【短編小説】トーク・トゥ・ユー(全6話)

@tomomi_siro

第1話 週末

 1Kの狭いキッチンに成人女性が2人。蓋をして強火にかけた鍋を、結子(ゆうこ)と実衣(みい)が並んで見下ろしていた。

「どれくらい?」

 実衣がちらと結子に目をやる。

「まずは沸騰するまで」

 結子はマグネット付きキッチンタイマーを冷蔵庫から外す。

「だからどれくらいかかる?」

「15分くらいかな」分設定ボタンを1回押すごとに電子音が鳴る。ピ、ピ、ピ、ピ。100円均一で買ったためか連打しても時折反応しないので、1回1回ゆっくり、根気強く15回押す。ピ、ピ、ピ、ピ。

「沸騰したらどうするの?」

 実衣が固い生地のジーパン包まれた腰を少しかがめると、ほとんど脂肪のついていない背中から長い髪がサラリとすべりおち、薄い胸の前に垂れ下がった。それを片手で束ね、蓋の取っ手を骨ばった指先でパチ、パチと弾く。結子はそれを振り払いたいのを抑えて、あごのあたりで切りそろえた髪を耳にかける。あと7回。

「灰汁をとる」ピ、ピ、ピ。

「あー、そっか」

「ほんと、いまだに料理しないんだね」ピ、ピ、ピ。

「忘れてただけだよ! 調理実習で作ったことあるし」

 抗議するように、片手に束ねた髪を鞭に見立てて結子のふっくらとした腕――ウールのセーターのせいでもあるが――にパシパシと当てる。一本一本が細い毛束は少しもダメージを与えられない。

「いつの話よ」ピ。結子はされるがまま、その顔には苦笑いが浮かんでいた。タイマーのスタートボタンを押して冷蔵庫に戻す。

「うーんと小学生? 小5かな? たしか」

「うちは小6でやったな」

「そうなんだ! 学校が違うと、やっぱ授業内容も違うんだね!」

 実衣の声が1トーン高くなり、いつもは青白い頬が生き生きしてきた。まるでえらく素晴らしいものを発見して驚いた、とでも言いたげに。そしてこのことは、「例の前兆」である。結子はよく理解していた。

「そういや結子の料理、久しぶりだなぁ!」

「そうだね。外ではよく会ってたけど。うち来るの久々じゃん。食材買ってきてもらって悪いね。半分払うよ」

「いいのいいの、お邪魔するんだから、これくらい」

 実衣は腕組みをしてわざとらしく顎を上げ、誇らしげに言ってみせた。食材だけでなく、紅茶専門店でしか売っていないような高そうなフレーバーティーも土産と言って渡していた。

 友だちの家に上がる時は手土産を持っていくのがマナーということを結子が知ったのは、実は実衣からだった。地元の公立中学の2年生で出会い、結子の実家に遊びに来たとき、招かれたほかの友人たちと家族人数分のケーキを持ってきたことに母親は驚き、皆が返ったあともしきりにそれについて興奮気味に話していた。

「あんな行儀の良い子、初めて来たわね」

 それからしばらく、実衣の話になると「あのお嬢様」と呼んでいた。当時、結子の友達にはいなかった、色白で、痩せぎみ、背中の下のほうまで伸びたサラリとした黒髪のせいもあったのかもしれない。

 実衣と結子が友人になってから、十五年ほどが経とうとしていた。高校、大学は別々に進学したが、家が近いこともあり、また何より同じマンガやバンドが好きで気が合うことから、よく一緒に遊びに出かけたり、メッセージアプリで日々の出来事を報告し合ったりしていた。実家は都心まで電車で一本の山奥だったが、就職は2人とも都心に決まり、しかし一人暮らしを始めたのは結子だけだった。2人とも休みはカレンダー通りで、都心に買い物や映画に出かけたり、実衣が結子の家に泊まることもしばしばあった。

 一人は自由だよ、会社も近くなるし、実衣も実家出ればいいのにと言うと、「通えない距離ではない」と答えるのが常だった。しかしそう言い続けた彼女も気が付けばもうすぐ30で、「大きな子供」として窮屈ではないんだろうか、と結子はたびたび思った。メッセージアプリでは好きなものの話よりも、両親への文句をはじめ、見るものすべてにいちゃもんをつけるイライラとした内容が年々増えてきている。それは、その「窮屈さ」からくるストレスではないのか。

 15年の付き合いといえば最早親友とも言えるだろう。しかし結子は他人の人生に口を出すのは失礼という常識があり、たしなめるようなことを口にしたことはなかった。常識である以上に、この親友の性質をよく知っていたからでもあった。

「てか結子って、休みの日も化粧してんの?」

 ぼんやりと鍋を見下ろしている横顔を実衣がのぞき込んできた。

「え? いや……ああ、今日は朝ちょっと出かけてたから」

「そうなんだ。私なんてもうめんどくさくて、仕事にすら化粧しないで行ってるよ。日焼け止めだけ」

 そう言う実衣の顔は、たしかに日焼け止め特有の浮いたような白さがあったがほぼ素肌だ。クマや小鼻のくすみはあるが、キメの整った肌で、目立ったシミもない。一方結子は子供の頃から少しそばかすがあり、それを隠したいのと、大人の女性のマナーと思っているので、外出時は常に化粧をしていた。職場ではマナーとか注意されないのか、と言いそうになりグッとこらえる。そんなことを言ったら、「例の前兆」が加速するのは目に見えていた。気づかれていないかチラと見やる。そこには上機嫌そうにこちらに微笑む実衣がいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編小説】トーク・トゥ・ユー(全6話) @tomomi_siro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ