CAHLUA

緋西 皐

第1話 はじめての強盗

 林早志。といえば聞き覚えのある方もいるだろうか。ある企業の副代表及びとある政治家を援助していた。ここでそこを深く説明する必要はない。というのはすでに私は現世とは無縁だからだ。前世などここでは何の意味も持たない。


 異世界は賑やかな港町。花を飾った女が潮風にスカートを揺らす優雅な港町。欧米人に近い背丈恰好の気概もまた近い横暴が樽を運び酒を飲む豪快な港町。輝く日光、母性の月、自由を波立たせる海。華やかな煉瓦の街並みは歩くところ全てが美術館。

 そう全て――もちろん暗い、ネズミがネズミの死骸を貪る暗い、この裏路地さえも。今、そこで薬漬けになっていた婆がガキに犯されている。私は前世とは関係ないと言ったが、まさしくその通りだ。当たり前ではない。ただそういう町だ。


 私はほとんど生まれ変わりなど信じていない。だから花屋のガラスに反射した自分の幼体に震撼した。シナ人に暗殺されたと思ったら衛兵に殴られ、歩けば花屋、向こうにあるバラが泣いていると思えば、どうだ、これは私の血だった。

 ストリートチルドレン。親無し、家無し、金も力も無し。私の知っている異世界転生はこれほど悲観的なものではない。まぁ私はどこか嬉しくなってしまった。行き場が無いというのはどこまでも自然。自由だからな。


 私には仲間がいるらしい。今日もジョウロとマリオンに呼ばれた。この町には公園という公園は無い。だから裏路地の空き地がそうだ。すぐそこが風俗屋、あっちは薬屋。野良犬が爺の死体を食らっている隣りだ。ジョウロはゴミ山の頂点、私を見下していた。マリオンはその隣。


 「おい。掏って来たのかよ。50ゴールド」

 「こいつ、持ってねえぜ」

 「だったらおしおきが必要だな」


 じりじりと寄ってきた。また私を殴るのだろう。面倒ごとは面倒だ。今ここで波を立たせてこいつらから解放されても、社会から解放される術はない。大人しく殴られておく。これが一番だ。


 「生意気なんだよ!」

 「弁えろ!」


 萎びた腕と褪せた幼声が私を歪めようとする。どちらにもそれほどの力が無い。当たり前だ。この子たちはとにかく空腹だ。私が何も持ってこないから空腹だ。その当たり前の原理でさえこの子たちは知らない。なぜなら生まれた時からそうだからだ。

 痛くないと言えば嘘になる。まぁ私は三十後半の男だ。前世には息子がいた。息子の友達にこんな風の子供がいた。同情しているわけではないが、悲観はしている。私がここで反逆すれば、この社会を肯定したことになる。そこも気に食わない。

 しかしそういうのも何も考えずやってくる輩もいるものだ――ネズミの死骸にジョウロが血の線が浴びせられた。やったのは本人ではない。


 「おい。離せよ。殺すぞ」


 子供にしては完成された三角筋。裸足に肉が降りたような下腿三頭筋。幼顔とはかけ離れた首の太さ。まぁなんというか悪魔のように美しき肉体。天使のように無垢な邪悪な笑み。といったところか。

 マリオンはどこかへ去った。風貌幼性違う子供はまるで慈悲が無い。私を無視してマリオンを追おうとした。


 「やめろ」私はそれを止めたのだ。

 「助けてやった、、つもりはない。しかし止められるとイラつくな。なぜだ?」

 「彼は負けを認めた。これ以上する必要が無い」

 「本能の片割の理性じゃそうだろう。でもなぁ、もう片方は違う。野性は、復讐心は恐ろしいぜ?」

 「そうは見えないな」


 男はむしろマリオンがもう一度現れることを期待した、そんな怪物じみた笑みをした。ボロ家の影はそれを隠したつもりであろうが、あまりに男のほうが影が濃い。むしろ際立っていた。

 私は前世の天性と知恵ゆえに人の能力を一瞬で見抜ける。まぁこの男レベルとなると誰でもわかりたくなくともわかってしまうだろうが、この男は本物だ。


 「私の名はハヤシ。転生者だ。転生者の名ではロン。どちらでも好きに呼べ」

 「転生者? なんだそれ? まぁいいや。俺はクライム。なんだ、ついてくる気か?」

 「いいや。導くのさ」


 私がクライムを盗賊にしようと決めたのは彼の能力ゆえではない。私の愉悦のためだ。社会のために能力を扱うべきとは今更思わないし、かといって壊すために使おうとも思わない。それもそれで前者と同様だし。私はこの男の力が作る世の中を見たくなった――彼には秘めたカリスマ性がある。


 私はまずクライムに自分のことをいくらか説明するつもりだった。信頼を得るためだ。しかしいきなりそうされても拒絶されかねない。だから最も簡単な手法を、それでいて一石二鳥を提案した。


 「お腹が減ったから盗んでくる。よかったら一緒にどうだ?」

 「はは。そりゃあ良い」嫌な予感がする。


 した。

 私がパンを盗んで持ってきて、次はクライムの番だと言ったらパン屋の親父を殴り倒してしまった。人がすぐ集まってきた。


 「お前は馬鹿か」

 「何言ってんだ? これで好きなだけ盗める」

 「強盗だな。衛兵が来るぞ」

 「だったらそいつらも倒そう」


 脳筋が過ぎる。いくらクライムとはいえ衛兵を相手に勝てるわけがない。

 と思っていた私が間違っていた。衛兵三人。瞬殺だ。また増援が来た。加えて十人。同じく瞬殺。パン片手にだ。


 「雑魚ばっかだ。こりゃ、面白い」

 「次は衛兵長が来るらしい」

 「おい」

 「なんだ」

 「お前はあいつをやれ」

 「馬鹿言うな。私はただの子供だ」

 「できる」威圧ともとれる奇妙な眼差し。これがカリスマ性なのだろうか。


 私はその目だけで心を動かされてしまった。衛兵長と一緒にやってきた下っ端の衛兵。すでに剣を抜いている身長百七十八の男を相手にしないといけない。

 私はここで提唱する。転生者が能力が無ければ何もできないということはむしろ能力こそが気弱であることを意味すると。

 

 「な、なんだ?」私が前に出ると衛兵が私を敵視した。


 まず一つ私は得体の知れないガキだと思われなければならない。ゆえに皴一つ動かさない面持ちで衛兵から目を離さない。衛兵は視線を逸らせなくなる。このとき衛兵は一手遅れる。これは私をクライムと勘違いしているのも含まれる。スタートは彼の緊張の波が山へ到達する寸前、息を吸う瞬間――走る。

 次に衛兵は右利き。だからむしろ私は右へ。走力は子供にしては速い。衛兵からすれば途端に私が消えたように見える。二手遅れる。このとき視線は切る。私は衛兵を睨まない。気を少し隠すためだ。

 最後に右手。私の右手が衛兵の腰に掛かった短剣を抜き盗る。そして右足で踏切底を軸にして逆手持ちのまま勢いよく、衛兵の右外腹部へ突き刺さ――そうとすれば衛兵は咄嗟に右ひじで私を追い払おうとするので、それを潜る。このとき衛兵の重心は前にブレているため、左手で胸ぐら掴み、引っ張り倒すことができる。そうして短剣を顔面へ突き刺す。


 「までしなくていい。耳は貰うけど」

 「おお。やるじゃん」


 パチパチクライム。私は衛兵の右耳を投げ渡した。

 

 「舐めやがって。殺してやる」衛兵長、屈強な百八十の戦士が大剣を抜いた。


 さてクライム。どうする。その周りには衛兵が二人いる。衛兵はどちらも軽装備で衛兵長の援助だ。衛兵が前方左右から惹きつけ、そこを衛兵長の大剣が叩きつける。という作戦だろう。


 「やろう」クライムは二三度飛び跳ねてウォーミングアップ。


 真正面から衛兵長へ駆けた。子供の足の速さ、いや、人のスピードではない。まるで空間が歪んでいるとさえ思える迅速だ。それがびゅんと、衛兵長の前へ。

 しかし衛兵は驚かない。


 「ガキ!」

 「大人の罠なんだよなぁ!」


 衛兵は右の衛兵は盾でクライムを弾き、左はそこを剣で叩き下ろしにいく。クライムはそれをどうしたか?――盾を右手で砕き、そのまま衛兵を向かいの料理店までぶっ飛ばし、勢いそのままサッカーのオーバヘッドのように一回転、つま先からもう一人を蹴り落とすと地面に叩きつけた。


 「こいつまさか!」衛兵長は焦り噛みしめ大剣を振り落とす。


 クライムは着地。大剣は――もちろん真っ向から拳で粉々にした。もう一発で衛兵長をノックアウト。三秒でも十秒でも起き上がることは無いだろう。


 「こいつがこの町で一番強いやつか? カスだな」


 私は前言を撤回したい。クライムの能力は気弱では生ぬるい。畜生だ。

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