駆け込み乗車禁止

くすのきさくら

第1話 ほどほど

 あの日が俺のターニングポイントだったのだろう。

 しかし、そのことは誰にも話したことはない。

 なぜなら――。


 ◆


「お疲れー。無理するなよ。若造」


 書類とにらめっこする俺の肩を優しく触りながら声をかけてくれたのは一回り上の先輩。

 誰にでも壁なく接する優しい先輩でなんでも相談できる人だ。

 なお、ほどほどというのが口癖で部長にとやかく言われようと自分のペースを守るマイペース?な人でもある。


「お疲れ様です。これ片付けたら帰ります」

「ほどほどで帰れよー。ほどほどが一番だ。あ、よかったら駅前の飲み屋来い。奢ってやるからよ。そうそう、洗面所に時計置いてあったがお前のだろ?なくすなよ」

「あ?あー、そういえば昼休みに顔洗ったときに置いたかも。ありがとうございます!」

「おお」


 と、そんなほどほどが口癖の先輩に声をかけられたのはもう数時間ほど前のこと。

 時たま通過していくのはタクシーの明かりだろう。

 昼間なら多くの人が歩いている窓の外も今は真っ暗。静まり返って――しまった。


「やばっ?今何時だ?」


 慌てて腕時計を見るとてっぺんを越える直前だった。


「おおっ、あぶねー」


 よくよくある毎日のことと言えば毎日のことなのだが。

 俺は集中すると時間を忘れてしまう。

 なので気が付いたら終電まで数分――と、いうのはよくあること。

 慌てて机の上を片付けるとカバンを手に取り部屋を出る。


「――お疲れ様です!」


 警備員室の前を通過しながら警備員さんに声をかける。


「――あ、おお、今日は早いな」

「いやいや、もうてっぺん越えますよ」


 急いでいた俺は軽く返事をして職場を出る。


「そうかー、うとうとしとったわ」


 背後からの警備員さんの眠そうな声を聞きながら俺は駅への道を走る。

 職場から駅までは直線距離で500メートルくらいだろうか?

 幸いなことに狭い路地を抜ければ信号は駅前だけ。

 今の時刻は23時58分。おっ、階段ダッシュをしたからか1分ほど余裕がある。

 腕時計で時間を確認しつつ狭い路地を最短距離で通過――ゴミを飛び越える。猫が出てきて激突――は過去のこと(笑)くらい路地裏はもともと人通りがないのでスムーズだ。

 そして路地を抜ければ、あとは信号だけ。と、思ったら――。


「――どこやったかのー」

「――」

 

 信号の前でうろうろしているおじいさんが居た。

 歩行者信号が赤のため俺はおじいさんの近くで立ち止まる。

 遠くの踏切が鳴りだした。

 信号変われ。変われ。あれ逃すとタクシーに――と、俺が思っていると。


「お、兄ちゃん。悪いな。これどこかいな?」


 おじいさんが俺に声をかけてきた。

 終電だからか駅へと入っていく人はいつもより人通りはまだ多い気がするがみんな足早だ。

 そしておじいさんにとっては運がいいのか。今通りの反対側に居るのは俺だけ。捕まえれる人間はこの信号に居る俺くらいだったのだろう。一直線に俺へと向かってきた。

 手には紙切れを持っているが暗くて何が書かれているかはわからない。

 電車の走行音が聞こえてきている。


「あー、えっと――」


 駅の方を見つつ。おじいさんに電車に乗るアピールを行動でする。

 信号が青に変わり。ちょうど駅の踏切も鳴りだす。

 いつもなら滑り込みセーフの完璧なタイミングなのだが――。

 明らかに困った様子のおじいさんを無視することもできない俺。


「――大事な用があってきたんじゃが……このあたりわからんくての」

「ちょ、ちょっと見せてください」


 結局無視することのできなかった俺。

 終電はあきらめた。

 明らかに困っている様子のおじいさんの手に持っていた紙を見せてもらう。

 そして携帯電話をポケットから出して紙を照らすと――どうやら地図でこの駅近くのお店に丸があった。

 見にくい中方角を確認する。

 

「――えっと、あー向こうか」

「わかりますかいな?」

「多分こっちです」

「すんませんなー」


 おじいさんの歩くスピードに合わせ一歩くらい俺が前を歩く。

 もちろんのことながら電車の走行音が遠ざかっていく。


「兄ちゃん。悪いね。急いどったんちゃうんかいな?」

「あ、いえ」

「いや、でも兄ちゃん優しいのー」

「いやいや」

「こうゆう兄ちゃんは長生きしてほしいわい。無理せんとほどほどに生きてくれや」

「あはは」

「ほどほどがええんや」

 

 俺死相でも出ていたか?おじいさんの何でもない話に返事をしつつ地図を見て俺は歩く。

 そしておじいさんと一緒に歩いてみると、結構近く。駅もまだ見えているところが目的地だった。

 その場所には赤い提灯って――飲み屋かい!

 おじいさん。こんな時間から飲み屋で友達と宴会でもするのか?元気だな。

 などと、思いつつ声をかけようとすると――。


「おお!以外と早く来たな!」

「えっ?あー、先輩」


 赤い提灯のお店からかなり前に帰ったはずの先輩が出てきた。

 それにお店の中には同じ部署の人が他にも――みんなまだ飲んでいたのか。終電出ちゃいましたよ?とか思いながら返事をすると。

 

「ほら見ろ。こいつ腕時計しか見てないだろ?」


 何やら先輩が嬉しそう?にそんなことを言ってきた。


「うんん?」


 何が何だかわからない俺。

 

「先輩たち――何時間飲んでいたんですか?もう終電――」

「しっかり騙されたな。お前まだ10時だよ10時。22時」

「――――えっ!?」


 先輩がからかっているのかと思い腕時計を見ると――しっかりてっぺんを越えている――のは俺の腕時計だけ。

 ちょうど見えたお店の中の時計は22時05分だ。


「お前さん真面目過ぎるからな。意外と時間を気にしていたから腕時計いじったらどうかと思ったが――でも来るにしてもお前の時計で日付変わるまで来ないとか。頑張りすぎだぞ。ほどほどを覚えろって」

「先輩――それでおじいさんまで準備して――あれ誰ですか?」

「――おじいさん?」


 少しお酒の入った先輩が不思議そうな顔で聞き返してきた。

 

「あ、いや、今俺はおじいさんを案内して――」

「おじいさん?」

「いや、ここ――」

 

 とりあえ先輩が仕組んだことというのがわかりつつも。

 おじいさんも巻き込むとか盛大だな――と、思いながら後ろを見ると――誰もいなかった。


「誰も居ねーぞ?」

「いやいや、おじいさんにここを――ほらこの地図」

「――なんだこれ?」


 手にはおじいさんから受け取った地図がある――あるのだが――おじいさんが居ない。って――地図に印があったはずなのに印がなくなっている……。


「あれ?」

「お前疲れてるんじゃないか?ほら、奢ってやるからしっかり食って休め」

「ちょ、先輩」


 おじいさんのことがわからないまま俺はお店の中に引っ張られていく。

 

 結局その後誰もおじいさんは知らず。

 俺もそのおじいさんと会うことはなかった。

 

 ◆


 これは俺がある日の夜に経験したこと。

 あのおじいさんは――誰だったのだろうか。

 けれどあのおじいさんのおかげで俺はほどほどよいう事を知った気がする。 

 あの後先輩たちと飲んで帰ったが。それでもいつもより早く。 

 ちゃんと食べて寝たからか。翌日以外にも身体が軽かった。

 それからは先輩のほどほどを俺も見習うようにして過ごしている。

 って――あれ?ほどほどって――今思うと先輩の口癖と同じような――でも先輩は知らない――?まあいいか。




 了

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