自分が死ぬ場面よりも――もっとキツいかもしれない
そいつは全身黒ずくめで帽子を目深に被っていた。マスクで口元を隠していて表情はわからないけど、目が違法薬物でもやってるんじゃ? ってレベルでガンギマリだ。たすき掛けにされているビジネスバッグまで濃い黒だから、どこからどう見ても不審者でしかない。体格から男だってことはわかる。身長は私より少し高いくらいだから、170ないくらい? 縮尺が2分の1サイズの映像だから正確性にかけるけど、いま重要なのはその手に包丁が握られていることだった。
そっか……私、こいつに刺されて死んじゃうんだ……。そう悟ってしまった。もしかしたらだけど……私の心が思い出すのを拒絶していただけで、魂はしっかりと覚えているのかもしれない。
『お――お姉ちゃん、行こ』
声の感じから咲耶が私のことを呼び直したのがわかる。理由は名前を聞かれないように、かな? そういうとこは敏感な妹だし。でもなー……私と咲耶って散々商店街の喧騒に紛れ込みきれない声量で話してたんだよね……それこそ顔を向けて見てくる人がいるくらいには目立っていた。もしかしてだけどさ……私が狙われたの、そのせいもあるんじゃない? 誰でもいいと考えていた通り魔の目に、賑やかな姉妹が印象づいてしまった。なら、ある意味で自業自得ってことになる? ……まさか、ね?
『そ、そうね』
咲耶に手を引かれるようにして歩く速度を上げる私。馬鹿! こんな状況なんだから前だけを見てさっさと走って逃げなさいよ!! 映像の中の私は困惑したようにチラチラと背後を確認しているせいで、距離が縮まってしまっている。あーもう! 危機感がなさすぎる!! そこは咲耶の手を逆に引くくらいの勢いで駆け出すのが正解でしょうに! そんなんだから――死んじゃうんでしょ!?
男は腰だめに包丁を構えると、両手でしっかりと固定した。そのまま私に向けて突進してくる。あれだ、ドラマなんかでヤクザがよくやってるやつ。躱しにくい上に、体重が乗って深く刺さるなんて聞いたことがある。
後ろの様子を窺った私が、驚いたように目を見開くのがわかる。慌てて逃げるがもう遅い。とうとう訪れたその瞬間はスローモーションで、やけに鮮明に見えた。
「――っ」
やだ、やめて、やめてやめてやめて、やだやだやだやだ!!
包丁の先端が、私の露出している無防備な脇腹に突き刺さり、抵抗なく刃が進んでいく。男はあろうことか両手で包丁を握ったまま捻りを加えてきた。真後ろからじゃなく、斜め後方から。あの角度じゃ体内でいくつもの血管や臓器を傷つけていると思う。
『いぎゃぁああああああ!!!』
発声練習のたわものか、喧騒を引き裂くような耳が痛くなる悲鳴だった。周囲が私が刺されたことに気づいて一気にパニックになる。
『お姉ちゃん!! このっ! ふざけんな!!!』
私の悲鳴で足を止め振り返った咲耶が状況を理解すると、すぐに男にタックルして吹き飛ばした。私は包丁が刺さったままその場に崩れ落ちるが、その出血量が酷い。あっという間に顔から血の気が失せて、荒い呼吸を繰り返している私。焦点があっているのか怪しい両目からは涙が溢れていた。無意識なのか包丁を抜こうとして柄に触れているけど痛みで力が入らないらしく、その手が血溜まりに落ちた。ピシャっと嫌な音が耳に届く――違う。目撃者の悲鳴やら怒声やらであんな騒がしいのに小さな水音が聞こえるとは思えない。いまのは……私の中に残っている記憶だ……。
『ぁ、ぅ』
必死に咲耶になにかを伝えようとしている私だけど、言葉になってない。恐らくあの場の私と、見ている私が咲耶に伝えたいことは同じだ。
「咲耶、逃げてっ!」
『喋っちゃダメ! 動くのも絶対ダメ!! すぐ救急車呼ぶから!!』
広がっていく血溜まりに膝をついた咲耶が真っ青な顔でスマホを取り出し、震える指でなんとか操作して救急車を呼ぼうとしてくれているけど、その背後には男が迫っていて――ビジネスバッグから2本目の包丁を取り出していた。そのことに彼女は気づいてない。いや、気づいているのかもしれないけど、私を助けることだけを考えている感じだ。
『づぁ゛?!』
振り下ろされた刃が咲耶の背中を滑るようにして大きな傷をつくり、切り裂かれたブラウスから鮮血が流れ出てくる。それは自分が刺された光景よりも衝撃だった。男はその結果が気に食わなかったのか、改めて咲耶の背中に包丁を刺し直す。私に覆いかぶさるように倒れる咲耶の姿が――背中に残っている包丁から目が離せない。
「いやああああああああああああ!!!!!?」
嘘だ、嘘だよね!? 嘘だ嘘だ嘘だ!! こんなの嘘に決まってる!! まさか咲耶まで一緒に!? 私だけでいいじゃん!!!
『――』
『お、お姉ちゃん……だ、大丈夫だからね? きっと助かるから……ファーストライブは、延期になっちゃうかもだけど……あんなに一生懸命レッスンを頑張ってたんだよ? ……その成果がこんなのなんて、あんまり過ぎるよ……』
『――』
咲耶の下に居る私は、いつの間にか力なく目を閉じていた。私……もう意識ないんだ……呼吸は……胸の動き……咲耶が上に乗ってるから、わからない……。そして咲耶の言葉は私に対してというよりも、自分に言い聞かせているようにも感じた。だって……どう見ても私は……血を流しすぎている……咲耶と比べても血が溢れてくる勢いが全然違う。咲耶はワンチャン助かるかもだけど、私は無理だよ……実際、無理だったからいまこうして神様と一緒に見ているんだし。
私と咲耶を刺した男は逃げることなく、私たちを見下ろしている。その手にはあろうことか3本目の包丁が握られていた。とどめを刺そうとしているようにしか見えない。あんだけ周りに人が居るんだから、誰かしら助けてくれてもいいのに。私は手遅れだけど、せめて咲耶だけでも! そんな風に思ってしまう。その願いが叶うなんてことはなく、巻き込まれないようにみんな逃げてしまい遠巻きに見ているだけだ。数人が電話しているのは警察とか救急なんだろうから、それは別にいい。でも動画撮ってる連中は死ねばいいと思う。
「こんな感じだねー。君は痛い思いはしたけど、前前世とかと違って酷く苦しむことなく逝けた。そろそろ妹ちゃんと一緒に次の人生の相談しよっか」
神様の声が気遣う様子を見せながらもやけに明るく感じたのは――優しさなのかな? ただ大きな問題もある。
「……『妹ちゃんも』って言った?」
「言ったねー。残念なことに、姉妹揃って死んじゃった」
「……そうなんだ」
咲耶も……ダメだったんだ。自分が死んだと聞かされるよりも、そっちのほうがキツかった。
「咲耶はその気になれば動けただろうに。自分だけなら助かる道があることに気づきながらも、もう意識のなかった君を守ろうとして動かなかったからね。きっと君があれ以上痛い思いをしないように、身体に傷が増えないように、その一心だったんだろうね。本当に愛されてるよ」
「……咲耶」
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。私がちゃんと逃げていればあんなことになるのを避けられたかもしれないのに。ほんと自分が嫌になる。
「咲耶は何度も刺さたのに、悲鳴も漏らさずに耐えて君の最期を見届けたんだ……そのあとは……まぁ、すごかったよ?」
うん? なんか流れが怪しくない? 気のせい?
「最後の力を振り絞って、逆に包丁を奪って犯人を殺しちゃったんだから。その際にお腹や胸まで刺されて、それが原因で死んじゃったんだよねー」
「は? 待って、思ってたのと違うんだけど!?」
まさか――神様がホロ映像の再生を止めたのって、その場面を見せないため? それは――妹が何度も刺されるところを私が見ないで済むようにっていう優しさなのか……それとも妹が人を殺すのを見ないようにっていう気づかいなのか……どっちなんですかねぇ……?
「そういう反応になっちゃうよねー。そんな訳でここからは3人で来世の相談会といこうかー」
私と、咲耶と、神様……私たち姉妹はともかく……神様も『人』って数えちゃっていいんだ……。
「お姉ちゃん♡」
甘えるような声とともに神様の背後から現れたのは、どす黒い光球だった。なんか呪われそうで怖いんだけど!?
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