第三話 海に出た県、山を残す県
NEO埼玉県庁ヘリポートに、山梨県からの視察団が到着していた。
かつて内陸県同士として、どこか似た立場にあったはずの二県。
だが今、その距離は物理的にも、思想的にも決定的に開いている。
埼玉は――土の大地を捨てた。
山梨は――まだ捨てていない。
県庁舎は、メガフロート中央部に配置された多層構造体だった。
外壁は海水循環冷却装甲。内部は可変区画構造で、行政と軍事、民生と実験の境界が意図的に曖昧にされている。
もはや「県庁」という呼称は、実態を正確に表していなかった。
視察団を迎えたのは、
NEO埼玉県 副知事兼技術特区統括官――ハルオ・シマ。
白髪混じりの短髪。
穏やかな物腰だが、その目は常に数手先を計算している。
「ようこそNEO埼玉へ。かつて“海なし県”と呼ばれた場所の成れの果てです」
その隣を歩くのが、山梨県視察団団長、県政策企画部長・サトシ・クボだった。
彼は答えず、窓の外に広がる人工海を見つめている。
浮かぶ居住ブロック。
無人輸送艇。
警備ドローンの編隊。
「正直に言えば」
クボが口を開いた。
「我々は、“成功例”を見に来ました」
「でしょうね」
シマは即答する。
「土の大地を捨て、海に生きるという選択肢が、
地方自治体として成立するのかどうか」
「はい」
山梨は、山と水に恵まれている。
だが同時に、地震、土砂災害といった天災のリスクを抱えている。
もし“県そのものを移す”という発想が現実的なら――天災の無い大地に移れたら――
それは、決して他人事ではない。
「しかし」
クボは足を止め、シマを見た。
「我々が確認したいのは、インフラや財政指標だけではありません」
「ほう」
「なぜ、NEO埼玉県などという存在が、日本国政府に承認されたのか」
周囲の職員たちが、言葉なく足を止める。
「政府は何を狙っているのか」
「何を期待し、どこまでを許容しているのか」
クボの声は静かだったが、逃げ道を塞ぐ問いだった。
「この県は、もはや“自治体”の枠を超えて見える」
シマは、少しだけ笑った。
「ええ。我々自身も、そう認識しています」
巨大ホールの扉が開く。
空間中央に浮かび上がるのは、旧埼玉県全域の立体ホログラム。
東京都と群馬県に切り分けられた過去の土地。
そして、海上に浮かぶ現在のNEO埼玉。
「日本国政府が我々を承認した理由は、単純です」
シマは言った。
「実験場だからです」
「実験……」
「自治、経済、軍事、人口、エネルギー」
ホログラムが切り替わる。
「そして、国家の分割と再統合」
関東各県の境界線が、NEO埼玉を中心に浮かび上がる。
「もし、NEO埼玉が成功すれば?」
クボが問う。
「前例になります」
「失敗すれば?」
一拍の沈黙。
「……それもまた、前例です」
クボは、ホログラム中央に浮かぶ新しい県章を見据えた。
「我々が見ているのは、NEO埼玉の未来ではない」
「ええ」
シマは、淡々と答える。
「日本の未来です」
そのとき誰も気づかなかったが、
ホール天井近く――
壁紙に偽装された紙のように薄い盗撮ドローンが、一機貼り付いていた。
そのレンズは、ハルオ・シマとサトシ・クボ。
二人の表情を等しく、冷徹に記録していた。
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