暁の化野

なかえ

第1話

僕は見た、戦場を駆ける女神の姿を。美しくも荒々しい雷光が人ならざる者を斬り倒し、道を拓いていくその姿を。


僕のような持たざる者はただ呆然と天を仰ぎ、それを称えることしかできない。こうして宗教というのが生まれるのだろうか?


「化野! ボケッとするな!」


「はっはい!」


阿保面で上を向き、歩を止めていた僕は隊長に怒鳴られた。ここでは隊列を乱してはいけない。なぜならそれは死に直結するから。


闇に怯えながら、隊長たちのケツを追いかける冴えない自分と空を舞う天女じゃまるで別世界の生き物だ。


糠るんだ泥を蹴りながら陰湿な森の中を僕らは進む。やがて息が切れてくる。足もつりそうになる、それでも歩を止めることはできない。死ぬにはまだ早いのだ。


月夜に紛れた兵隊たちは敵の陣地に向かっていた。ここは大和国からずいぶん離れた東南の島。作戦目標は"裁人"の根城の制圧。


"裁人"というのは人外の怪物。よく神話に登場する邪神を想像してもらえば分かりやすい。生物として明らかに僕らとは異なる存在であり、見ただけで血の気が引くような邪悪そのものだと父から聞いた。


鬱蒼とした森の中に人工物が見えた時、隊の緊張感は最高潮に達した。普段頼りになる屈強な漢たちもまるで猛禽類を前にしたネズミのように落ち着かない様子だ。裁人に対する恐怖心というのが刷り込まれている証拠である。


それに対して僕にはあまり怖いという感情はない。御上から賜った軍刀と拳銃が身を守る武器となることを熟知していたから。相手は化物だが負ける気はしない。


接敵の瞬間は突然訪れる。全くの警戒の外、木葉を掻い潜り、上方からそれは飛来した。生まれて初めて見る実際の裁人は筆舌に尽くし難い程の異形で、それを見ることが精神的拷問にかけられるのと等しい行為なのだと知った。


異形は僕の二つ前にいた兵士の太い首をいとも容易く食い千切り、咆哮した。紅い双眼が漆黒の森に浮かぶ。 


「総員打てぇ!!」


隊長の冷静な判断により発砲の許可ぎ降りるが、僕を含め七人の雑兵はなんの役にも立たない。統率は完全に乱れ、兵士たちは森の四方八方に蜘蛛の子のように散っていった。


僕も同じだ。ただ走ることしかできなかった。何も考えずただ逃げやすそうな方に走ったのが間違いだった。僕は裁人どもの牙城のある方に進んでしまった。進み始めたからにはどうしようもない。


足を止めればさっきの化物にすぐに食い殺される。自棄になった僕はもういっそのこと突撃してみることにした。一人で奴らの拠点に乗り込むなんて大胆な行動、普段の自分からは考えられない。これがアドレナリンとかいう奴か?


懐中電灯を片手に進む。意外なことに建物に入ってしばらくは誰もいなかった 裁人は個の力は強いが、数はそれ程多くないと聞く。


外に一体いるということは、ここにはいても一体か二体か、それぐらいなら僕でも殺れる。訳のない自信が満ち溢れ、薄暗い廊下を闊歩した。


明らかにいる。そんな気配を感じながら僕は扉の一つを開けた。生活感のある部屋の中には弱そうな裁人が一体いるだけで他に誰もいなかった。椅子に座ってくつろいでいたそいつは、僕を見ると驚いて跳び跳ねた。 


死んでいった仲間たちの想いを胸に引き金を引く。それが弔いとなるのかは知らないけれども。


銃弾はその堅牢な皮膚を前にしては無力そのものであった。まるで毬のように軽々と弾かれる。白刃はその屈強な筋肉を前にしては無力そのものであった。まるで小枝のように軽々と折られる。

 

僕たち人間は邪神を前にしては無力そのものなのだと心の底から理解するに至る。無力感そして絶望。心臓が燃えるように熱い。身体の全部が生きたい生きたいと訴えている。


あぁなんと冒涜的で、怪奇な存在なのだろう。対話による解決が不可能であるということはその喉仏を見比べれば一目瞭然である。彼らに情けや容赦などは一切存在しない。耳をつんざくような絶叫と共に人外の異形が僕に迫る。


凍てつくような死の恐怖が込み上げてくる。それと同時に今までの人生が夢のように脳裏を過る。これが走馬灯なのか。そうか、死ぬのか。ならば最期は御国のためにこの命、使ってやるのが最善だろう。


どうせ死ぬなら目にもの見せてやる。こういう時の為に僕たちは小さな爆弾を持たされている。この 掌に収まる火薬の塊には二つ程の意味合いがある。一つは今まさにやろうとしているように特攻するため、一匹でもサバトを殺せたならば雑兵にとっては上等なこと。


そしてもう一つ、サバトに捕虜として捕らえられることを防止する効果もある。奴らは時たま僕ら人間を生かしたまま自分たちの国に連れ去る。連れ去られた人間がどうなるのかは不明だが、おおよその予想はつく。拷問、人体実験、奴隷、考えられる幾つかの場合の全てが地獄だ。自害した方が良い。  


さぁ僕の番だ。手榴弾のようにピンを抜く。数秒後には僕もこの化物もまとめて肉塊になる運命、どうだこれが人間の魂の強さだ。舐められてたまるかクソ裁人め。


しかし奴は獣のような剛腕からは想像もできない器用な手つきで爆弾をつまみ上げ、遠方に投げ捨てた。背後で爆発音が聞こえた。打つ手はもうない。最後の猛攻も虚しく僕の人生は終わっていく。今後の研究の道もまだまだ長い人生も、何もかも閉ざされるのか。


彼女が来ていなければ僕は死んでいた。炎を纏った金色の刃が裁人の頸を優しく撫でた。なめらかな太刀筋で容易くその首を落とす。僕たち一般兵が命懸けで挑んでも傷一つ付けられない相手を彼女は僅か数秒で始末した。


血を浴びて赤く染まった彼女の神々しい姿が月光に照らし出される。生きた心地のしない僕は腰が抜けて立てないでいた。そんな僕に彼女は手を差し伸べてくれた。その手は戦場に似つかわしくない白くて細い少女のもので、強く掴むことが憚られた。


「お前なかなか骨があるじゃねえか」


細い体に反してその顔つきや口調は戦人らしく無骨なものだった。彼女は敬意を評するように僕に笑いかける。死んだような感覚で茫然としていると、今度は変わって嫌そうな顔を向けられた。


「もう放してくれね?」


「あぁごめん」


ようやく声が出た。裏返った情けない声だった。


「男の癖に何おどおどしてんだ。見込み違いだったか?」


彼女は冷めた顔をした。折角、少し褒められたのにこれでは台無しだ。なんとかこの機会を無駄にはしたくない。何か対話しようと必死に言葉を絞り出す。


「普通死にかけたら誰だってこうなるさ……あんたら"夜真人"が特別なだけで」


恩人に対して言うべき言葉ではなかったかもしれない。焦って言葉選びを間違える、僕の悪い所だ。


しかし彼女は妙に納得したような表情で俺の目を改めて見た。きっとしばしば忘れてしまうのだろう。彼女たち"夜真人"は僕ら凡夫とは一線を画す存在だということを改めて思い出してほしい。


「確かにそれが普通か……まぁ良い、また生きてたらどこかで会うかもな」


女はそれだけ言い残すと闇の中に消えてしまった。

間違いない、あれは空に見た女神だ。憧れの存在とまさかこんな形で出会うことができるなんて。  


なんとか悪運で生き残った僕は命からがら拠点に戻り、事の顛末を陣で待つ中佐に報告した。結局僕の隊は誰も戻って来なかったようで、何があったのか根掘り葉掘り詰問された。


つまらない会話は一時間程続き、昼頃になってようやく解放された。一息ついてようやく食事を摂れる状況となった。徹夜の疲労と空腹間で倒れてしまいそうだ。   


よく考えてみれば、生きているから飯にありつける。この不味そうな色の雑炊だって何かの命を奪って作られてるのか。ありがとう。本当の意味で命に感謝するのは久しぶりだ。

 

飯の乗った板を持ってふらふらと席を探す。青空の下、食事をとっている隊員たちがちらほらいる。思えば最初本国を出発した時より随分数が減ってしまったものだ。 


一人で食べるのも心細い、小心者の僕は顔見知りを探す。だけど見つからない。なんたって昨夜の戦いで隊の仲間は全滅したんだから。


しかし一人だけ見知りの顔があった。そこには彼女がいた。そう、つい数時間前僕を裁人から救ってくれたあの人だ。あの時顔を見たのは一瞬だったが、その腕についた古傷からすぐに彼女だと分かった。


考えてみれば戦乙女だって飯は食う。身体の構造は人も夜真人も然程変わらないのだ。僕は恐れ多くて自分から声をかけることはできなかった。彼女と一緒に食べる気まずさを考えると一人の方がまだいい。見なかったことにして一人でどこかに座ろうとした時、よく響く声が僕を呼んだ。


「お前よく帰ってこれたな! こっち来て座れよ」


まさか向こうから声をかけてくるとは思わなかった。驚きながら彼女の方を見ると、無邪気に手招きしていた。


よく考えれば最初から一緒にここまで連れて来てくれれば良かったのに。一人で森林を三時間も歩いたんだぞ。……いや、流石にそれは甘えすぎか。 


兎に角、礼は言わねばならない。それに個人的に気になっていることや聞いてみたいことも二、三ある。夜真人と話せる機会は貴重だ。僕の対話を嫌う性質は悪いところだ。せっかく戦場に来たのだから話さねば。


「さっきは助かりました」


僕はなるべく社交的に礼を言った。たぶん表情は強ばっていたと思う。


「良いよそんなの。別に俺はお前の上司でもないんだから、もっと気軽な感じで良いんだぞ」


女の子に気を使わせてしまった。情けない僕……夜真人に対しての畏怖によりへりくだった態度を取ってしまっていたが、よく見ると歳は彼女も18歳前後、たぶん同じくらい。最初から敬語なんて必要なかったのだ。僕はあえて馴れ馴れしい感じで、彼女に言う。


「"夜真人"の戦い初めて生で見たけど、ほんと凄かったよ。あの凶悪無慈悲なサバトを一瞬でやっつけるんだからさ」


「別に凄くはないぜ。誰だってやろうと思えばできることだし」


「いいや、僕らにはあんなことできない。夜真人だけだ。やっぱりあんたらは特別なんだよ」


「オレたち"夜真人"は妖怪と誓約を交わすことでその力を借りてるだけだ。おまえだって妖怪の力を借りれば戦える」


「僕、夜真人たちについてよく知らなくて」


本当はある程度知っている。だけど、とある話題を彼女と話したかったから、あえてそういう風に言った。


「確かに一般の連中はよく知らねーか。俺たちはな、魂を賭けて戦ってるんだ。確かに妖怪は力を貸してくれる。だけど無償って訳じゃない。妖怪は魂を食らう。荒魂と和魂については知ってるか?」


ちょうど話がしたかった部分に上手く着地することができた。その分野についてはきっと彼女よりもよく知っているはずだ。なぜならそれが僕の研究分野である。大和の人々が持つ特別な"魂"についてはまだまだ謎が多い。僕はそれについてもっと知りたい。科学的に解明できない謎の数々を解き明かしたいのだ。


この戦場にいる目的は二つ。大学の奨学生としての使命を果たすため。そして実際の魂の性質をこの目で観測するため。こうして彼女から話を聞くことも僕の研究の一環なのだ。魂の話になった瞬間、僕の話ぶりはよくなった。次から次へと言葉が口から溢れ出る。  


「まず"魂"自体は目には見えないけど確実にあるもの。たぶん僕の予想では心臓に宿ってるんじゃないかと考えているんだ。そんな魂は大別すると二種類に分けられる。それが荒魂と和魂。いわゆる人の本能が荒魂、 理性が和魂と考えると分かりやすい。荒魂と和魂はバランスが大事で、どっちかが優勢になると人間としての人格が崩れたりするから、常に僕たちはその安定を目指すべきで……」


つい饒舌に話しすぎてしまった。またもや退かれるのではないかと不安になって彼女の顔を覗いてみる。良かった、思いの外関心がありそうな顔でちゃんと聞いてくれていた。


「へぇー意外とよく知ってんじゃねぇか。見た感じ勉強はできそうだもんな」


それは褒め言葉として受け取っていいのか微妙なところではあるが、とりあえず喜んでおくことにしよう。


「俺たち夜真人の場合、妖怪の力を借りれば借りる程、荒魂が大きくなっていく。つまり人の心を失って、獣みたいになっていくってことだ」


「じゃあ力を使いすぎたら?」


「まず理性を保てなくなる。見境なく生き物を襲うようになって、その内見た目も裁人みたいな化物になるだろうな。せっかく可愛い顔に生んでもらったのにな……」


冗談ぽく彼女は言った。確かに自分で可愛いというだけある。男のような口調とは真反対の清楚な顔をしている。


そんなことより、僕は彼女の考えが気になった。


「それじゃあ、夜真人たちも死と隣合わせったことだよな。戦うのが怖くないのか?」


「そりゃもちろん怖いぜ。だけど怖くてもやらなきゃならねぇことってあるだろ? おまえの言う通り、俺たちは特別だ。だから普通の人間を守ってやんねぇと」  


彼女はすごい、なんて気高い信念を持っているのだろう。あくまで自分のためではなく人のために戦っているのだ。


自分の知的好奇心を満たすことばかり考えている僕よりも、もっと高い次元で物事を見てるんだろうな。


「てか……さっきからあんた、あんたって失礼な奴だな。俺の名前は暁だ。よーく覚えとけ!」


不機嫌そうに彼女は言った。言われて思ったが、確かにその呼び方は失礼だった。それに言われるまで気がつかない辺り、やはり僕は会話力が乏しいのだろう。


「名前、なんて?」


「だからアカツキだ! それでおまえは?」


「えっと……僕は化野壮真、好きに呼んでくれていいよ」


「ふーんソウマか。じゃあ一つだけ言っといてやる。死ぬなよソウマ!」


彼女はそのまま食べ終えた盆を持って立ち上がった。


「あぁ、アカツキこそ!」


彼女の背中に僕は言ってやった。アカツキは笑みを見せた。なんというか豪快で爽やかな奴。ああいう奴が隣にいてくれたら、ちょっとは毎日が明るくなるのだろう。


実際、彼女と話したあの夜から戦場の景色が少しだけ明るくなった。島を南下する程、裁人との戦闘は激しくなった。僕ら歩兵は使い捨ての駒のように毎回危険な地帯に派遣されては死んでいく。


新しくできた仲間たちも、ちゃんと次々に死んでいった。そんな中、僕は持ち前の悪運で二度三度と窮地を脱し、毎回命からがら逃げ帰るということを繰り返していた。


そうしてまた僕の頬を死神が撫でる。もう終わりだと思ったとき、彼女は星のような煌めきと共に裁人を薙ぎ倒し現れた。


「今度も危なかったなソウマ。おまえほんとに訓練してきたのか?」


同じ年頃な女の子に守られる僕……運動経験もないし、骨が見えるぐらい痩せてるし、男として弱すぎる。危機感をもたなければ……


「これでも本国では優秀な方だったよ」


彼女に対して少し良い格好をしたかった。本当は実技は最下位、唯一優秀だったのは座学だけだ。普段僕は人に対して優位を取ろうなんてあまり思う性分じゃない。だけど彼女の前では、何故か己の力を誇示したくなる。これが男という生き物なのか?


「前みたいに怖くはなかった。アカツキが来てくれるってなんとなく思ってさ。死にかける度に思うんだ。あと一回君の顔を見なくちゃって。顔を見ずに死ぬ訳にはいかないから」


「なんだよそれ、てかあんまりじろじろ見んな」


そういうと彼女は僕から目を反らした。正直な所、どうやら僕は彼女を好いているようだ。そうじゃなきゃ、あんな気取った言葉は口から出てこないだろう。僕は彼女に聞いてみた。


「なぁアカツキ、今回の戦闘が終わったら本土に戻るのか?」


「それが迷ってんだよ。ソウマは雑用係続行か?」


「たぶんね」


たぶんというか、確実にそうだろう。今は戦争も佳境で、僕たち志願兵奨学生も積極的に駆り出される。志願兵奨学生というのは本土にいる間は無料で大学に通える代わりに、有事の際は戦地に赴かなければならない制度である。


本当は部屋の中で一生研究に勤しみたい所だが、戦争がそれを許してはくれない。誰が悪いって訳でもないし、必要なことだというのも理解している。それでもやっぱり戦争は憎い。どうして僕らは争うことしかできないのか?


「また戦場は嫌だな」


「それなら俺もついて行こうかな。どうせ本土にいたって暇だろうし。何よりお前はほっといたらすぐに死にそうだしな」


まさかアカツキは僕のことを心配してくれているのか。初めて彼女の気持ちが見えて嬉しかった。それが本当の気持ちなのか、ただの冗談なのかは知る由もない。


それから数日経った。もうすぐ今回の南下作戦が終わる様子だ。キャンプでの最後の夜、相変わらず雑用を押し付けられがちな僕は今日は食事の配膳をやらされていた。


何人かいる夜真人は特別待遇を受けており、戦地でも個室が用意されている。そりゃ一人で何百人分もの力を持っているんだから、当然の扱いだ。

 

アカツキもその一人で、僕は彼女専用の部屋に食事を運ぶことになった。部屋といっても簡素な布地で作られたもの。僕は配膳係としてそこに出向き、よ彼女に呼びかける。返事がない。仕方なく右手に盆を持ち、空いた左手で天幕の扉を開けた。


そこに確かに彼女はいたが、その顔は苦悶の表情に満ちていた。まるで獣のように歯を剥き出しにして、こちらをぎろりと鋭く睨み付けている。血管が浮かび上がった腕が僕の服を掴むと、そのままとんでもない力でなぎ倒された。

 

持ってきた食事が騒がしい音を立てながら零れ落ちる。さらに彼女は獲物を狙うようにのし掛かり、爪を振りかざす。 


「どうしたんだ? しっかりしろ!」


僕の声は届かない。瞳孔が開いている。焦点があっていない。まったく正気からはかけ離れた状態だった。なんとか腕を付きだして攻撃から身を守ったが、腕から血が流れている。このままでは殺されてしまう。僕は叫んだ。


「魂を静めろ! アカツキならできる!」


荒魂の静め方について、現状分かっていることは少ない。ただ幾つか方法があることは学んできた。最も簡単で効果的なのは他者の生き血を飲むことである。発作に対する薬のように、根本的な解決にはならないが、一時的には落ち着くはずだ。


僕は切られて出血している腕を彼女の口に押し付けた。彼女は溢れだす鮮血を渇きを潤すように、喉を鳴らして飲んだ。


すぐに彼女が正気に戻ったことは一目で分かった。荒ぶっていた見た目はいつもの美しい姿に戻った。

彼女は急いで俺から離れると、乱れた格好のまま部屋の角に隠れるようにしゃがみこんだ。


「ほんとごめんっ……!」


背を向けて震えている。その背中は小さかった。その姿は、彼女が一人の少女だということを僕に再認識させる。


「前に言ってた魂の件、やっぱり荒魂が大きくなってきてるんだな」


「あぁそうなんだ。最近は連戦続きだったろ……それで力を使い過ぎちまったから。こうやって、たまに自制が効かなくなる時があるんだよ」


僕たち非力な人間は、力が強いという理由だけで彼女たちに頼ってばかりだ。何か力になれることはないんだろうか。僕は悔しかった。


「前にも言ったけどさ、僕は魂について研究してる。最終目標は荒魂を制御することなんだけど、一向に分かることは少なくて。本当はもっとアカツキのために何かしてあげたいんだけど……僕はっ」


「今はただ……そばに居て欲しい。それだけでいい」


「そんなことで」


相変わらず彼女はこちらに近づいては来ない。こちらも見ずに、めそめそ泣き出してしまった。


「ほんとは怖いんだ。もうこんなことしたくない。

夜真人の友だちも、みんな死んでいったし、いつおかしくなるか分かんないんだよ」


彼女にいつもの覇気はなかった。何も言えなかった。自分は助けてもらってばかり、怖いのは彼女も同じなのに。結局僕は口ばかりで、力になんてなれない。


彼女は本当は弱い子なんだ。だから僕が引っ張っていってやらなければならない。力じゃなんの足しにもならないが、せめて気持ちだけでも頼りがいのある男でいたい。


「たぶん明日が最後の戦いになる」


柄でもないが僕は声を張り上げた。 


「アカツキには僕が必要だ。魂を安定させる方法は必ず僕が見つけてやる。僕は君にとっての光だ。 だからっ! 明日は必ず僕のことを守れ」


突然の宣言に彼女ら面食らった顔をしている。だがすぐに言葉の意味を理解し、小さく頷いた。


「……うん」


畳み掛けるように僕は続けて言う。


「アカツキは一人じゃない。僕が一緒にいる。二人ならきっと何も怖くない」


「ソウマのこと信じてもいいのか?」


「あぁ、これでも嘘はついたことがないんだ」


彼女は何も言わずに僕に抱きついた。さっきみたいに乱暴なやり方ではなく、包むような手つきで僕の体を掴んだ。まるで親を求める幼子のようだ。  


これ以上何も言わず、優しく頭を撫でてやる。僕が彼女に対して感じていた好意はきっと異性に対しての恋愛心とはちょっと違ったのかもしれない。なんだか忘れてしまった家族の温もりが思い出される。


「離れたくない。ずっと一緒にいてほしい」


彼女は小さな子供のように泣きじゃくり、そうして疲れ果てて眠った。僕は寝ることも離れることもせずにただ彼女を見守った。そうして夜が明ける。


決戦の日、戦火の苛烈さは増し、午前の時点でいつも以上の犠牲が出た。裁人の数も多く、僕ら人間側は苦戦を強いられていた。


だが味方の戦力も総動員であったので、一方的に蹂躙されるということもなかった。さらに奥地では我らがカミ様が単身で敵の本拠地に突入し、戦われているようだ。そんな事実が僕らの士気を高める。


僕はどこか安心した気持ちで樹林を駆け回っていた。常にアカツキが付かず離れずの距離で見守ってくれていると確信していたから。


「これが"迦楼羅"の力だ」


彼女の声が聞こえる。いつも以上の気合いで彼女は剣を振るっていた。流石の強さだ。裁人相手にも一切遅れを取ることはなく、無双している。


午後の作戦は驚く程順調であった。二、三の小さな拠点を制圧し、僕たちはさらに奥地に進んだ。この辺りに地域最後の裁人の拠点があるという情報があった。


薄暮の森には鼻を刺すような悪臭が充満していた。

僕らは何十人で列を成して進む。前よりも人数が多かったから、不思議な安心感があった。僕は真ん中の方でなんとかこのまま何もなく終わってくれと願いながら歩いていた。 


どうやら、そういう訳にもいかないようだ。前の方で銃声が響き、一人の男が叫んだ。あろうことか彼は後方の僕らに向かって発砲した。


途端に味方同士での撃ち合いが始まる。一体何が起きたのか? それを確認している余裕は僕にはなかった。人波を掻き分け、とにかく巻き込まれないように逃走した。


そうして僕は森の中で一人になった。いや、しかしよく考えてみれば、変な状況だ。さっきの打ち合いはなんだったんだ。何かがおかしい。額から冷や汗が流れ落ちる。


思えば森に入った時から何か変だった。あの悪臭は裁人の能力によるものだったのかもしれない。まさか…… 


僕はようやく裁人の毒により幻覚を見ていたことに気づいたが、時既に遅し。明確な意思を持った巨大食中植物が、群れからはぐれた僕を仕留めにやってきたようだ。溶解液を纏った忌々しい口が僕の頭上に迫る。このままでは食われる! 僕は彼女の名前を叫んだ。そうすることしかできなかった。


「アカツキ!」


空からの雷撃が怪物を焼き尽くすように裂いた。 


「ソウマに手ぇ出してんじゃねえ!」


力強く剣を振るってはいたが、彼女がかなり疲労していることは一目で分かった。息を切らせながら、彼女は僕の方を心配そうに見た。


「大丈夫かソウマ!?」


彼女は僕の安否に気を取られて気づいない、裁人との戦いはまだ終わってないということに。切られて焼かれたはずの怪植物は、あり得ない再生速度で復活し、再び僕たちに襲いかかろうとしている。


「後ろだ!」


怪物は体に備わった針のような器官をアカツキに向けて発射した。流石の反射神経、彼女は毒針を容易く弾き返し、そのままの勢いで裁人を細切れにした。あそこまで細分化されれば、流石にもう復活はしないだろう。


「心配すんな、あの程度の小物に殺られたりしねぇよ」


いや、何か違和感がある。あの裁人は幻覚を見せる。つまり今僕が見ているこの光景も真実かどうか定かじゃない。


致命的な痛みを腹部に感じて、振り返る。僕の背後に裁人がいた。触手のような太い茎で僕の腹を貫くと、すぐにそれを引き抜いた。大量の血が溢れ出ている。


この出血量、どうしようもない。あぁ僕は死ぬのか? 


「ソウマ! しっかりしろ!」


彼女は再び裁人を切りつけたが、効果は薄かった。明らかに出力が落ちていた。そしてこの裁人はどうやら切られると分裂を繰り返し、個体を増やす性質を持っていたようだ。僕らは小さな人食い植物の軍団に囲まれてしまった。


僕を守るように彼女は剣を振るが、だんだんと劣勢になっていく。一撃の威力が高い代わりに、燃費の悪いアカツキの能力ではこの裁人を倒しきることはできない。


そして彼女は荒魂の影響で、少しずつ人の顔を失ってきていた。太刀筋も荒々しく、そこに技巧は感じられない。


一方僕は体が重くて、言葉を発することさえ困難だった。この出血では、もう助かることはないだろう。

 

もう生き残ることは望めない。ならばせめてアカツキにだけは生きて欲しい。僕は覚悟を決める。昨晩からかんがえていた、自分の命を使った実験を遂行する時がきた。


「アカツキ……ついに、分かったんだ……魂を安定させる方法が」


精一杯声を出す。もう時間はあまり残されていない。昨夜、彼女に血を飲ませて正気に戻した時から僕はずっと考えていた。他者の血肉を食らうことで荒魂を抑えることができる。


血肉には魂の一部が宿る。荒魂が大きい者が、僕のように小さい者の魂を摂取すれば、魂は安定する。液体を希釈するのと同じことだ。


あの夜、僕はふと思いついた、魂を永続的に安定させる方法を。


「何言ってんだ! 一緒にいてくれるんじゃなかったのかよ? 嘘はつかないって言ってただろ!? なぁしっかりしろよ!」


「あぁ嘘はつかないよ。ずっと一緒だ」

 

これは賭けだ。僕の研究者としての知識と勘がこの方法は間違いないと言っている。


「魂の核は心臓に宿るもの。だから僕の心臓を食えアカツキ。それできみの魂は安定するはずだ……」


「なに言ってんだよ、そんなの嫌だよ」


彼女は涙を貯めながら、僕を見つめる。ごめんよアカツキ。これぐらいしか、してやれないんだ。だけど僕は君の中で生き続けられる。だから寂しくはない。


「頼む。死んでしまったら意味がないから……早く」


こうしている間にも邪神の群れが迫っている。判断を下さねばならない。それは彼女も分かっていた。


「ソウマ。好きだよ」


彼女は泣きながら、僕の心臓を抉り取る。それでいいんだ。不思議と痛みはなかった。それよりも満たされていた。自らの研究の成就、そして彼女と出会えたことに感謝しながら、そっと目を閉じる。  


「ありがとう。貰った命は絶対無駄にはしないから」


僕の赤々とした心臓を彼女は頬張る。邪神どもが迫っているが、もう大丈夫だ。だって二人なんだから。怖いはずがない。


「裁人はよぉ、いつも俺たちから大切なもんを奪うよな。だからよ、お前らだって奪われても文句ねぇよな!? 奪うというか絶やす。血の一滴残らず!」


そうだ殺れアカツキ、裁人なんてやっつけろ。彼女の金刃は月光のような線を描きながら、数十の異形を葬り去った。迦楼羅の力を完全に使いこなしているようだ。


皆、死んだ。戦場に残ったのは静寂とアカツキだけだった。


「終わったよ」


僕の亡骸を愛おしそうに抱き締めて、彼女は空を見上げていた。こうして日はまた昇る。南西諸島での戦いは大和の勝利に幕を閉じ、また平和に近づいた。


金の左目を持つ男がアカツキの側に舞い降りる。彼は僕たちにとってのカミ様だ。


「君も大切な人を失ったのか……」


なんと慈愛に満ちた御顔なのだろう。双眼もそれぞれが違う色で輝いていて美しい。 


「カミ様、どうして裁人たちはひどいことばかりするのでしょう。俺たちは何も悪いことはしてないのに」


「アカツキ……辛いことだけどそれが戦争なんだよ。お互いがありもしない正義を振りかざす。不幸の連鎖はどちらかが倒れるまで止まらない」


「俺たちの代で終わらせるべきです。これ以上誰かが不幸になるのは嫌です」


「そうだね。そのためにも、もう少し戦わなきゃいけない。きっと俺たちなら、奴らに勝てる。アカツキにも力になってほしいんだ」


「はい、もちろんですカミ様」


「まずは逝ってしまった者たちの供養をしなければ。帰ろう」


夜真人と裁人の戦いはもうしばらく続くだろう。この戦争の行く末を、僕はアカツキの中から見守っている。何よりも大和の人々が平和に暮らせることを祈っている。 

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