爆発

肥え太

プロローグ

「今月のトップは一課の鈴木くん!おめでとう!」

パチパチパチと営業フロアに拍手の音が響く。

「ありがとうございます!皆さんのご指導とご協力のおかげです!来月もトップを取れるように頑張ります!」

「鈴木はこれで3ヶ月連続トップだな!年間のトップを目指して頑張ってくれ!他のみんなも鈴木に負けないように!」


鈴木は今年の春に入社した新卒だ。

入社した時から「私はこの業界でトップになりたくて入社を決めました!矢田さん色々教えてください!」「矢田さんは新卒でトップを取ったことがあるんですね!自分も必ずトップ取ります!」「自分もう少し調べものしてから帰ります!お疲れ様でした!」そんな熱い男だった。

とっくにそんな熱も無くなって、良くも悪くも無い普通の成績をずっと残し続けている俺には眩しいぐらいに熱かった。


日本でも中堅の不動産会社の東北営業部。45歳の矢田楽やだがくは、熱の無い目でぼーっと朝礼に参加していた。業界25年目、ミスもしないし、なんでもそそつなくこなす。


昔から、とにかく器用だった。


新人の頃、世界情勢の影響で業界全体が暗くなり、先輩たちが苦戦する中、楽はあっという間にコツを掴んだ。1ヶ月で一人前、3ヶ月でトップセールスマンになった。


でもそれだけだ。


「たまたまです。ありがとうございます。」

そんなセリフを口が腐るぐらいに何度も吐いた。

「矢田~!お前、すげえじゃねえか!なんかコツでもあるのか!教えろよ。」

そう先輩に聞かれても「お客さんの話をよく聞いてただけで、本当にたまたまです。」と作った笑顔で返事をした。


嘘ではない。でも、それだけでもない。楽には「コツを掴む感覚」があった。何をすればうまくいくのか、どうすればラクなのか。それが自然と分かってしまう。


そして、コツを掴んだ瞬間、興味が失せて努力しなくなる。そこまでなのだ。


営業の仕事も、もう25年。最初の半年は新鮮なことだらけだった。でも、一度コツを掴んでからは、ただの作業になった。それを今も惰性で続けているだけ。


「今日も定時で帰れそうだな。」


いつものように必要最低限で仕事を終わらせ、楽は定時の18時に会社を出た。


電車の中でスマートフォンを眺める。SNSをスクロールし、ニュースを見て、好きな漫画を読む。特に面白いものはない。惰性だ。


最近ギターを始めた。コードを覚え、簡単な曲を弾けるようになった。妻は「すごいね!」と褒めてくれた。でも、もうギターケースを開けていない。飽きた。


英語の勉強もしてみた。TOEICで800点を取った。それなりのスコアだ。でも、そこから先に進む気力がない。「800点あれば十分だろう」と、参考書は本棚の奥に仕舞い込んだと思う。


ジョギングもした。「矢田君、マラソンはいいぞ。」と上司に言われて、週に1度、10キロを走ってみた。最初は新鮮だった。でも、すぐに飽きた。タイムを縮めようとも、上司のようにマラソン大会に出ようとも思わない。


何もかもが、中途半端だった。


「まあ、俺の人生、こんなもんだよな。」


ふと、そんな言葉が口をついて出ていた。


自宅に帰ると、妻が夕食の準備をしていた。


「おかえりなさい。」

「ただいま。先にシャワーを浴びるよ。」


妻の奈美は優しい女性だ。二十年の結婚生活、大きな喧嘩もなく、穏やかに過ごしてきた。子供は二人。長男の大輝は大学三年生、長女の美咲は高校二年生。


シャワーを浴びて食卓につくと妻の作った食事が並んでいた。

リビングでは娘がテレビを見ていた。

「大輝から連絡あったわよ。就活、順調みたい。」

「そうか、良かった。いただきます。」


楽は食事をしながら相槌を打つ。息子の就職活動。きっとうまくいくだろう。

大輝も器用な子だ。楽に似て、何でもできる。中学で音楽に夢中になってからは、勉強も音楽も一生懸命やるから東京の大学に行きたいと熱く真剣な目で相談してきたのを覚えている。

美咲も、医者になるんだと熱い目をして今の進学校に入学して勉強を頑張っている。

どちらも自慢の子供たちだ。


(俺はどうだったかな…)


ふと、そんな思いが頭をよぎる。自分は熱かっただろうか。なんでも器用にこなし、そこそこの人生を送り、そして——何者にもならない。


「あなた、ボーッとしてどうしたの?」


妻の声に、楽は我に返った。


「いや、何でもないよ。」


夕食後、リビングでテレビをつける。ちょうどスポーツニュースが流れていた。


『Bリーグの試合結果です。千葉ジェットズが——』


画面には、躍動するバスケットボール選手たちの姿。ダンク、スリーポイント、激しいディフェンス。汗だくの選手たちが、体をぶつけあい、吠え、勝利を掴み取る瞬間。


楽の手が、無意識に拳を握る。


「熱いなぁ...。」


呟きが、思わず漏れた。


バスケットボールは、楽の唯一の青春だったかもしれない。


中学時代。楽は地元東北の強豪バスケ部に所属していた。

ここでも、楽は器用だった。

ドリブル、シュート、パス。教えられたことをすぐに習得し、試合でも活躍した。中学1年の時に県の選抜チームにも呼ばれた。


「矢田、お前は才能があるよ。」


コーチの言葉。チームメイトの羨望の眼差し。

あの時の楽は、輝いていた。


でも、楽が3年生の時にとんでもない後輩が入ってきた。中一で200㎝、ダンクもできる。今思えば身体能力はそこまででも無かった気がするが、とにかく全員が彼に夢中になった。

最初は、ワンオンワンで勝てた。でも、すぐに勝てなくなった。ドライブで抜いても後ろからブロックされる。フェイクを入れても相手は飛ばなくてもいい。紅白戦の時は、彼にボールを入れられたらそれで終わりだ。

それですぐに諦めた。

最後の大会は、その彼を中心にチームを作ることになり、全国大会に出場した。それだけだ。


それから、全てが変わった。


とにかく東京の大学に行きたいんだと両親を説得して、バスケとは全く関係のない進学校に入学した。当然、チームメイトにもコーチにも止められた。バスケを続けようといろんな人から声を掛けてもらった。でももう諦めていた。

中学のチームメイトたちとはどんどん疎遠になった。


テレビの中では、インタビューが始まっていた。


『本日のMVPはなんと、プロ一年目!ジェットズのスーパールーキー女川めがわ選手です!今日の勝利、いかがですか?』


『とても嬉しいです!小学生の頃からの夢だったプロ選手になれて、たくさんのブースターの前で試合に出させてもらえて、チームの勝利に貢献できて...本当に幸せです!』


眩しい笑顔で答える選手がいた。


「小学生の頃からの夢...か。」


楽の胸に、激しい後悔が押し寄せる。


もし。


もし、あの時、逃げずにバスケを続けていたら。


もし、あきらめずに本気で練習していたら。


もし、プロを目指して全力で取り組んでいたら。


「ふっ...無理だよな。」


自嘲気味に呟く。

でも、頭の隅では。


無理じゃなかった。才能はあった。


足りなかったのは、才能じゃない。


本気で取り組む覚悟だった。熱だった。


とぐるぐると回る気持ち悪い考えがある。


美咲が話しかけてきた。


「お父さん、バスケやってたんだよね?」


「ああ、中学まではな。」


「ふ~ん。何でやめたの?」


何で——。


その質問に、楽は答えられなかった。

娘からすると、本当に何でもないただの会話だったのかもしれない。


彼がいたから?しんどくなったから?プロになれると思わなかったから?覚悟がなかったから?


でもきっと、本気でやって駄目だったら。全力を尽くして、それでも届かなかったら。

だから、怖かったのかもしれない。適当にやって、「本気出してないから」と言い訳できるラクな場所に居たかっただけなのかもしれない。自分が中心に居れるラクな場所に。


「...お父さん?」

「ああ、ごめん。やめた理由は特にないよ。そろそろ寝るよ、勉強頑張れよ」


きょとんとした娘に返事をして、楽は立ち上がり寝室に向かった。


ベッドに横になり、天井を見つめる。


45年間。


何も成し遂げていない。


仕事はそこそこ、趣味もそこそこ、人生もそこそこ。


一つの事に熱中しきったことがない。


何かに本気で熱中し、全てを燃やし尽くすような、感情が爆発するような経験が、一度もない。


「…もう一度、やり直せたら…」


そんな馬鹿げた願いを、楽は心の中で呟いた。


もし、もう一度人生をやり直せるなら。


今度こそ、逃げない。


今度こそ、本気でやる。


今度こそ、爆発したい——。


なんて、馬鹿らしい。


そんなことを考えながら、楽は眠りについた。


そして、目覚めた時。


世界は、変わっていた。

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2025年12月24日 03:00

爆発 肥え太 @koetateok

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