婚約破棄の代償は50年後に噴き上がる

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婚約破棄の代償は50年後に噴き上がる

 王城前の広場に噴水がある。

 多くの人々がその前を行き交っていた。

 噴水を囲う石造りの縁には、「真実の噴水」の古代魔法文字ルーンが刻まれていた。

 王都では、金貨を投げ込むと真実を示し、記録すら残すという。その噂は子どもでも知っていた。


 その噴水の縁に、一人の老人が座っていた。着ている服は擦り切れ、乾いた泥がこびりついており、靴も履いていなかった。生活に困窮し、施しを受けて生きている者にしか見えなかったが、どこか気品があった。


 そこに従者をしたがえ、王城の外に出てきた王太子レオンハルト・フォン・ヴァレンシュタインが通りかかった。

 その奇妙な佇まいの老人がレオンハルトの目に入り、妙に気になって近づいていった。


「これを取っておくがいい」


 周囲の人々に自らの寛容さを伝えるかのようにそう大声で言い、レオンハルトは一枚の金貨を老人の横に置いた。

 周囲を歩いていた人々がざわついた。

 一般的な庶民にとっては目が飛び出るほどの価値があるものだったが、老人は軽く会釈して礼をしただけだった。まるで見慣れたものを手にしたとでも言うように。

 その様子に、レオンハルトはますます老人のことが気になった。


「老人、金貨を恵まれて、『ありがとう』の一言もないのはどうなんだ? 礼儀を知らぬわけでもなかろう。見たところ、以前はそれなりの身分の方だったのではないか?」


「まあ、それなりには」


「ほう、ではどうだ。金貨の見返りに話を聞かせてくれ」


「この老いぼれの何が聞きたいのです?」


「貴族が何をどう失敗したら物乞いにまで堕ちたのかってことだよ」


「……なるほど。いいでしょう。金貨の価値に値するほどの話かはわかりませんが……あるいはあなたはもっと大きなものを支払うことになるかもしれませんが……」


「おまえの話を聞いて王太子の俺が何を失うことがあるのだ。脅しても何も出やしない。……いや、本当にその価値があればもっと金貨をやろう」


「そこまで言うのならいいでしょう」


 老人は一つ咳払いをする。


「私の名は……そうですね、仮にグスタフ・フォン・エルンシュタインとしましょう。身分は……王太子のあなたには及ばずとも、近いものでした。年輩の王族や貴族の方であればひょっとしたら私のことを覚えている方もいらっしゃるかもしれません。忘れていてくれたほうが都合はいいのですが」


 レオンハルトは少し意外そうな表情をした。


「ほう、では公爵あたりか? そんな姿は確かに昔の知己には知られたくないであろう。しかし、ここまで落ちぶれるとはよほどのことをしたのだな」


「私がしたのは、婚約破棄です」


 レオンハルトが今度は驚いた表情を見せた。


「なぜ婚約破棄しただけで物乞いまで身分を落とすようなことになるのだ? むしろ不要な関係を破棄することは生産的ですらあるのではないか? ……そうか、王族に婿入りすることを拒んだのだな? 断った理由は想像もできんが、それで王族の不興を買って処罰されたのだな」


「王族の方は今でもそんなことをするのですかな? ……失礼。私の場合は逆ですよ。自分より身分の少し低い貴族の令嬢に対して、婚約破棄したのです」


「バカな。なぜ身分の低い者への婚約破棄が身を滅ぼすことになるのだ!?」


「……仮に私の婚約相手の名前をマルガレーテということにしましょう。私はマルガレーテを心から愛しておりました。ところが私は王族の女性に見初められ、マルガレーテとの婚約を破棄せざるを得ない状況になってしまいました。マルガレーテを反逆者として断罪することになり、婚約の維持が困難になったのです。家名のためにやむを得ないことでしたが、私は今でもそのことを悔いています」


「ふむ、正しい判断をしたように思えるがな」


 レオンハルトは真剣に話に聞き入っていた。


「私は王国の反逆者を断罪したと喝采を受け、英雄のような扱いをされました。自分のしたことが正しかったのだと思いました。

 実はこの噴水も私がその頃作らせたものなんですよ。私の栄光と、真実をずっと残せるようにと思いまして」


「ほう」


 いよいよ、レオンハルトは話の結末が気になってきているようだった。


「ですが、1年も経たないうちに、気づくと私がマルガレーテの罪を捏造し、彼女を陥れたことになっていました。私が断罪される側になると、世間は英雄のように祭り上げていた私を、褒め言葉の何倍もの罵詈雑言でひどく責めました。最初は私を歓迎していた王族の方々も、手のひらを返して、私をさんざん罵倒したあげく、王族の姫まで巻き込んで王国を混乱させた反逆者として降爵どころか爵位剥奪までされることになったのです。王族ともなれば、面目が何よりも大事なようでして、本当に酷い扱いを受けました」


 王族を蔑むような発言にもレオンハルトは反発しなかった。王族がそのような存在であることは自分がよく知っていたし、それよりも気になることがあったのだ。


「なぜ罪の捏造が発覚したのだ?」


「簡単なことです」


「何だ?」


「おや、王族なら、いえ、あなたならすぐにわかるかと思いましたが……」


 レオンハルトは焦りを隠せなくなっていた。


「金貨ならもっとやる! いいから話せ!」


 手で掴めるだけの金貨を掴んで、老人の前に無造作に放り投げた。


「ふふふ、なぜそこまでご興味を持たれるのか存じませんが、いいでしょう。本当に簡単なことですよ。

 最初から、騙されていたのです」


「何?」


「私は王族に煙たがられていたんです。私は若くして家督を継ぎ、それなりの地位で、王族にも発言力がある立場でした。今思えば言いたい放題していましたよ。それで、王族側が仕組んで、私を地獄へと堕としたんです。婚約者のマルガレーテの罪を捏造したという証拠まで捏造され、私は言い訳のしようもありませんでした。気づいたときにはすでに遅かったのです」


 レオンハルトはそれが、その老人の昔話であることは十分に理解していた。

 だが何か胸がざわついた。


「それからもう50年程度経ちますかね。爵位を奪われ、家を失い、仕事もなく、施しを受けながら何とか食いつないできました。本当に辛い日々でした。誰にこの怒りをぶつければいいのか、この50年ずっと考えてきました」


「話はわかった。だがもう一つ聞いてもよいか?」


「まだ何かありますか?」


「俺もつい先日、公爵令嬢に婚約破棄を突きつけたところなのだ」


「はて、婚約破棄自体はそこまで悪いことではないのでは?」


「そう単純な話ではないのだ。少しおまえの話と通じるところもあってだな。……俺はどうしたらいい? いや、もしおまえがこうすれば何とかなったのではないか、ということはないか?」


「どうでしょう。……婚約破棄を取り消せれば、何もなかったことになったかもしれませんな」


 レオンハルトは少し考えて、従者に元婚約者の公爵令嬢クローデリア・フォン・レーヴェンハルトをすぐに呼ぶよう指示した。

 王城を囲む第一環状区は上級貴族たちが住んでおり、筆頭貴族である公爵家の屋敷は目と鼻の先だ。


   ※


 まもなくクローデリアはやってきた。栗色の長い髪で、整った顔立ちが高貴な品位を漂わせていた。

 だが、その顔は今、明らかな困惑を示していた。

 そのとき、老人が何か詠唱のような言葉を呟きながら、金貨を一枚、噴水に落とした。


「殿下、どうされました? しばらく外には出たくないのですが」


「ふん、貴族風情の娘が王太子に口ごたえはやめたほうがよいぞ。それにおまえにとってもよい話だ」


 クローデリアはよい話と聞いて警戒を強めているようにも見えた。


「婚約破棄を取り消してやろうというのだ」


 いよいよクローデリアは嫌悪感を露わにした。


「殿下、せっかくですが、もういいのです。確かに私には不相応でした。もう王族とのお付き合いはこりごりですわ。それに……あそこまで恥をかかされてよりを戻すなんて無理ですわ」


 レオンハルトは心底驚いた、という顔をした。


「何を言っているんだ。王家に嫁げるのだぞ? おまえは王妃になれるのだ。なぜそれを断れるのだ」


「その王家に入りたくない、と申しているのです」


「王家が嫌だと……この王国で最高の贅沢と権力が得られるのだぞ」


「そんなものより、王家の悪意の中で生きていくことへの嫌悪のほうが大きいのです」


「嫌悪だと……」


 クローデリアはその場を去ろうと踵を返した。


 と、その視線の先に一人の人物が立っていた。法衣をまとった、神秘的な美しさを湛えた女性だった。


「聖女エリシア・ブランシェ……」


 レオンハルトもその姿に気づいた。


「殿下、これからお伺いしようとしたところで、お姿が見えたので……お話が耳に入ってしまったのですが……」


 聖女エリシアは責めるような目でレオンハルトを見ていたが、レオンハルトは怖気づくどころか、勢いを取り戻したかのように笑みを浮かべた。


「ちょうどいいところに来た。クローデリア、おまえも聞いていけ。

 エリシア、残念だが、おまえとの婚約は破棄させてもらう」


「なぜです? 私はもう引き返すことができないほどのことをしてしまったのですよ」


「そんなことは俺は知らん。おまえが勝手にやったことだろう。いや、ちょっと待て。ひょっとして、おまえ、私を騙して陥れようとしているのではないか?」


「なぜそんなことを……殿下、私はそんなことは考えてもおりません」


「嘘だ! ではなぜ俺と結婚しようとした? どうせ俺のことなど愛していないのだろう?」


「……」


「なぜ黙っている? やはりそうなのか? 俺を陥れようとしているのだろう?」


「婚約に応じたのは殿下が強く要求されたからではないですか。応じなければ私の村の家族まで手にかけようとされていたではありませんか。たまたま聖女として見出されたとはいえ、平民の私には王太子に逆らう術などございません。それをまさか覚えてらっしゃらないとは言わせませんよ」


「……ふん、そうか。わかった。では、おまえの家族にも手は出さんので、婚約は破棄ということでいいな?」


 すると、聖女はパッと明るい顔となった。


「それならばもちろん、婚約破棄は願ってもないことです。……ただ、私は、私がしたことの贖罪をしなければなりません」


 そう言って、エリシアはクローデリアのほうに向き直った。


「クローデリア様、本当に申し訳ございません。あなたの反逆罪を捏造するため、あなたから嫌がらせを受け、聖女としての王国の守護の活動を妨害されたというの証言をしてしまいました。本当に申し訳ございません」


「おい、その話はやめろ。エリシア、それはおまえが勝手にやったことだ。そうだな?

 さあ、クローデリア、これでもう俺は誰も婚約者がいない。改めて、婚約を申し込みたい」


 エリシアがクローデリアとレオンハルトの間に入り込み、遮った。


「待ってください。これだけははっきり言わせてもらいます。私は聖女として、真実をはっきり申し上げます。私は王太子レオンハルト・フォン・ヴァレンシュタインに命じられ、それに屈してしまい、の証言をさせられ、クローデリア様を断罪してしまいました。家族を人質に取られていたとはいえ、私の罪は消えません。本当に申し訳ございません」


 クローデリアは、エリシアではなく、エリシア越しに、まるで害虫を目にしたかのように、強い嫌悪の視線をレオンハルトに向けた。


「おい、エリシア、そんないい加減な嘘を言うな! だが、クローデリア、おまえの断罪の記録はもちろん抹消してやる。聖女の狂言だったということもはっきりしたことだしな」


「レオンハルト殿下、はどうなるのですか?」


 クローデリアはそう冷たく言い放った。


「……何のことを言っているんだ、クローデリア?」


 クローデリアが金貨を一枚取り出し、噴水に投げ入れた。


「何をしているのだ?」


「殿下、お伺いします。あなたがエリシアに、私の罪の捏造を命じたのですよね?」


「俺は何も命じていない。エリシアが勝手におまえを断罪したのだ」


 そのとき、クローデリアは老人が座っていた噴水を指差した。噴水が黒く濁っていた。


「『真実の噴水』があなたが嘘をついていると言っています」


「この噴水がなんだと言うのだ!」


「この噴水には古代魔法の力が込められていて、金貨を投じると、人の嘘を水の色で伝えると言われています」


「誰がそんな出鱈目を信じる?」


「王都の人間であれば、誰でもその伝承を知っていますわ。平民の声に耳を傾けようともしないあなたはご存知ないのでしょうね」


「水の色を変える程度、簡単な幻術でもできるのではないか。公爵令嬢がそんな世迷言を信じるとはな。

 俺は何もしていないし、おまえは王妃になるのだ」


 噴水は水の濁りを深めていった。


 クローデリアも、エリシアも、レオンハルトに冷ややかな一瞥をし、王城前広場を後にした。


   ※


「どうすればいいんだ?」


 レオンハルトは、噴水の縁ですべての成り行きを見ていた老人に問いかけた。


「たかが婚約破棄と言っていたではないですか? 何をそんなに焦っているのですか、殿下?」


「今の話を聞いていなかったのか?」


「すべて聞いておりましたよ。殿下には何も非がないということも。

 聖女が狂言で公爵令嬢を陥れ、その狂言を信じてしまった愚かな王太子が公爵令嬢との婚約を破棄してしまった。それだけでしょう?」


「俺は聖女の狂言を信じた王太子などではない! そんな単純な話ではないのだ」


 レオンハルトは怒りを押し殺そうとするように歯ぎしりをした。


「俺は王家にとって最良の選択をしたのだ。公爵令嬢が王妃になったところで、王国は安定しない。聖女と結ばれたほうが都合がよいのだ」


「都合がよい、というのは?」


「聖教会の威光は得難い。王国民も聖教会や聖女には必ず頭を垂れる。王家の権威を保ち、王国を安定させるために必要なことなのだ」


「改めて確認させていただきたいのですが、クローデリア様の罪は聖女様が捏造したんですよね? まるで殿下がそうするように命じたように聞こえるのですが……」


「命じたのではない。そうすることが最善だと聖女に示しただけだ」


「脅しながら示したということですか?」


「聖女の家族は『保護』したのだ。聖女は王国の最重要人物の一人だ。王国が保護するのは配慮からに決まっているではないか」


「ですが、聖女は明らかに家族の安全を危惧していたようでしたし、殿下もお認めになっていたような口ぶりでしたが」


「黙れ!」


「お認めになるのですね」


 レオンハルトは取り乱し、自分を抑えることができなかった。


「俺がやらずに、誰がやるのだ! すべて王家のためだ。それが王国のためになることだと言っているんだ。いいから、どうしたらいいのか教えろ!」


「おや、それは驚きましたな。それでは50年前の私と同じような状況ではないですか」


「そうなのだ。おまえと大きく違うのは、俺は唯一の王太子だということだ。万が一、ことが公になって、俺が廃嫡され、おまえのように身分を落とすことになどされたら大ごとだ。父である現王を継ぐ者もいなくなり、王国が混乱してしまうのだぞ」


「ははは、その心配はございませんよ。たとえば王が子宝に恵まれなければ、王弟の家系の者が王位を継ぐことなど、歴史的にはよくあることです。あなたなどより優秀な方も多いでしょう」


「なんだと!?」


「いっそのこと、自ら罪を認めてしまったほうが、少しは格好がつくのではないでしょうか? ただ、聖女まで巻き込んでしまったのは大問題ですな。殿下もご認識のとおり、聖女は王家と並ぶほど、いや、神への近さという意味では王家より高位にあると認識する者も多い。聖女なしに王国の平穏はないですからな。私のように国家反逆罪となってもおかしくない」


「罪などではない! こんなことは王族なら誰でもやることだ! 俺たちは王国を動かす権力者なのだぞ! その権威を失ったら王国のまつりごとなどできるわけがないだろう! 俺は無能などではない。王太子として正しく考え、正しく行動しただけだ」


「50年経ったところで、王家など、そんなものなのですな。やはり敬意を払うべき存在などではない。王の権威などより、王国民の安全と繁栄を第一に考えられないようでは、王家の意味などないですな」


「おまえの個人的な王家への恨みなどどうでもよい。それ以上無礼な言葉を続けるようであれば、ただでは済まさんぞ」


「ここまで堕ち切った老人をどうされると言うのです? 私にはこれ以上失うものなどございませんぞ。殿下のお得意な人質となる家族もなければ、もはやこの身の命にすら価値を感じません」


 レオンハルトは怒りに目を血走せて老人を睨んだ。どうすれば老人に最も辛い思いをさせられるか必死に考えを巡らせているかのようであった。


「それから、この噴水は、刻まれた古代魔法によって、真偽を伝えるだけでなく、記録をすることもできます。泉を壊してもむだですぞ。記録はこの場にもう固定されております」


 老人が短い詠唱をすると、先ほどの会話が泉から聞こえてきた。


「何なのだ、これは? おまえは何なのだ?」


「名乗ったとおり、元公爵のグスタフ・フォン・エルンシュタインです。そして、お話ししたとおり王家の罠に陥り、50年間、王家への怒りの火を心に灯し続け、復讐の機会を伺ってきたただの男です」


   ※


 聖女の告発により、事件はすぐに公となった。その重大性により、宰相は聖教会と貴族院を招集し、「合同評議会」を即日開催した。

 王太子レオンハルトの裁きは「公開裁判」とし、王権に関する議論も行われるが、王権に関しては暫定決議として後日に持ち越す――そう宣言され、王城前広場に壇が組まれた。

 そこには大観衆が集まっていた。それぞれに王太子や王族に思うところがあるのか、裁判が始まる前から観衆は騒々しくしていた。


 壇の中央に裁判を取り仕切る宰相ジークフリート・フォン・グライフェンベルクが座った。その左右には貴族院の評議員と聖教会の幹部たちが並んだ。その中には大司教マテウス・フォン・ザンクトムの姿もあった。

 その場に王族はいなかった。

 現王や王妃を含め、王族の面々は、宰相とは反対側、観衆の側に座っていた。さらにその背後には評議員以外の貴族たちが並んだ。


 まるで王国全体を巻き込んだ大裁判の様相となっていた。


 その場の中心には王太子レオンハルトが立って宰相と向かい合う形となった。


「何なんだ。これは……。なぜこんな大ごとになっている? 俺はただ婚約破棄しただけだぞ」


 レオンハルトは戸惑っていた。自分の身に何が起きているのかわからないまま、その場に連行され、立たされていたのだ。


「ではこれより、王太子レオンハルト・フォン・ヴァレンシュタインの公開裁判を行います」


 宰相ジークフリートが高らかに宣言した。それまで騒々しくしていた観衆たちがいっきに静まり返った。


「まずは罪状を読み上げます。容疑者であるレオンハルト・フォン・ヴァレンシュタインは、一つ、王国の守護者たる聖女を脅迫した上、自身の思いどおりにその力と権威を利用しようとし、二つ、王に継ぐ権力を持つレーヴェンハルト公爵家の令嬢であるクローデリア・フォン・レーヴェンハルトの名誉を著しく貶め、レーヴェンハルト公爵家の力を削ぐことにより、王家の独裁力を強めようとした。これは国家の平和と安全を乱し、王国民を裏切る大反逆罪に相当するものと判断される」


 観衆がまた騒然となった。


「ふざけるな、ジークフリート! これは何の茶番だ! 俺はただ婚約破棄しただけで、反逆行為など何もしていない!」


 レオンハルトの抗議は観衆の声にかき消され、ジークフリートもそれを無視して裁判の進行を続けた。


「まずは第一の証人、聖女エリシア・ブランシェ様、証言をお願いいたします。ご家族は保護しておりますので、正直にお話しいただいて問題ございません」


 名前を呼ばれたエリシアが登壇する。堂々としたその姿は王国を守ろうとする女神そのものだった。

 それを目にした観衆たちはまた静まり返り、エリシアの言葉に耳を傾けた。


「ジークフリート様、ご配慮痛み入ります。

 まさにその点から申し上げたいのですが、私は王太子レオンハルトに、村の家族を人質に取られ、無理やり婚約を承諾させられました。私の聖女の力を、民のためではなく、私欲のため、王家のために思い通りにしようとして、このような卑劣な手段をとったことは疑いようがありません。

 そのうえ、私はクローデリア公爵家令嬢の罪の捏造を指示されました。脅されていたとはいえ、私も罪を犯したことは認めます。私はどんな罰でも甘んじてお受けします。この王国を守護するための勤めも死ぬ気で成し遂げます。ただ、この王国の真の悪を見極め、その排除を強く望みます」


 観衆が騒然となった。「嘘だ!」と叫ぶレオンハルトの声はまたも観衆の騒々しさにかき消された。

 観衆からは「聖女様は悪くない!」という声もちらほら混じっていた。王家の面々の何人かが声のした方をぎろりと睨んだ。


「第二の証人、クローデリア・フォン・レーヴェンハルト公爵家令嬢、証言をお願いします」


 クローデリアが登壇した。聖女とは違う雰囲気ではあったが、冤罪による断罪を乗り越えた気丈な様子は観衆にある種の感動を与えた。


「聖女エリシア様もお話しくださったとおり、王太子レオンハルトの悪意に満ちた奸計により、私は無実の罪をなすりつけられ、大変な侮辱を受け、人生を破滅させられかけました。王太子は、いえ、王家の方々はあまりに人の人生を軽く見ています。自らの虚栄心のために人を破滅させることを何とも思わない、そんな王家に統治される王国が不遇に思えてなりません」


 再び観衆がざわついた。王太子のみならず、王家までもはっきりと否定するような証言に、同意をしていいものか迷うような空気も漂っていた。


「第三の証人、グスタフ・フォン・エルンシュタイン元公爵、証言をお願いします」


 一人のみすぼらしい格好をした老人が登壇した。


 その姿を目にした観衆のざわめきは小さくなっていた。老人が何者なのか見極めようとしているようだった。

 一方、年輩の王族や貴族の間で、「あのエルンシュタイン公爵ではないか」と驚きの声が上がっていた。


「ご紹介いただいたように、私は50年前、若くして亡くなった父の跡を継ぎ、エルンシュタイン公爵家の当主となっておりました。貴族院の役職も賜り、王国民のためにまつりごとにも全力で取り組み、王家にも遠慮なく意見しておりました。当時から王家は贅を尽くしており、王家の贅沢をやめて減税や公共事業を行い、民の生活を豊かにすべきだという進言もしておりました。

 当時、私は愛する女性、マルガレーテ・フォン・ローゼンフェルト伯爵令嬢と婚約しておりました。ところが、王太子レオンハルトがしたのと同じように、王家が、マルガレーテの無実の罪を捏造し、その婚約を無理やり破棄させ、代わりに王族の女性との婚約を結んでしまったのです。そのうえ、マルガレーテの冤罪を私が仕組んで王家に取り入ろうとしたという二重の冤罪で私を貴族院から追放し、さらには反逆罪を追加して爵位も剥奪され、路上で施しを受ける境遇にまで身を落とすことになりました」


 観衆が騒然となった。老人は話を続ける。


「私は王家への怒りを抱き続けておりました。いつか王家の横暴を暴こうと、公爵時代から研究していた古代魔法文字ルーンを使い、この王城前広場の噴水に、会話を記録する古代魔法を施しました。先日、その機会をとらえて、王太子の会話を記録することに成功しましたので、証拠としてここに提示いたします」


 グスタフ老人は裁判台の横で水を噴き出し続ける噴水に近寄り、短く詠唱を行った。


 その詠唱が終わると、レオンハルトとクローデリアとの会話が本人たちの声で再生された。続けて、エリシアとの会話、最後に、決定的なグスタフ老人との会話が公開された。

「聖女に示した」「王家のため」「王族なら誰でもやる」


 そうした言葉を聞いていた誰もが静かに怒りを感じていた。

 ただ王族の者たちは、その怒りの矛先が他の者たちとは違った。


「この記録こそ捏造だ! これは幻術で作られたものだ! 王族を陥れようなどとは大罪だ! 死刑でも済まされんぞ」


 王族の一人が立ち上がり、そう主張した。他の王族の面々も一斉に同調し、不正だ、不敬罪だ、と囃し立てた。


 観衆は王族の猛烈な抗議に息を呑んだ。


「静粛に願います!」


 王族の抗議に、宰相ジークフリートが一喝した。


 場の空気が凍りついた。


「疑義は理解できます。我々もこの証拠の真正性を二重に確認しております」


「まず、宮廷魔術師、および聖教会神官が古代魔法文字ルーンと噴水に刻まれた魔力を鑑定し、この記録が幻術の類を受け付けない、真正のものであることは確認、および検証済みです。それに加え、エリシア様、クローデリア様にも会話が正しく記録されていたことを確認しております。この記録が間違いのないものであることは明白です」


 レオンハルトもそれを否定することはできなかった。それは真実の記録であり、虚偽だと主張することは明白な嘘になってしまうのだ。


「では、最後に王太子に弁解の機会を与えたいと思います」


 ジークフリートがレオンハルトの発言を促した。せめてもの慈悲ということであろう。


 レオンハルトは横に下がったエリシアを、クローデリアを、グスタフを睨み、最後にジークフリートを見据えた。


「弁解だと? ジークフリート、宰相の分際でよくも俺を追い込もうとするようなことをしてくれたな」


「私は私怨によってではなく、王国の利益を考えてこの裁判を開いています。自分のことしか考えていない殿下とは一緒にしないでください」


「なんだと?」


「言いたいことはそれだけですか?」


「いや、まだだ。では言わせてもらおう。第一に、俺は婚約破棄をしただけだ。それがなぜ反逆罪になどなるのだ。第二に、王家はまつりごとを円滑に行うために、常に権威を保たなければならない。そのためには聖女が王妃となることが重要だったのだ。誰でもわかる理屈であろう?」


 観衆は静まり返っていた。同意の声は一つも上がらなかった。


「この期に及んで、いまだことの本質を理解できていらっしゃらないことが甚だ心外ですが、宰相として、いえ、王国民の代表として意見をさせていただきます。

 第一に、殿下はただ婚約破棄をしただけということではなく、国家を守護する聖女を王家のために利用し、国政の重責を担う公爵家を貶めた大罪を犯したのです。

 第二に、権威は肩書きではなく信頼によって保たれるべきです。人を貶めて得る権威を是とする行為はむしろ信頼と、それに基づく権威を著しく損なっています。つまり、王家の権威は大きく失墜しているということです。もしこのことが理解できないようであれば、私たちは王家にこれ以上この国を任せるわけにはいかない」


 レオンハルトは本当に、宰相の言葉が、王国民の考えが理解できなかったのかもしれない。何を言い返せばいいのかわからず、ついには「うるさい! うるさい!」と連呼を始めた。そして裁判を見守っていた王家の面々もついに抗議の声を上げ始めた。「国を支えてきた王家になんという侮辱だ」「貴様らは不敬罪だ!」と王やその親類が口々に言うのだが、その発言の空虚さが目立つだけであった。

 

 そのとき、静かに宰相と王太子たちのやりとりを聞いていた観衆の中から、勇気を振り絞った一人の発言が広場に響いた。


「俺は王太子に理由もなく殴られたことがあるぞ」


 広場は静まり返った。しかしやがて、また別の者が発言し、その後もまた一人、そしてまた一人と、王太子や王家の蛮行を告発していった。


「私は店のものを壊されてめちゃくちゃにされたわ」「うちは娘を拐かされて傷物にされた!」「うちは息子が難癖をつけられて殺されたわ!」「王太子だけじゃない! わしも現王が若い頃に理不尽な暴力で利き腕が動かなくなっちまった!」「王国中に貧しいものが増えている! 王家は無能だ!」


 王国民の蓄積されていた不満が爆発していた。


 最後に、評議員と聖教会での決議が行われ、王太子レオンハルトの廃嫡、王政からの追放、および王族から王権を剥奪し、資産を国庫に返納することも継続検討されることが決定された。

 王権剥奪となれば、王族は平民となるが、王国民の恨みを買った彼らがまともな職に就けることはないだろう。


「最後に言わせていただきます。これは王族に対する侮辱でも不敬でもありません。賢臣の助言に耳を傾けず、悪政と横暴を繰り返してきた王族の、免罪の終わりを告げただけなのです」


 宰相ジークフリートが冷ややかにそう告げた。


 レオンハルトは呆然と立ち尽くし、王族たちは恐慌に陥って喚き散らしていた。


 王国は暫定的に、聖女と大司教、および貴族院を中心とした政治体制とすることになった。グスタフ老人には改めて公爵位を返還することになり、復爵したエルンシュタイン公爵は、王国民のために、残りの人生を捧げることを誓い、裁判は幕を閉じた。


 こうして裁きは、王太子の廃嫡どころか、王権の剥奪までに至ろうとする劇的な幕切れとなった。


「やっとこの日が来た……」


 グスタフは一人そう呟いていた。


   ※


「長いこと待たせてしまったな」


 グスタフの前には一人の老婆がいた。貴族の婦人らしく、気品の漂う美しさを讃えていた。


「待ってなどいませんよ。あなたはいつか戻ってきてくれると知っていましたから。あの噴水に真実の記録が残るという噂を聞いたときに、ひょっとして、と思って……」


「あれを見ていてくれたのか……」


「ええ。古代語で『永遠の愛を誓います』と噴水に向かって詠唱しました。あなたのプロポーズの言葉でしたね。そうするとあなたの声がはっきり聞こえましたわ。『どれだけかかるかわからないけれど、必ず私のもとに戻る』と言ってくださっていたんだもの。信じるしかないではないですか」


「ありがとう、マルガレーテ。やっと君に謝罪ができる」


「おや、なぜ謝罪などするのです? 私はあのときから一度だって婚約破棄を認めておりませんよ。婚約はまだ残っているのですから、あなたは何ひとつ約束を破っていませんのよ」


 マルガレーテはそう言ってグスタフに微笑んだ。

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