キレーネ2025―未知無き既知を書き分けて

gaction9969

★_🔳

 もーいーくつ寝ーる↑ーとー♪


 今 年 が ま た 終 わ る――


 何故、年月としつきというものは、齢を経るごとに加速度的にその流れを速めていくのだろうか――


 そんな、開幕ポエムをカマしたところで、その答えは「未知のものが少なくなっているから」だと、この私は思うのでありますぞッ!!(お題回収


 新しい何かに触れるということは、それが楽しい/面白いことであれば、その瞬間はそれこそ「時間を忘れて」没頭するわけで、楽しい時間そのもの、というのはすぐ過ぎ去ってしまうのですが、その後、その体験を反芻するかのように脳内で凄まじい速度で「再体験」が繰り返される。ゆえにその時間が凝縮され、濃縮されて、それ込みでの自分の中での「体感時間」は長いものとなっていくのではと、最近は日々真顔のまま何とは無しに無感動に動画を摂取しては一日があっという間に過ぎていくこの私なんかはそう考察するのであります。


 あとは未知のものを待ち焦がれる日々の長さよ――


 小学校くらいの頃は、イベントが沢山ありましたな。正月、節分、ひな祭り、進学、夏休み、運動会……中でも、物欲に直結する誕生日とクリスマスは、その日を迎えるまでカレンダーに無駄に×印をつけたりと、落ち着かなく過ごしたものです。その「未知」……というと神秘的ですが、まあ新しい玩具やゲームなところの未経験なるものをGETするまでのそれらを妄想し過ごす日々というのは、これは長い。そして近づくにつれてさらに遠く感じるようになるものなのです。普段は嬉しい土曜日曜なんかも、時にはその膨大に思える時間ときをどのようにやり過ごそうか、なんて思ってみるまであったりもする。だから、そんな「焦がれ」を加味した「未知」を手に入れた経験はまた、膨大な記憶と共に脳に深く刻み込まれ、大きなウェイトを占めるようになるのだと、そう考えるところなのです。


 齢食って良くも悪くも経験が無駄に積もり上がると、完全に「未知」と思えるものは少なくなっていくのは当然のことながら、一方、経験上から「これはこれの派生/延長だろう」とか勝手に判断し、先入観もりもりのまま、そのものの本質を見ないで/到達しないで早合点してはそれで終わってしまう。または体験もしないで忌避/切り捨てしてしまうのではないでしょうか……


 脳を受信機としてだけ使ってはいませんかッ!?


 取捨選択の機器としてもう何年もそのままにしていませんかッ!?


 我々が感知しうる「物質」はこの全宇宙のたったの「5%」しか無いのですぞッ!!


 まだまだ「未知」はある、新しいものもどんどん生み出されてくる……ひとつここは自分から、まだ見ぬ自分にとってのダークマター/ダークエネルギーを求め、行動してはいかがだろうか――


 そうそう、「小説」って、脳にいいらしいですよ――?(浅い知識


手始めにこの年末年始、未知なるweb小説をまっさらな目と脳で読み通してみるとかねッ(宣伝


 「未知」な物事にとんでもないエネルギーを注いでそれらを更に光り輝かせていたあの時のように――(綺麗にまとめてみる


 ただひとつ、言いたいことは、「未知」って、綺麗ねキレーネ?(タイトル回収


(おわり)

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