第1話 終わりは唐突に
——痛い。
少年が歯を食いしばる。
へたり込んだ地面は、皮膚が爛れるような熱さだった。その地からうだるような熱気が立ち上り、少年のくすんでしまった細髪をさらう。
ぼやけた視界はその熱気のせいか、それともいまにも零れ落ちようとしている涙のせいか。
——痛い。
舞い落ちる粉塵が、やけにゆっくりと視界に映った。
ジリ、と少年の袖が黒く色を変える。
辺り一面の、赤。なめるような炎が、地を這っていた。
——痛い。
周囲には、家の形を何とか保った木造の残骸。少年の家も、その隣も、そのまた隣も。見渡す限り、完全に被害を免れた建造物なんてなかった。
——痛い。
呻き声が聞こえる。少年の両親だろうか。それとも隣の、いつも何かしらのお裾分けをくれる優しいおばあさんだろうか。
きっと誰しもが傷を負った。瓦礫の下敷きになって身動きが取れない人なんてざらだろう。
それほどまでに、唐突だった。唐突な、爆発だった。
——痛い。
少年の体は傷だらけだった。近距離で爆風にさらされると同時に細かな木屑に傷付けられた少年の柔肌は、もはやとりとめもなく血を流していた。
——痛い。
それでも、一番痛いのは、重症の体ではない。
——痛い。
心臓の音が耳元で大きく鳴り響く。周囲の音が遠くなって、血液の流れる音だけが、ただ鮮明だった。
——痛い。
心臓が、とても。まるで大きな手のひらにすっぽりと覆われて、丁寧に握りつぶされているような圧迫感。
はく、と口から息が漏れる。
——痛い。
項垂れる少年の視界に、誰かの靴先が映り込む。否、誰かなんて、それは分かっていた。
この惨状の中で、唯一立っていられる人物。この惨状を、引き起こした人物。
目を見開いて、はじかれたように相手を見上げる。
無機質で人外じみた赤の瞳が、少年を何の感慨もなく見下ろしていた。
左の額から伸びた、長さの異なる二本の角がひどく異質だった。
ゆっくりと腕が上げられる。その手のひらが、少年に照準を合わせる。
手の内で、炎が生まれ揺らめくのを見た。
「だめ、まって——」
見惚れるほどに美しい赤が、その熱が、少年のみならずこの場を吞み込もうとしているのを悟り、少年は思わず自身のそれを重ねようと手を伸ばした。
炎ごと、相手の行為を押し込めようとした、けれど。
「——君! 何をしてる! 下がれ!」
後方から骨が軋むほどに右肩を掴まれ、勢いよく体を引かれる。
もともと踏ん張りのきくような状態ではなかった少年の体はいとも簡単に後ろに倒れ込んだ。
背後にはいつの間にか武装兵が並んでいた。
すぐさま視界が分厚い防護具で覆われる。同時に、ひどい地揺れとともに熱風が吹き付ける。
「まって、だめ……」
武装兵の一人に後ろから羽交い絞めにされながらも、少年はひたすらに前へと進もうとする。しかしその努力虚しく、必死に伸ばされた腕が宙をかく。
前線の人が数人、宙を舞うのが見えた。
押さえきれない、と誰かが叫んだ。
武器の用意はまだか、と誰かが怒鳴った。
装填確認、目標ロックオン、と誰かが冷静に呟いたのを、少年は嫌に鮮明に聞いた。
「だめ——」
少年の悲痛な声は、喧噪にかき消される。
「——兄さん……!!」
轟音とともに、眩いほどの光とともに、世界すら消し去ってしまうほどの爆発が起こった。
大地が揺れた。
体を突き抜けていくような鋭い風が吹き抜けた。
力の限り瞼を閉じた。
目の前に広がっているであろう惨状を理解したくなくて、体を縮こめたまま情報をシャットアウトした。
——静寂。
ややあって僅かな布擦れの音がして、ついで憎々し気な舌打ちが聞こえた。
「——逃げやがった……!」
——逃げた。兄が、殺されることなく、逃げた。
ようやっと言葉を咀嚼して、少年は呼吸になりそこなった息を吐いた。
ぼろぼろの体を抱きしめて、絶望ではなく安堵に目を閉じる。
しかしそれも、乱暴に髪を掴み上げられてあっけなく阻止される。
「お前、あれのことを兄と呼んだな」
眼前に迫る屈強な男の顔面に、少年は思わず顔をしかめた。歴戦を生き抜いてきたのだろう古傷の残る眼窩の奥で、煮えるような瞳が光っていた。
「親はいるか」
「……いいえ」
「虚偽報告はすぐにバレるぞ」
「いないと言っているでしょう」
「いるんだな」
「だからいないって——」
少年の頭蓋を鷲掴んだままに、男は背後に怒鳴った。
「捜せ! 瓦礫の下にいるはずだ!」
疑問ももたずに一斉に捜索を始める武装兵に、少年はいっそ寒気を覚えた。
顔色の悪くなった少年に再び向き直った男は、少年を立たせて別の兵士に引き渡しながら言った。
「悪いな。こちとら命の奪い合いをしている身だ。仕草一つで読み取れる情報は腐るほどある」
少年からの反応すら気にしていないような素振りで、男は悠々と去っていく。
三日後、とある一族の処刑が執行されることとなる。
身内から悪魔憑きが現れたことによる、一族連座の刑であった。
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