第9話
「次! 第三師団の装備発注書! 却下! なんで剣の予備が五百本も必要なの! お前たちは剣を投げて戦う気か!」
「す、すみません! つい不安で!」
「不安なら剣技を磨きなさい! 予算に頼るな! 書き直し!」
帝城の一角、かつては物置だった広い部屋。
そこは今、帝国で最も恐ろしい場所――通称『修羅の事務室』に変貌していた。
部屋の中央に鎮座するのは、私、シルビア・ランカスター。
その周囲を、三十人の屈強な男たちが死に物狂いで駆け回っている。
彼らは私の特訓を受けた新生・事務部隊。
見た目はゴリゴリのマッチョだが、その手には剣ではなく羽根ペンが握られている。
「教官! 北の村から『魔物被害による減税申請』が届いています!」
「被害状況の証拠写真は? 村長の署名はある?」
「あります! 写真魔法の添付済み!」
「よろしい。受理! 復興支援金の手続きを回して。優先度S、今日中に送金魔法で振り込むこと!」
「イエッサー!!」
男たちは怒号のような返事をし、ものすごい速さで書類を作成していく。
紙がめくれる音が、まるで嵐のようだ。
「……おい、シルビア」
入り口で、その光景を呆然と眺めている人物がいた。
ルーカス殿下だ。
「なんだ、ここは。戦場か?」
「お疲れ様です、殿下。ここは戦場以上の激戦区、事務室です」
私は手を休めずに答えた。
「見てください、彼らの働きぶりを。素晴らしいでしょう?」
「ああ……あいつら、あんな繊細な指使いができたのか……」
殿下の視線の先では、身長二メートルの巨漢が、豆粒のような文字で帳簿を記入していた。
「筋肉は裏切りませんね。彼らの持久力と集中力は、一般の文官の三倍です。徹夜してもケロッとしていますし」
「ブラックすぎないか?」
「ちゃんと休憩時間にプロテインを配給していますから、彼らは喜んでいますよ」
私はニッコリと笑った。
実際、彼らは充実した顔をしている。
「俺、剣を振るより、この『複式簿記』ってやつの方が性に合ってるかも……左右がピタリと合う瞬間、脳汁が出るぜ……」
「分かる……敵の首を取るより、経費の無駄を削減した時の方が快感だ……」
彼らは完全に「事務の沼」にハマっていた。
「それで、殿下。何の用ですか? 暇なら書類のホッチキス留めを手伝ってください」
「俺は皇帝だぞ(予定)。……いや、実は相談がある」
殿下は少し真面目な顔をして、一枚の羊皮紙を差し出した。
「隣国の『商業都市連盟』から、抗議文が届いた」
「抗議?」
「ああ。『帝国の騎士たちが国境付近で演習をするせいで、振動で商品が棚から落ちる』そうだ。賠償金を請求すると書いてある」
「……またですか」
私はこめかみを押さえた。
この国の人間は、歩くだけで震度3くらいの揺れを起こす。
「通常なら『うるさい、文句があるなら戦争だ』と返事をするんだが……」
「絶対にダメです。そんなことをしたら、輸入ルートが閉ざされて食糧危機になります」
私は羊皮紙をひったくった。
「貸してください。私が返信を書きます」
「お前が?」
「ええ。『深くお詫び申し上げます。つきましては、お詫びの印として、我が国の特産品である【ドラゴン革製品】を特別価格で卸させていただきます。また、国境警備隊には【忍び足】を徹底させます』……これでどうでしょう?」
「忍び足……あいつらにできるか?」
「やらせます。足音を立てるたびに減給と言えば、彼らは空気のように歩くでしょう」
私はサラサラと返信を書き上げ、封蝋を押した。
「これで解決です。賠償金どころか、新たな商談成立ですね」
「……お前、本当に悪魔だな」
「褒め言葉として受け取っておきます」
殿下は苦笑しつつ、私のデスクに置いてあったクッキーを勝手に食べた。
「美味いな、これ」
「あ、私のオヤツ! 経費で落ちない自腹のやつですよ!」
「ケチくさいことを言うな。……それにしても、お前が来てから城の中が静かだ」
「怒鳴り声が減りましたからね。書類で会話するようになったので」
「ああ。おかげで俺も、剣を抜く回数が減った。……退屈なくらいだ」
殿下は少し寂しそうに窓の外を見た。
「平和ですね」
「……そうだな」
嵐のような事務室の中で、私たちだけ時間が止まったような静寂が流れる。
その時だった。
「教官! 大変です!」
部下の一人が、血相を変えて飛び込んできた。
「どうしたの? インクが切れた?」
「違います! 王国の……シルビア様の故郷から、緊急の使者が!」
「使者?」
私の眉がピクリと動いた。
「手紙を持参しています! 差出人は……『レイド第二王子』!」
その名前を聞いた瞬間、室内の温度が三度下がった。
ルーカス殿下の瞳が、スッと細められる。
「……あいつか」
「読んでください」
部下から手紙を受け取り、私は封を切った。
中に入っていたのは、涙で滲んだような汚い文字の便箋一枚。
私はそれを読み上げ始めた。
***
【シルビアへ】
元気か? 僕は元気じゃない。
君がいなくなってから、城の中がおかしいんだ。
まず、僕の部屋の掃除がされていない。メイドに頼んだら「それは私の仕事ではありません」と言われた。君はいつも黙ってやってくれていたのに。
それから、書類が読めない。
宰相が持ってくる書類に、難しい漢字や専門用語が多すぎる。君はいつも「ここだけ読めばいいです」と要約してくれていたじゃないか。
極めつけは、マリアだ。
彼女は可愛いが、何もしない。「愛があれば大丈夫」と言うけれど、愛で腹は膨れないし、愛で国民の不満は収まらないんだ。
昨日、夜会で他国の公使に話しかけられた時、僕は言葉に詰まってしまった。
マリアはニコニコ笑っているだけで、助け船を出してくれなかった。
恥をかいたよ。
君なら、絶妙なタイミングで会話に入って、僕を立ててくれたはずだ。
シルビア、もう怒っていないだろう?
あんな慰謝料請求書は冗談だよね?
そろそろ帰ってきてくれ。
君の席は空けてある(まだ誰も座っていない)。
愛を込めて(?)。
レイドより。
追伸:
来週の隣国との通商会議、資料がまだ白紙なんだ。
至急、作って送ってくれないか? 君なら一晩でできるだろう?
***
読み終えた私は、静かに手紙を折りたたんだ。
「…………」
「…………」
沈黙。
部下たちは、恐怖に震えている。私が無言だからだ。
「……シルビア?」
殿下が恐る恐る声をかけてくる。
「殺すか?」
「いえ」
私は笑顔で答えた。
「殺す価値もありません」
ビリッ! ビリビリビリッ!
私は手紙を細かく引き裂き、ゴミ箱へとシュートした。
「教官、ナイスイン!」
「馬鹿にするのも大概になさい。私が帰る? 資料を作る? 寝言は寝て言ってください」
私は立ち上がり、窓の外の王国の方角を睨みつけた。
「あの国がどうなろうと知ったことではありませんが……ここまで舐められて黙っている私ではありません」
「どうする気だ?」
「返事を書きます」
私は新しい便箋を取り出し、極太のペンを走らせた。
『拝啓 元殿下。
お手紙(笑)拝読いたしました。
現在、私は帝国の筆頭秘書官として、貴国の年収の三倍の給料を頂きながら、充実した日々を送っております。
部屋の掃除? ご自分でどうぞ。
書類が読めない? 辞書を引いてください。
マリア嬢が役に立たない? 選んだのは貴方です。
なお、通商会議の資料作成につきましては、外部委託として承ることも可能ですが、費用は金貨一万枚(前払い)となります。
それでは、滅びゆく国での余生をお楽しみください。
敬具
シルビア(元・婚約者/現・勝ち組)』
「これを、速達で送ってください」
「イエッサー!」
部下が敬礼し、手紙を持って走り去った。
「……容赦ないな」
殿下が感心したように言った。
「当たり前です。私は悪役令嬢ですから」
私はフンと鼻を鳴らし、再び仕事に戻った。
しかし、心の中では少しだけ冷めた感情が渦巻いていた。
(……想像以上に早かったわね、ボロが出るのが)
私が国を出て、まだ一週間も経っていない。
それなのに、もう悲鳴を上げている。
あの国は、私が支えていたからこそ、かろうじて立っていられたのだ。
その支柱を自らへし折ったのだから、崩壊するのは当然の帰結。
「せいぜい、泥舟が沈むまでの時間を楽しむといいわ」
私は冷たく呟き、次の書類に『却下』の判を押した。
一方その頃、王国では――。
「……う、嘘だろ……?」
王城の執務室。
レイド王子は、私の返信(速達)を読み、顔面蒼白になっていた。
「金貨一万枚……!? そんな金、あるわけないじゃないか!」
机の上には、未処理の書類が山のように積まれている。
その横で、マリアがお茶を飲んでいた。
「レイド様ぁ、まだ終わらないんですかぁ? 私、新しいドレスが見に行きたいんですけどぉ」
「マリア……少しは手伝ってくれないか? この数字の計算だけでも……」
「えー、私、算数ニガテですぅ。数字を見ると頭が痛くなっちゃう」
彼女は可愛く舌を出した。
以前なら「可愛いな」と思えたその仕草が、今のレイドには苛立ちの種にしかならなかった。
「……シルビアなら、言わなくてもやってくれたのに」
つい、口に出してしまった。
「なっ! またシルビア様のことですか!?」
マリアが立ち上がり、ヒステリックに叫んだ。
「ひどいです! 私という婚約者がいるのに! そんなにあの意地悪な女がいいんですか!」
「いや、そうじゃない! ただ、仕事の話で……」
「言い訳なんて聞きたくありません! もう知りません!」
マリアは泣き真似をして部屋を飛び出して行った。
「あっ、マリア! 待ってくれ!」
追いかけようとして、レイドは積み上げられた書類の山に足を引っ掛けた。
ドサドサドサッ!!
数百枚の羊皮紙が雪崩を起こし、彼の上に降り注ぐ。
「……痛っ……」
紙の海に埋もれながら、レイドは天井を見上げた。
そこには、以前シルビアが「整理整頓は心の乱れを防ぎます」と言って貼っていった標語の跡だけが、虚しく残っていた。
「……帰ってきてくれ、シルビア……」
その呟きは、誰にも届くことなく、書類の山に吸い込まれていった。
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