第3話 他人のまま、王座へ

 王都は高い城壁に囲まれ、昼でも松明が揺れている。竜を恐れる街だからだ。竜の紋章は塗り潰され、代わりに「結晶の椅子」を模した印が掲げられていた。

 ワルシクは帽子を深く被り、マレクの肩を小突く。

「笑うな。目立つ」

「笑わないと不審者っぽい」

「十分不審者だ」

「じゃあ、爽やかに不審者でいく」

「やめろ」


 二人は裏通りの洗濯場へ向かった。洗濯場の女たちは情報が早い。ワルシクは銅貨一枚で会話を買い、必要な名前を抜いた。

「宰相補佐――グラーヴィン。今夜、結晶の玉座の前で“献上”を受ける」

「献上って、竜のもの?」

「竜の鱗、竜の牙、竜の血。……そして、竜の子」


 マレクが子竜の頭を撫でかけ、途中で手を止めた。ワルシクが見ているからだ。

「撫でたい」

「撫でるな。甘やかすな」

 子竜が「きゅう」と抗議し、マレクの服の裾を噛んだ。

「ほら、もう増長してる」

「可愛い増長は許す」


 夜。城内へ入るには通行札がいる。ワルシクは門兵に近づき、わざと転びそうなふりをした。

「きゃっ」

 門兵が反射で手を伸ばす――その瞬間、ワルシクは自分の掌を避け、袖越しに手首だけを軽く掴ませた。能力の「触れ」が、ほんの少しだけ通る。


 門兵の本音が、泡みたいに浮かぶ。

(夜勤だるい。腹減った。上司うざい。通行札? 面倒なら通してもいい……)


 ワルシクはにっこり“するふり”をして言った。

「お腹、空いてません? これ、焼き菓子。休憩の時に」

 門兵は受け取り、顔を赤くする。

「……通りな。早く」


 マレクが小声で感心する。

「駆け引きが上手い」

「褒めても手は貸さない」

「今夜は手を借りたいことだらけだよ」

「借りるなら言い方を選べ」


 玉座の間は、黒い結晶が壁から生えていた。椅子――竜の王座は、結晶の塊の中心に置かれ、周囲に鎖が垂れている。人間が座るために形を変えられ、竜のための広さは削られていた。

 グラーヴィンが座っている。指輪が光り、笑顔が薄い。

「今夜も良い献上だ。竜は従う。王座は、手に入れる者のものだ」


 供物の箱が開く。中から、竜の鱗。牙。血瓶。

 そして、最後の箱――子竜の首輪に似た革紐が見えた瞬間、子竜がマレクの腕の中で震えた。


 マレクは一歩踏み出す。笑顔は、もう軽くない。

「それ、返して」

「誰だ」

「通りすがり。異世界から来た、荷運びの男」


 ざわめきが走る。「異世界」という単語は、この国では迷信と恐怖の両方だ。

 ワルシクが前に出る。視線だけで場を切り裂く。

「グラーヴィン。あなたの指輪、竜の声を縛る。だから王座が黙ってる。……違う?」


 グラーヴィンは鼻で笑った。

「女盗賊が何を知っている。お前の手は便利だったが、逃げたな」

 ワルシクの背筋が凍る。覚えている。あの声。あの言い方。

 マレクが、彼女の横に立つ。近い。近すぎる。

 ワルシクの口が勝手に動く。

「一生他人でいて下さい」

 いつもの防壁。いつもの呪文。


 なのにマレクは、笑顔のまま、言った。

「うん。でも、君が一人で震えるのは嫌だ」


 グラーヴィンが指輪を掲げた。結晶が鳴り、鎖が動く。空気が重くなる。子竜が悲鳴みたいに鳴いた。

「竜よ、跪け。王座を認めろ。私の手を!」


 ワルシクは走った。指輪へ。だが、あと一歩足りない。

 マレクが背後から押す。肩を、掌で――触れた。


 ワルシクの能力が暴発しそうになる。怖い。冷たい。昔の記憶が喉を締める。

 でも、今は違う。触れているのは、奪う手じゃない。支える手だ。


 彼女は指輪を掴んだ。直に、掌で。

 本音が洪水みたいに流れ込む。

(竜が怖い。だから縛る。王座が欲しい。崇められたい。弱さを隠したい。手放したくない――)


「……小さい」

 ワルシクは呟いた。涙か怒りか、熱が頬に溜まる。

「あなたの望み、全部小さい」


 彼女は指輪を引き抜き、床へ叩きつけた。結晶にひびが走る。鎖がほどける音がした。

 同時に、子竜の首輪の文字『竜の王座を奪う者』が、赤から金へ変わった。


『竜の王座を奪う者』――

 奪うのは王座ではない。奪われた“帰る場所”を、取り戻す者。


 子竜が跳び出し、結晶の椅子へ飛び乗った。椅子が形を変え、竜の身体に合わせて広がる。結晶が柔らかい闇色に落ち着く。空気が、ふっと軽くなった。


 グラーヴィンは膝をつき、言葉を失った。

 マレクは彼を殴らなかった。ただ、しゃがんで目線を合わせる。

「怖いなら、怖いって言えばよかった。縛る手じゃなくて、頼る手を選べばよかった」

 グラーヴィンは唇を噛み、震えるだけだった。


 玉座の間に、子竜の声が響く。言葉ではないのに、意味が伝わる。

 ――帰ってきた。

 ――守ってくれた。


 ワルシクは立ったまま、自分の掌を見つめた。まだ震えている。でも、冷たさは薄い。

 マレクの手が、そっと近づく。今度は、触れる前に止まった。許可を待っている。


 ワルシクは、息を吸って吐いた。

「……一生他人でいて下さい」

 マレクの眉が少しだけ下がる。

「……うん」

「でも」

 ワルシクは言い直した。喉が痛いほど正直に。

「また、私が前に出られなくなったら……その時だけ、手を貸して」

 マレクの笑顔が、今度はちゃんと温かくなった。

「約束。手を貸す。握るのは……君が良いって言った時だけ」


 子竜が玉座の上で「きゅう!」と鳴き、二人の方へ前脚を伸ばした。まるで握手を求めるみたいに。

 マレクは笑って、指先だけをそっと合わせた。ワルシクは迷って、結局、袖越しに子竜の前脚に触れた。


 袖の布一枚ぶんの距離。

 それでも、確かに繋がった。


 王都の結晶は、少しずつ竜の紋章へ戻っていく。

 ワルシクは帽子を直し、横の男を見ないふりで言った。

「他人のまま、帰るよ」

「うん。他人のまま、一緒に歩こう」

「意味わかんない」

「意味は、歩きながら作る」


 子竜が玉座の上で尻尾を振った。

 その尻尾が、二人の未来をせかすみたいに揺れていた。

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一生他人でいて下さい――竜の王座と、貸した手 mynameis愛 @mynameisai

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