義母になります、元婚約者様。

やこう

義母になります、元婚約者様。


「セシリア・ローランド公爵令嬢! 貴様との婚約を、今この時をもって破棄する!」


 建国記念パーティーの熱気が最高潮に達したその時、第一王子ジュリアスの怒声がホールに響き渡った。

 オーケストラの演奏が止まり、貴族たちのひそひそ話が波のように広がっていく。その中心で、私は手にしていた扇をゆっくりと閉じた。


「……理由は、お伺いしても?」


 努めて冷静に問いかける。私の目の前には、勝ち誇った顔のジュリアスと、その腕に弱々しくしがみつく男爵令嬢、リリアがいた。彼女は震えるような仕草を見せながら、その瞳の奥で私を嘲笑っている。


「理由だと? お前のその、可愛げのない態度だよ! 私が何をしても完璧な正論で突き放し、冷徹に監視する。お前は婚約者ではない、ただの教育係だ! リリアのように、私を立て、心から慕ってくれる愛らしさが欠片もない!」


 ジュリアスの言葉に、周囲から失笑が漏れる。

 無理もない。私は王妃になるための教育に心血を注ぎ、この愚かな王子の放蕩を裏で始末し続けてきた。彼が「完璧な王子」でいられたのは、私の事務処理能力と根回しがあったからこそだ。

 だが、彼はそれを「監視」と呼び、「可愛げがない」と切り捨てた。


「リリアこそが私の真実の愛であり、この国の次期王妃にふさわしい。氷の人形のような女に、王冠を冠る資格などない!」


 彼はリリアの肩を抱き寄せ、高らかに宣言する。

 公衆の面前での、一方的な婚約破棄。本来なら公爵家に対する重大な侮辱であり、泥沼の醜聞になるだろう。

 だが、私の心に湧き上がったのは、悲しみではなく、底冷えするような呆れだった。


「左様でございますか。真実の愛、結構なことですわね」

「ふん、強がりを! 地位も名誉も失い、誰からも愛されないお前が、この先どう惨めに生きていくか見ものだな!」


 嘲笑うジュリアスの顔を見つめ、私は優雅に、完璧な動作で膝を折った。これまでの教育が、意識せずとも私に最高礼を取らせる。


「殿下のご希望、しかと承りました。……どうか、そのお言葉を後で撤回なさいませんよう」

「はっ、誰が貴様のような女を二度と欲しがるものか! さっさと失せろ、この無能め!」


 背中でジュリアスの下卑た笑い声を浴びながら、私は一歩も乱れることなく会場を後にした。

 憐れみの視線が背中に刺さる。しかし、私の足取りは驚くほど軽い。


 ——無能なのは、私とあなたのどちらか。今に教えて差し上げますわ。


 私は馬車へ向かう足を変え、王宮のさらに深部——現国王陛下が私邸として使っている『黒獅子の宮』へと続く回廊へ、迷いなく踏み込んだ。





***






 喧騒を離れた王宮の奥。重厚な石造りの回廊は、冷ややかな空気に包まれていた。

 私のヒールの音だけが、無機質に響く。夜会会場で浴びせられた嘲笑も、ジュリアスの身勝手な怒声も、今となっては遠い国の出来事のように思えた。


 目指すのは、王宮の最北端に位置する『黒獅子の宮』。

 この国の現国王、アレクサンダー・フォン・グラン・ベルリアが私邸として使っている場所だ。


「公爵令嬢セシリア・ローランドです。陛下に、緊急の拝謁を」


 詰め所の衛兵たちは驚愕に目を見開いたが、私の瞳に宿る揺るぎない決意に、逆らう術を持たなかった。私は、つい数分前まで次期王妃と目されていた女だ。その威厳だけは、泥を塗られても損なわれることはない。


 通された執務室には、深夜だというのに書類の山と、一人の男がいた。


 アレクサンダー国王。

 戦場を紅蓮に染め上げ、数多の敵国を震え上がらせてきた「獅子王」。

 四十代前半という、男として最も脂の乗った盛り。鍛え上げられた強靭な肉体と、すべてを見透かすような黄金の瞳。

 彼は十二年前、最愛の王妃を流行り病で亡くして以来、一度も後妻を迎えていない。世間では「亡き妻を愛し抜く純愛の王」とも、「あまりに気難しく、並の女では寄り付くことすらできない暴君」とも囁かれている。


「……夜会を抜け出して、こんな場所へ何の用だ。公爵令嬢」


 地響きのような低音が、私の鼓膜を震わせる。彼は手にしたペンを置くことさえせず、書類に視線を落としたままだ。


「陛下に、ご報告に参りました。先ほど、ジュリアス殿下より公衆の面前で婚約破棄を言い渡されましたわ。理由は、私に『可愛げがない』からだそうです」


 部屋の空気が、一瞬で凍りついた。

 アレクサンダーがゆっくりと顔を上げる。その瞳には、隠しきれない不快感と、呆れが混じっていた。


「……あの馬鹿息子が。ようやく公爵家の後ろ盾を失う恐怖を忘れたか。それとも、女の涙に惑わされて脳が腐ったか」

「殿下には、私よりも愛らしい『真実の愛』が見つかったそうです。男爵令嬢のリリア様という、それはそれは可憐な方が」

「リリアだと? ……ああ、あの媚びた笑いしか能のない女か。セシリア、お前を教育係に付けて十年。あいつの頭の中身は、十年経っても花畑のままだったというわけか」


 アレクサンダーは深く溜息をつき、椅子に深く背を預けた。

 彼が独身を通している理由は、世間に流布しているような「純愛」だけではない。彼はかつて、私の父である公爵にこう漏らしていた。

『女たちは皆、私の前で震え、あるいは地位を求めて媚びを売る。人形と会話するのはもう飽きた。かつての妻のように、私を恐れず、面白い言葉を吐く女はもういないのか』


 アレクサンダーが求めるのは、美しい置物ではない。彼と対等に渡り合い、知的な刺激を与えてくれる「個」だ。


 彼は私を、射貫くような視線で見つめた。


「それで? 宰相の娘として、正式な抗議の申し入れか? それとも、女としての泣き寝入りか? ……いや、お前の目はそのどちらでもないな」

「はい。取引のご提案に参りました」


 私は、不敵に口角を上げた。

 その瞬間、アレクサンダーの眉がピクリと動く。


「取引だと?」

「はい。陛下、貴方は現在、周辺諸国からの再婚の打診に辟易しておいででしょう。王妃の座が空いていることで、無用な派閥争いが起き、貴方の執務時間は削られている。……違いますか?」

「……ほう。続けろ」


 アレクサンダーが初めてペンを置き、組んだ手の上に顎を乗せた。彼の中に、かすかな『好奇心』が芽生えたのを感じる。


「私を、貴方の王妃にしてください。……期間限定の契約でも構いませんわ」


 その言葉は、静かな室内に爆弾を投げ込んだに等しかった。

 普通なら、不敬罪で首が飛んでもおかしくない発言だ。だが、私は止まらない。


「私は十年間、次期王妃としての教育を完璧に受けて参りました。実務能力、礼儀作法、貴族間のネットワーク。どれをとっても、この国で私以上の適任はおりません。私を妻にすれば、陛下は煩わしい縁談から解放され、完璧な事務補佐を手に入れることができます。そして私は——私を侮辱したあの愚かな王子を、法的に完膚なきまで叩き潰す権力を得られる」


 アレクサンダーの瞳に、ギラリとした野性的な光が宿る。

 彼は椅子の背もたれから身を乗り出し、私との距離を詰めた。


「お前……。実の息子を、義母として踏みつけようというのか」

「ええ。彼が望んだ『真実の愛』とやらが、どれほど脆いものか。そして、彼が捨てた『可愛げのない女』が、どれほど彼の手の届かない高みにいるか。それを教え込んでやるのが、親としての教育ではありませんか?」


 沈黙が流れる。

 アレクサンダーの顔は無表情だったが、その喉が微かに震えていた。

 やがて、彼は低く笑い始めた。最初はかすかな漏れ出すような笑い、それが次第に、腹の底から響く高笑いへと変わっていく。


「っは、ははははは! 素晴らしい! セシリア、お前は本当に……最高に面白くない女だと思っていたが、とんだ勘違いだった! あんな馬鹿の隣で、これほどの毒を隠し持っていたとはな!」


 彼は立ち上がり、大股で私に歩み寄った。

 見上げるほどの体躯。獅子の如き威圧感。

 彼は大きな手で私の顎を持ち上げ、その黄金の瞳を私の目に固定した。


「気に入った。その不敬なまでの野心、その苛烈なまでの気高さ。……お前なら、私の隣にいても退屈させないだろう」

「光栄ですわ、陛下」

「だが、一つだけ訂正させろ。期間限定の契約などという甘い考えは捨てろ。私は一度手に入れた獲物は、骨までしゃぶり尽くす主義だ」


 陛下の唇が、私の耳元で熱く囁く。


「明日、全土に布告を出す。セシリア・ローランドは、私の最愛の王妃として迎え入れるとな。……ジュリアスがどんな顔をするか、今から楽しみでならないな」


 彼の大きな手が、私の腰を抱き寄せる。

 それは守るための手ではなく、決して逃がさないための檻のようだった。

 私は彼を恐れることなく、その広い胸に手を添えて微笑み返す。


「ええ。最高に『可愛げのない』再会を、プレゼントして差し上げましょう」


 獅子王の孤独な瞳に、久方ぶりの情熱が灯った。

 こうして、一人の令嬢の復讐劇は、国を揺るがす世紀の婚姻へと姿を変えたのである。





***






 一週間後。王宮の大聖堂は、異様な熱気に包まれていた。

 表向きは、第一王子ジュリアスが新たな婚約者——男爵令嬢リリアを正式に披露するための祝賀茶会。だが招待客たちの関心は、別のところにあった。

 

 夜会でのあの一件以来、ローランド公爵令嬢セシリアの姿が消えたのだ。

 誰もが「誇り高い公爵令嬢は、ショックのあまり引きこもったのだろう」と噂し、ジュリアスはその噂を聞くたびに鼻を鳴らしていた。


「リリア、見てごらん。あんなに威張り散らしていたセシリアも、今や日陰者だ。私に捨てられた女の末路なんて、そんなものだよ」

「うふふ、ジュリアス様。お姉様も、もっと素直になれば良かったのに。……でも、これでようやく私たちがこの国の主役になれますね」


 豪奢なソファに踏んり返るジュリアスの隣で、リリアが甘ったるい声を出す。

 ジュリアスはこの日、リリアを次期王妃候補として正式に承認させるだけでなく、自身の『立太子(次期国王としての指名)』を父王に迫るつもりでいた。セシリアという「重石」が取れた今、すべてが思い通りにいくと確信していたのだ。


 だが、その時だった。


 突如として、大聖堂の重厚な扉が跳ね上がるように開かれた。

 祝祭の音楽が止まり、列席した貴族たちが一斉に息を呑む。

 現れたのは、黄金の刺繍が施された漆黒の礼装に身を包んだ、この国の絶対君主——アレクサンダー国王だった。


 獅子王の如き威圧感に、ジュリアスが慌てて立ち上がる。

「父上! いらしてくださったのですね。さあ、こちらへ。私の新しい婚約者を紹介……」


 だが、ジュリアスの言葉は最後まで続かなかった。

 アレクサンダーの隣、その逞しい腕に手を添えて歩む女性の姿を見て、ジュリアスの顔から血の気が引いていく。


 銀糸の刺繍が施された、燃えるような真紅のドレス。

 それは王妃だけが着用を許される、最高級のシルクだった。

 結い上げた髪には、王家に伝わる守護石のティアラが輝いている。


「なっ……セ、セシリア……!? なぜ、お前がそこに……」


 ジュリアスの震える声が静寂の中に響く。

 私は、かつてこの男に向けたことのないような、慈愛に満ちた——そして最高に冷ややかな微笑みを浮かべた。


「お久しぶりですわ、ジュリアス殿下。一週間ぶりかしら?」

「ふ、ふざけるな! そのドレスは何だ! そのティアラは! 公爵家の権力を使って父上をたぶらかしたのか!? この、可愛げのない女がッ!」


 逆上したジュリアスが私に詰め寄ろうとした瞬間。

 アレクサンダーが、地響きのような声を発した。


「控えよ、ジュリアス」


 その一言だけで、ホール全体が凍りついた。

 アレクサンダーは私の腰を強引なほど引き寄せ、衆人環視の中で、私のこめかみに愛おしげに口づけを落としてみせた。


「私の妻に対し、随分な口の利き方だな。——貴様、自分の母親に対する礼儀も忘れたか?」


「は……? はは、ははは……今、何と? 母……親?」


 ジュリアスの口が、だらしなく開く。隣のリリアに至っては、あまりの衝撃に膝をつき、がたがたと震え始めていた。

 アレクサンダーは冷酷な黄金の瞳で、息子を見下ろした。


「昨日、私とセシリアは正式に婚姻の儀を執り行った。彼女は今日この時をもって、ベルリア王国の正妃であり、私の最愛の伴侶だ。つまり、貴様の『母』である」


 私は、一歩前へ出た。

 最高に優雅な所作で、呆然と立ち尽くす元婚約者へ向けて、扇を広げる。


「ごきげんよう、ジュリアス。いいえ、今日からは『息子』のジュリアス殿下とお呼びすべきかしら? ……さあ、甘えてもいいのですよ? お母様と呼んでごらんなさい」


「う、うあああああッ!!」


 ジュリアスが絶叫し、頭を抱えてその場に崩れ落ちた。

 かつて自分が「可愛げがない」と切り捨てた女が、自分を「息子」と呼び、逆らえない絶対的な権力者として目の前に君臨している。その事実に、彼のプライドは木っ端微塵に砕け散った。


「それから、リリア様だったかしら」

 私は、床にへたり込んだままのリリアを見下ろした。

「殿下と不貞を働き、あまつさえ公爵令嬢である私を夜会で侮辱した罪。……陛下、いかがいたしましょう?」


 アレクサンダーは、無造作に懐から一通の羊皮紙を取り出し、ジュリアスの足元に投げ捨てた。


「ジュリアス。貴様は王妃教育に私物化された予算を流用し、その男爵令嬢に贅沢をさせていたな。……さらに、ローランド公爵家との婚約を独断で破棄し、国益を著しく損なった。よって、貴様の立太子は白紙とする。継承権を剥奪し、追って沙汰があるまで北の離宮にて謹慎せよ」


「そんな……嘘だ、父上! 俺はあなたの息子だ!」

「息子なら、そこにいる母の言うことを聞くことだ。……おい、衛兵。この不敬な男と、その横にいる小娘を連れて行け。私の視界に入れるな。セシリアの目が汚れる」


 衛兵たちに左右から腕を掴まれ、ジュリアスとリリアが引きずられていく。

「離せ! 俺は王子だぞ!」「助けて、ジュリアス様!」という見苦しい叫び声が、遠ざかっていく。


 静まり返ったホールで、貴族たちは一斉に私に向けて跪いた。

 彼らの瞳にあるのは、もはや嘲笑ではない。圧倒的な強者への、深い畏怖だ。


 私は、腰に回されたアレクサンダーの手の熱さを感じながら、確信していた。

 ——ざまぁ、なんて言葉じゃ足りない。

 私を捨てたことを、あの男には一生、地獄の淵で後悔させてあげるのだ。


 アレクサンダーが私の耳元で、低く、独占欲に満ちた声を漏らす。

「満足か、我が王妃」

「ええ。ですが陛下……。教育には時間がかかりますわ。特に、出来の悪い『息子』には」


 私は、勝利の美酒よりも甘い微笑みを、最愛の夫へと捧げたのだった。





***





 嵐のような結婚式から、数ヶ月が過ぎた。

 ベルリア王国の社交界は、今や新王妃セシリアの話題で持ちきりだった。


彼女が王宮に上がってからというもの、停滞していた国政は劇的な速度で改善され、隣国との外交問題も次々と解決に向かっていたからだ。

 かつて彼女を「可愛げがない」と切り捨てた貴族たちは、今やその「冷徹なまでの完璧さ」こそが王妃にふさわしいと、手のひらを返して称賛している。


 そんな中、私は王宮のテラスで、手元に届いた報告書に目を通していた。


「北の修道院のジュリアス様から、また手紙が届いておりますわ。……『セシリア、君がいないと何も分からない。書類の書き方を教えてくれ、ここから出してくれ』。ふふ、相変わらず進歩のないこと」


 報告書を横に置く。

 ジュリアスは今、魔物も出る酷寒の北の地で、朝から晩まで労働と祈りに明け暮れる毎日を送っている。これまでは私がすべて代行していた「王族としての実務」を自分で行わなければならず、あまりの過酷さに毎日泣き喚いているらしい。

 一方、男爵令嬢のリリアは、彼を見捨てて別の貴族に擦り寄ろうとしたが、王妃を侮辱した「罪人の元共犯者」を拾う酔狂な男などおらず、今は下町の酒場で皿洗いをしながら、泥にまみれて暮らしているという。


「……まだ、あんな男の心配をしているのか?」


 背後から、低く、独占欲を孕んだ声がした。

 振り返るよりも早く、逞しい腕が私の腰を抱き寄せ、首筋に熱い吐息がかかる。アレクサンダー陛下だ。


「陛下。公務はよろしいのですか?」

「お前が昼寝の時間まで削って片付けてくれたおかげで、今の私にはたっぷりとした『王妃を愛でる時間』があるのだ。……その報告書は捨てろ。あんな男、もうお前の息子ですらない」


 アレクサンダー陛下は、私の手から無造作に紙を奪い取ると、それを灰皿へと投げ捨てた。

 彼は、ジュリアスが私のことを一日たりとも思い出さないよう、わざと一番過酷な環境へと叩き落としたのだ。


父親としての情など、この獅子王には微塵も存在しない。あるのは、ただ一つの「獲物」に対する凄まじい執着だけだった。


「陛下。あの方は一応、あなたの血を分けた息子様でしょう?」

「血など関係ない。お前を傷つけた時点で、私にとっては殺すべき敵と同じだ。……それとも何か? まだあんな愚か者に未練でもあるというのか」


 彼は私の顎をくいと持ち上げ、黄金の瞳で私を射抜いた。

 そこにあるのは、冷徹な王の顔ではなく、愛する女を片時も離したくないと願う、一人の男の熱情だ。


「まさか。私は今、世界で一番幸せな女ですわ。……これほどまでに私を『必要』としてくれる方の隣にいられるのですから」

「当たり前だ。お前は私の王妃であり、私の半身だ。契約だろうが何だろうが、私はお前を二度と手放さない。……セシリア、お前は可愛げがないと言われたそうだが、私にとってはこれほど愛らしい女はいない」


 彼はそう言って、深く、奪うような口づけを落とした。

 かつて、王妃教育という籠の中にいた私は、愛されることなど求めていなかった。ただ完璧であればそれでいいと思っていた。

 だが、この情熱的で強引な夫は、私の冷たい理性を、熱い独占欲で塗りつぶしていく。


「お前が望むなら、この国のすべてをお前の足元に跪かせよう。あの大馬鹿者が泣いて縋っても二度と届かない、最高に高貴で、最高に幸福な場所へ、私がお前を連れていく」


 彼の大きな手が、私の背中を愛おしげになぞる。

 復讐のために選んだ道だった。

 元婚約者を「息子」と呼んで絶望させるためだけに、私はこの王妃の座に就いたはずだった。

 けれど今、私の心を満たしているのは、復讐の快感だけではない。


「覚悟してくださいね、陛下。私、これでも結構、欲張りなんですのよ? ……王妃としての権力も、この国の未来も。そして——貴方の愛も。すべて、私のものにしなければ気が済みませんわ」


 私が挑発的に微笑むと、アレクサンダー陛下は満足そうに、獣のような獰猛な笑みを浮かべた。


「いいだろう。望むままに私を使い潰せ。……ただし、夜の時間は私のものだ」


 遠く北の地で、失ったものの大きさに絶望し続ける愚か者のことなど、もう記憶の片隅にも残っていない。

 私は、最強の獅子王の腕の中で、かつてないほど誇り高く、そして甘やかに、その身を預けた。


 「可愛げのない」王妃と、「苛烈な」獅子王。

 二人の物語は、これからもこの国を揺らしながら、永遠に続いていくのだ。




(完)


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