【短編小説】直感ゲーム
@tomomi_siro
直感ゲーム
「昔、入ってるか入ってないかって、鼻を手で隠して『指が鼻の穴に入ってるか入ってないか』あてさせるゲームやらなかった?」
餅子がテーブルの上のモバイルPCとノート、カフェラテをわずかに残したマグカップをそっとどかし身を乗り出し、いかにも神妙な顔つきで話し始めた内容がそれだった。
「やらなかった」
静かに首を横に振りながら、愛がつぶやく。肩より少し短く切りそろえた豊かな黒髪が揺れる。明日の講義の予習をすると言って開かれたあと、大して操作されないまま脇におしやられたPCをちらと見やった。
「うそ、やるでしょふつー。小学生みんなやるって」餅子は驚きを隠せず、思わず声を上げそうになったが即座に飲み込み、ひそひそ声で反論した。
「ふつーってなんですかね」
「あれ入ってたらダメじゃん!」ひそひそ。「て必ず突っ込んでたんだよね。穴だけに。フヒ」
「何興奮してんの、大学生にもなって言ってることが中1男子」
「ねぇ、あれ入ってたことある?」
「いや、だからやってないって」
「ほんとに!? おかしいな……ローカルなもんだったのかな……」
木曜日の夜9時半。セルフタイプのカフェはこの時間でも未だ盛況だった。寒い夜であたたまりたい人が多いのか、店内の席はほぼ埋まっており、レジに並ぶ客もさきほどから途絶えない。各人が静かに過ごしたり声を小さくしていても、これだけの数が集まればそれなりの音量になり、ボサノヴァ風BGMをかき消していた。
餅子と愛が向かい合うテーブルは壁沿いで、通路を挟んで一人男性客がイヤホンをしながらずっとスマホで動画を見ている。愛の背後にも一人客、しかしこちらに背を向けてタブレットで読書をしている。餅子の背後には2人連れが向かい合って座っており、たまに会話が聞こえてくるが、片方の声が異様に小さく、その内容まではわからない。
「私、直感がすごいんだよね」
モバイルPCもノートも閉じられ、ペン類はペンケースへ。しかし飲み終わったマグカップは、そこに残ったラテの泡や、飲み口に残った汚い雫跡が乾ききったまま放置されていた。
「なんかさ、朝顔洗ってタオルでふいて、あー乾燥するわ化粧水化粧水……とか考えてると、あんまり好きじゃない女優さんの顔がふと頭に浮かんで、『そういやあの人って最近どうしてるんだろ』って。そしたら数日後に亡くなったの。亡くなる人のことがわかっちゃう」
「偶然でしょ。毎日何人の人が死んでると思ってるの? 芸能人だってたくさんいるんだし、そりゃたまたまタイミングが合う時だってあるでしょ。そういうのなんて言うんだっけ、なんとかバイアス……。それじゃ、いまこのカフェの中で、死にそうな奴わかる?」
「うーん」少し首を伸ばして店内を見回す。飲み物を持って空き席を探している人と目が合う。慌ててそらす。
「いやー、今いる人たち、みんな若いからダメだね」
「関係ないでしょ」
「あっ! じゃあさ、別のことにしようよ。たとえば……兄弟姉妹の何番目か当てるゲーム」
「ゲームって言っちゃってるじゃん」
「じゃあ、まずはあの子。あの窓際の、女2人組、茶髪ロングのほう。ネイルバキバキ。化粧派手だな~、戦闘民族かよ。スカート短かっ。脚組んでなきゃパンツ丸見えじゃん、履いてる意味ある? うーん。あのチャラくて甘やかされた感じ、自分が妹と見せかけて下に2人いる姉だな。おーい!」
「ちょ待ってよ」
愛が手を伸ばしたがもう遅い、餅子は窓際にドドドドと走り去っていった。
「ねえねえ、兄弟いる? 姉妹?」
「え、何」茶髪ロングネイルバキバキ女は落ち着いたトーンで餅子を見上げる。連れの女、似たようなロングだが黒髪をくるくると巻いた女が、餅子に目を貼り付けたままテーブルの上のスマホに手をかける。
「いーじゃん、教えて」
「……弟がいるけど」
「弟2人?」
「1人」
「妹は?」
「いない」
「うーん」
「何なんですか?」
「ちょっとちょっと」愛が止めに入った。
「じゃあ次はあいつ」餅子の目はカウンターで飲み物を待っているリュックを背負った長身の男に向いている。
「やめなさい」その声と同時に餅子は走り出していた。
駅前の商店街に出る。ほとんどの店は閉まり、電車到着の合間なのか、人はまばらだった。
「次は、恋人いる人をあてよう。いない人でもいい」言いながら、餅子の目はすでに遠くに見える、こちらに歩いてくる人にロックオンされている。
「それはわかりやすそうだな」
「難しいのは、一見いそうでいないってやつだよね。いなそうなやつはだいたいいない」
「失礼すぎる」
「あの、すみません」
グレーのスーツ姿、黒いポリエステルの斜め掛けカバンの、やや髪がべたついた男に話しかけた。
「はい?」男は一瞬驚いたが、餅子が若い女であることに安堵の色を見せる。
「あの、私大学生で、レポート書いてて。各年代の恋人保持率と景気についてっていうテーマなんですけど」
静かに冷えた商店街に、高らかで明るい、ハキハキとした声が響く。
恋人保持って言う? 言うか。愛はそのまま続けさせた。
「今、恋人はいますか?」
「え、まあ、はい……それが何か……」
「ありがとうございます!」
「え、終わりですか?」
「はい、ではまた!」
「また?」
「いたね」小さくスキップしながら、少し離れて待っていた愛の元に戻ってくる。
「ねえ、予想してなくない? ただ聞いて終わってない?」
「えっ? 私言ったじゃん、あいつはいるって!」
「言ったか?」
「もう~聞いててよ~」うんざり顔で愛をにらみつける。
「マジか……」
そのあと、駅に電車が到着するとともに人の流れが増えた。退屈していた餅子の目に光が灯る。
「じゃあ次は~、心療内科に通って薬もらってる人!」
「絶対にアウト」
「なんでよ。私得意なんだよ、病んでる人当てるの。芸能人でさあ、実は鬱でしたって急に休養入っちゃう人いるじゃん。あれだいたい知ってた」
「それならもう、本当に当てられるか試す必要ないね、おしまいおしまい」
「ダメ! たまたまかもしれないんでしょ。ちゃんと証明しなきゃ」
「何のために?」
「私の名誉のために」
「そのために、他人の名誉を犠牲にするのか?」
「名誉を犠牲?」
「デリケートな問題に触れるんじゃないよ、ましてや全然知らん人に。通報されるぞ」
「え~」
「ねえ、あの人……」
黒髪くるくる女が、丈の短いダウンジャケットの前を、自分を守るように引っ張り合わせる。
「大丈夫、害はないから」
茶髪ネイルばきばき女が同じくダウンジャケットの腕で彼女の肩を抱き、白い息を吐く。2人は商店街の入り口、電信柱の陰で「インタビュー」の様子をうかがっていた。
「知り合いなの?」ミニスカートから伸びる素肌むきだしの自分の脚を何度かさする。そのあと茶髪の脚もおまけとばかりにさすってやる。
「うーん、私は知ってるけど、向こうは忘れちゃったみたいだね。前にも同じ質問されて、答えてるんだけどな」
「同じ質問て……さっきのカフェで、兄弟のこと聞かれたやつ?」
返事をする代わりに、茶髪ネイルは小さくため息をついた。
大学入学という環境の変化のせいか眠れない日が続き、心療内科に通っていたことがある。診察を終えて出てきたのドアの前で、ばったり向き合った彼女に同じ質問をされたのだ。
「兄弟いるでしょ!」
「え?」
「1人! 弟!」
「え、あ、はい……」勢いに負けてつい答えてしまった。
彼女は満足そうに、心から満足そうに無邪気に澄んだ笑みを浮かべ、少し肩をすくめて中に入って行った。
あれがゴールデンウィーク明けくらい。
「精度下がってんじゃん」
餅子は道行く人に話しかけては、そのあと一人で何かをしゃべり続けていた。
それは、片手、両手を上下させたり広げたり、必死に訴えるようすだった。
まるで、横にいる誰かに話しかけるかのように。
そこにはただ、冷えた虚空があるだけなのに。
「電話してるのかもね」
茶髪ネイルは独り言のようにつぶやいた。
「ハンズフリーで?」黒髪が寒そうに寄り添って腕をからませてくる。茶髪はうなずいた。
「いこ。回り道になっちゃうけど、ほかの道から」
その場をあとにしても、打てば響くように固く冷えた空気が、彼女の孤独な声を耳に届けてくる。
「今、働く人の意識調査で」
「心療内科に」
「薬は」
「私の友達も」
「お大事に」
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