スリープモードの恋人と、竜神ウル=ドラサルの朝
mynameis愛
第1話 目覚まし不在の神域で
目を開けた瞬間、スターリンツは「音」が足りないと感じた。
車の走行音も、スマホの通知音も、冷蔵庫の低い唸りもない。代わりに、空が呼吸していた。雲の下を、巨大な翼の影がゆっくり滑る。
「……ドラゴン?」
言葉が出た拍子に、胸元の護符が小さく震えた。銀の枠に透明な石がはまり、その奥で淡い光が寝息みたいに明滅している。
――スリープモード、継続中。
彼女の脳内に、勝手にそんな表示が浮かぶ。スターリンツはため息を飲み込み、護符を握った。
「起きて。ハル。返事、して」
返事はない。護符は、こちらの温度を確かめるみたいに、ぬくいだけだ。
「おーい! そこ! 寝てる場合じゃないぞ!」
背後から、やけに張り切った声。
振り向くと、赤茶の髪を逆立てた青年が、石段を三段飛ばしで降りてくる。布のマントをひらつかせ、指を突きつけてきた。
「ここは竜神ウル=ドラサルの神域! 勝手に倒れてる女がいたら、そりゃ俺が助ける流れだろ! 助けた俺、カッコいい! よし、名乗れ!」
勢いに押されそうになりながら、スターリンツは観察する。
服装は中世風。腰の剣は新品の鞘。表情は自信満々だが、目だけが落ち着かない。注目を求めている。
「私はスターリンツ。あなたは?」
「ミゴール! 未来の勇者ミゴールだ!」
ミゴールは胸を叩き、すぐ顔をしかめた。
「いや、今も勇者って名乗ってる。だって名乗った者勝ちだし。……で、君、異世界から来た感じ?」
「たぶん」
「たぶん!? そこは断言してくれよ! 俺の出番が薄れるだろ!」
早口の抗議。スターリンツは淡々と答える。
「情報不足。現時点で断言は危険。ここはどこ? あなたは何をしていた?」
「質問攻め! くっ、論破されそうな気配! 俺は今、竜神に選ばれるために来た。神前で『ドラゴンと共に戦う勇者の冒険』ってタイトルの大演説を――」
「それ、演説の題名?」
「物語の題名! ……いや、将来書く予定の自伝の題名!」
スターリンツは一拍置いてから頷く。目的はさておき、彼の動機は「見られたい」だ。
そのとき、神殿の奥の暗がりから、鈴みたいな低音が響いた。
石壁が震え、床の紋章が淡く光る。空気が、息を吐く。
『――小さき者どもよ。朝を欲するか』
声は、耳ではなく胸骨に届いた。
ミゴールが膝をつく。スターリンツも、反射的に姿勢を正す。
『我は竜神ウル=ドラサル。空の鱗、火の記憶。……眠りの霧が広がる。竜も人も、目を閉じる。』
護符が微かに震えた。
スターリンツは、直感で理解する。霧の影響は、自分の護符――スリープモードの恋人にも関係がある。
「霧を止めれば、私の恋人も起きる?」
『起きる道が見える。だが、力は独りで届かぬ。協力を選べ』
その一言で、スターリンツの得意分野が点灯する。
協力の設計。役割分担。関係の接続。
ミゴールは神に向かって勢いよく顔を上げた。
「竜神様! 俺が勇者ミゴールだ! 任せろ! 俺が全部やる! 全部俺の手柄!」
『……愉快な雄だ』
竜神の声に、笑いが混じった気がした。
次の瞬間、神殿の床の一部がカタン、と外れ、小さな穴が開いた。中から、手のひらサイズの赤い生き物がよろよろ這い出る。丸い鼻、まだ柔らかい角。小さな翼をバタつかせ、くしゃみをした。
「……子ドラゴン」
スターリンツが呟くと、子ドラゴンは彼女の靴をよじ登り、膝の上に座った。温い。湯たんぽの生き物。
『この子を連れよ。霧は竜の眠りを餌にする。竜の目が開いている限り、道は閉じぬ』
ミゴールが身を乗り出す。
「俺の肩に乗れ! 相棒感が出る!」
子ドラゴンはミゴールを見て、ぷいっと顔を背け、スターリンツの胸元にしがみついた。
「……選ばれたの、俺じゃなくて彼女!?」
ミゴールの声がひっくり返る。
スターリンツは子ドラゴンの背を撫で、冷静に告げた。
「好感度の初期値が低い。落ち込む前に改善策を考えるべき」
「改善策って何だよ! 俺、今、主役の座が!」
スターリンツは護符を見下ろし、ふっと笑った。
「主役は私。あなたは、騒がしい補助輪」
「言い方ぁ!」
子ドラゴンが「きゅ」と鳴き、スターリンツの護符を鼻先でつつく。護符の光が、ほんの一瞬だけ強くなる。
――微弱起動。
スターリンツは息を止めた。耳の奥で、か細い声がした気がする。
『……リン……?』
「ハル!」
だが、そこで光はまた弱くなる。スリープモード継続。
スターリンツは胸の奥に小さな焦りを抱えたまま、立ち上がった。
ミゴールも立ち、剣の柄を握る。
「よし。霧を止めて、竜も人も起こす。ついでに俺の名声も起こす!」
「名声は勝手に起きる。まず状況把握」
スターリンツは周囲を見渡し、神殿の外へ歩き出す。子ドラゴンを抱え、護符を守るように手で覆う。
階段の先に、朝靄が漂っていた。
その靄は、どこか“眠気”の匂いがした。
スターリンツは呟く。
「霧の供給源を探す。協力者を集める。あなたは交渉を壊さない」
「最後の条件、俺に厳しくない!?」
「必要」
ミゴールは不満そうに口を尖らせ、しかし彼女の隣に並んだ。
竜神の神域を背に、二人と一匹は歩き出す。
眠った朝を、起こしに行くために。
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