りませんでした。でも、良かったですね、ご無事で」

「そう無事で、いや無事どころではなかったわ。もう悲惨、その直後、周りのみんなは腹を抱えて大爆笑された。床を転げ回る勢いで笑われた」

「翌日、廊下ですれ違ったら、いきなり口を押さえてプッと吹き出す子もいたんだから、もう、失礼でしょ!」

「でも、だれでも、絶対、笑うよ。その時のママ、見てみたかったなあ」

「打ち上げの時なんか、『取って!頭を取って!』って私のものまねがやられて大受け!もうあんなに笑われたこと、最初で最後だよね」

「いえ、いえ、まだまだこれからも、あると思うよ」

 リビングは笑い声でいっぱいになる。

 貴子ちゃんが少し得意げに言った。

「でもね、モーモーちゃんはめっちゃ人気ありましたね。学祭のときには“モーモーちゃーん!”って大歓声が上がるんですから」

「解る?そこまで喜んでもらえるのは、大変なことなんだよ。なんども経験して、なんども練習して、それでやっと可愛いっていってもらえるんだから」

「本当ですよ。私、二代目ですから、先輩に教えてもらってなんとか、やれるようになったんですから」

「ほんと?ドジっ子のママが教えたの?あり得ないよ」

「そんなことはないですよ。厳しくしっかり指導してもらえました。『着ぐるみ着ているんだから、普通に動いていたら目立たないよ。大きく、大きく動きなさい、おおげさにやって、それがちょうどいいんだよ』という先輩の言葉、今でもはっきり覚えていますから」

「そんなきついこと私、言っていたかしら?」

「だいたい、ママはいつもいうことがオーバーなんだよ。あそこのパフェはデカ盛りとか、あそこのラーメンは極旨とか、しょっちゅう言ってるけど、行ってみたらがっかりばっかだもの。まあ、信じて行ってる私も、私だけどね」

「そうしたら、次の時には『着ぐるみはでかいんだから目立つのよ、必要以上に動いちゃダメ。他の出演者のことも考えて控えめにしなさい』って怒られるんですよ。大きく動けとか、動くなとか、一体どうしたらいいのか、私は本気で悩んでしまいました」

「え?そんなこと言ってたの?覚えていないなあ、ごめんね」

「気がつかなかったの?やっぱりママは、昔っから、どっか抜けてたんだね」

「そんなことないわよ。私はいつも人の気持ち大切にして、気を使ってます」

「じゃ、お願いだから、私が学校でショックなことがあってめげて家に帰った時、『ねえ、聞いてよ、今日さ、パートでさ』とか、まくし立てるのはよしてね、そっとしておいてね」

「そんな時に言われた『その場を考えなさい。目立たなきゃいけない時、目立ったらいけない時どっちなの。もう、空気が読めないんだから』という言葉、心にしみました」

「その通りよ、空気を読むって大切。このまえ学校の三者面談の時、ママったら『この頃の高校生といったら………』という話になったら妙に興奮して延々としゃべり続けたでしょ。もう私たちの時間はすぎていて、次の人たちが待っていて、先生も本当の困っていて、気がつかなかったの?私、恥ずかしくってありゃしなかったわ」

「もう、うるさいわねえ、いちいち。でも、私、本当にそんな偉そうなこと言っていたの?恥ずかしいわ。許してね」

「何をおっしゃるんですか。その後の人生でもずいぶん役に立ったと感謝しているんですよ」

「確かにやっている本人は気がつかないけど、見ているとわかることってあるけど。でも、自分はできてなかったくせに、偉そうに言ってたなんて、自分で自分が嫌になるわ」

 こんな会話がいつまでも続いていた。が、不思議とそんなことが、みんな楽しかった遠い昔の青春物語になっていた。どこか懐かしくいい思い出を、一緒に過ごした大切な時間を、一緒に持っているんだ、それって、本当に素晴らしいことと気がつき、しみじみとした気分にひたっていた私だった。



 春の大学キャンパスで、入学式のあと、賑やかな学生会館の前に立つ娘の姿を見たとき、あぁ……娘もほんとに大学生になっちゃったんだなぁと思って、私は胸の奥がじんわり熱くなった。

 手を振ると気づいてニコッと笑ってくれる娘の少し大人びた顔つき、でも、それは、私にとってはやっぱり“昔牛だったママをゲラゲラ笑ってた子ども”のままだ。

「ママ!」

「入学おめでとう。ほんとに大学生だねぇ」

「ありがと。……でもさ、ここ、ママの大学だもんね。なんか不思議」

 そう、娘は私と同じ大学に進学したのだ。

 数日後、サークル勧誘のビラを手にした娘が帰宅して、リビングで私に見せてきた。

「ママ……これ、これがモーモーちゃん?」

「え?」

 そこには、牛のイラストがどーんと描かれ、下には「伝説のモーモーちゃん復活計画!」の文字が書いてある。

 娘はじーっとビラを見つめ、それからいたずらっぽく笑った。

「入っちゃおうかな?」

 私は、一瞬、躊躇した。

「やめたといたら?裏方人生一直線よ!どんなに一生懸命に頑張っても、そんな私を誰も知らないんだから。誰にも知られない努力なんてつまらないものよ」

「でも、パパはしっかり見守ってくれてたんでしょ?そして………」

「それはそうだけど。でも、ああ、もう一度、あの時代に戻りたい!着ぐるみなんかじゃなくて、私が晴れの舞台に立つのよ!みんなに可愛いっていわれて、私が言われるのよ、ちやほやされて………」

「おばさんのはかない夢ね。いったい、いつになったら目が覚めるのかしら?」

「………………」


 娘はどうも入ったらしい。

 こうして、モーモーちゃんは永遠に続いていくのね。

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好き!好き!モーモーちゃん 松本章太郎 @Kac3gtdsty

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