CUT「独自の法則」

ナカメグミ

CUT「独自の法則」

 日常生活の断片に、ほんの少しの皮肉と笑いが欲しい方へ(視聴条件・ああ、このようなひねくれた法則を繰り出すおばさんとは、一生涯、絶対に関わりたくないものだと、笑いとばしていたける方)。


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①「カフェで投資話をしている人たちの一発逆転は、まず、ない」

 

 ほとんどいつも行くカフェ。

 物価高、インフレの昨今。会社員以外の男女数人(若者、高齢者問わず)の話題は、たいていが投資話。「仮想通貨」「ビットコイン」「ネットワークビジネス(マルチ商法)」「FX」の尖った系から、「株」「外貨預金」「NISA」「iDeCo」「投資信託」「不動産投資」などの、比較的堅実派も。


 ただ漫然と持っていては、目減りするだけの手持ちの現金。みすみす減らしてなるものかという、強い気概を感じる熱弁が、あちこちで繰り広げられている。

 でも思う。おそらく彼ら、彼女らが、一発逆転の「億り人」になることは、まずないであろうと。


●根拠・その1) 本当に投資で稼いでいる人は、今この瞬間も、座り心地のよいゲーミングチェア的な椅子の前で、いくつか合わせた執務机に、最低3つは置かれたモニターで、刻々と変わる市況などをチェックしているはず(イメージ)。安価のカフェでお話している暇はない、はず。


●根拠・その2) アナログ派なら、本屋にあふれる各種投資本、投資家のバイブルである「会社四季報」、日本経済新聞などを徹底的に熟読するという孤独な作業を積み、勝負知識を得て、シミュレーションを行っているはず。やはり安価のカフェでお話をしている暇はない、と思われる。


●根拠・その3) 話のクオリティ、同じような文脈のリピート率の高さから、この中のだれかが、劇的な一発逆転アイデアを繰り出す可能性は低いのではないかと思われ・・・。成功者の投資セミナーなどに、全員で足を運んだ方が効率がよいのではないか、と思われる。


 という意味のない法則を考えている私が、1番効率の悪い人間である。


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②「眉間にシワを寄せ、大きくうなずく人は、相手の話を真剣に聞いていない」

 

 カフェでの女性2人の会話。1人が熱弁し、1人が聞き役。よく見る光景。

 兼ねてより思っていること。「聞き上手」と「聞いているふり上手」は別である、と。

 目の前の人の話を真剣に聞くということは、大変エネルギーを要する行為であり。

頭で相手の話を消化しつつ、次にたずねるべき質問を、相手が話しやすいように繰り出す。この脳味噌フル回転作業を、2つ同時に行うことであり。

 眉間のシワ、うなずきなどは、二の次、三の次。

 

 でも人間には、「ガス抜き」という、心の中にたまった毒を、話すことで放出して日々をやり過ごすという必要があり。

 この場合「聞いたふり上手」の方は、大変な社会貢献をしているのだなと、ひとり、眉間にシワを寄せて大きくうなずくおばさんなのであった。


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③「おじさんは言い直しが大好き」


 午後のカフェ。商談や打ち合わせを終えたと思われる、会社の上司と男女の部下などでにぎわう。

 

 会話を聞いていて思う。上司と思われるおじさんは、とにかく言い直しが大好き。若い部下の話をことごとく言い直し、マウントを取る。正直、その繰り返しのしつこさに、ハラハラする。

 

 「というかさ(っていうかさ)」「逆にさ(逆にいえばさ)」「っていうよりもさ(それよりもさ)」「言い換えればさ」のオンパレード。「だよね」「そうだよね」という同調の言葉は、おじさんの口から発せられない。

 

 目の前の部下よりも、長く生き、仕事をしてきたという自信と経験から、ひとひねりした良い言葉を繰り出したいという意欲。それはすごいと思うのです。

 でも実は、言い換えた中身は、それほどすごくはない。そして部下に響いていない。


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④「高級デパート(ブランド)の紙袋を持っている男女は誇らしげ」


 いつも行くカフェの近く。高級デパートやファッションビルが乱立する。

 中でも高齢女性の圧倒的な支持を誇る「三◯」。

 

 おばさんは、服装を装う気力がない。というか、服装を気遣うエネルギーを使ってしまうと、外出する気力がなくなる。

 でも、お世話になった方に贈る品物を買いに、たまに行く。


 デパートは、いわゆる装った人の買い物の場。ふさわしい装いで行ってこそ、敬意を払った接客サービスが受けられる。ファッションビルも、独特のドレスコードあり。今、ひたすらラフな格好で行ってもありがたがられるのは、インバウンド様だけである。

 

 不十分な装いのおばさんは、デパートやファッションビルで、場違いな場に来てしまったという敗北感を感じた経験が多々あり。

 だからこそ、デパートやブランド店の紙袋を誇らしげに持ち、カフェでひと休みする人たちに敏感だ。


 でも羨ましくはない。デパートに行かなくても、ファッションビルで服、買わなくても。別に死にはしないし。


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⑤「日記帳の年数は、生きる意欲」

 

 書店や文房具店。今の時期は、色とりどりのスケジュール帳が、ところせましと並ぶ。スマホのカレンダー機能で、スケジュールをシェアする習慣が全盛であっても、ペンで字を書くアナログ派が一定数いる喜び。仲間がいる。


 その横に、最近は、ちんまりと並ぶことが多い日記帳と家計簿。

日記帳は重くてかさばる。いつも手元に持つスマホのあらゆるアプリで、日常を記録し、シェアする人が多いのもうなずける。

 家計簿も、おそらく昭和の遺物になろう。エクセルで家計を見やすく管理する人も多い。おばさんも、母がため息をつきながら家計簿をつけていた姿が大嫌いで、家計簿はつけない。

 

 先日、スケジュール帳を選ぶ私の傍らを、杖をつき、歩くのにも大変苦労している高齢男性が通った。日記帳の売り場に行く。杖を棚に立てかける。そして両手に取ったのは、重厚な「10年日記帳」。おばさんでも重いだろう。心の中で叫ぶ。


 「ああ。この方は、傍目には不自由と思われるこのお体の中に、あと10年は生きる、もしくは生きたいという確固たる意志を持っている」。


 男性は結局、より薄い「5年日記帳」を持って、杖をついてレジに向かった。この日の外は、雪の上に雨が降った。スケートリンクを超える、滑りやすい歩道。

 日記帳を閉まったカバンを斜めがけした男性。無事に家にたどり着き、来年の日記を記せることを祈ります。


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⑥「テレビ塔の見え方は、日によってちがう」


 夕方。カフェか本屋を出る。テレビ塔がある。見上げる。

 心が元気な時。夕暮れの中、威風堂々と建つテレビ塔を、感慨深く見つめる。故郷の釧路から札幌に、夜行列車で来た日を、懐かしく思い出す。

 

 そして心が荒んでいるとき。時刻表示に目をやる。私の人生の残り時間は、今このときも、確実に失われていく。失われている。悲しい。虚しい。

 悔し紛れに、スマホでテレビ塔の写真を撮って、帰る。


 要は、同じ人間が同じものを見ても、気分で見え方は変わるものであり。自分も人も、安易に信用しない方がよいとの法則であり(オチなし。すみません)。


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 ことほどさように、おばさんは、自分勝手な法則を見つけて悦に入り、日々をやり過ごす。

 みなさまには、このような境地に至ることのないよう、仕事や趣味など、確固たる己の世界観を確立していただきたいと願う次第であります(この世代は、どんなに丁寧な言葉で装飾しても、最後は必ず説教か教訓)。

 

今日もありがとうございました。

(END)

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