サルベージストア
芦屋 学
前日譚「白い息」
マー坊は、相変わらずうるさい。
「聞いてますか、ミスタータケジョー。現在、外気温は低下傾向。体内環境が――」
「はいはい」
言葉の途中で、ポテトグラタンをスプーンごと口に押し込んだ。
文句はそこで途切れた。
もぐもぐと、律儀に咀嚼する音。
ロボットは渋々といった様子で、それでもきちんと飲み込む。
この店には似合わないくらい、手の込んだ朝飯だ。
「静かにしろ。せっかくのグラタンが冷めるだろ」
「だからこそです! 摂取効率と――」
言葉は続く。
理屈は止まらない。
視線を逸らすと、カウンターの向こうに積まれた金属片や、
正体のわからない端末の影が、朝の光を鈍く返していた。
「ちょっと、聞いてますか? それは明確な――」
「なんかうるさい」
そう言って、もう一口放り込む。
そのときだった。
マー坊の頭部から、ふっと白いものが立ちのぼった。
湯気というより、
寒い日に人が吐く息に近い。
窓際のガラスが、じわりと曇る。
「どうした?」
俺は軽く笑って言った。
「……聞いてますか?」
即座に返ってくる抗議。
いつも通りの調子だ。
――なのに。
その白いものが、妙に長く残った。
俺は自分の息を吐いてみる。
すぐに薄く白くなって、ガラスの曇りにとける。
……そういえば。
マー坊と出会ったのも、
こんな季節だった。
山に入るには、少し遅い時間だった。
息を吐くと白くなる。
足元の落ち葉が、乾いた音を立てる。
日が翳るのが早い。
このまま奥へ進むより、今日は引いた方がいい。
そう判断して、引き返しかけた。
そのときだった。
竹藪の向こうに、
不自然な色が見えた。
赤だ。
俺は思わず、ゴーグルを外す。
燃えるような紅葉が一本だけ残っていて、
その下だけ、時間が止まったみたいに静かだった。
近づくと、家屋の跡があった。
壁の名残と、柱の影。
風雨に削られながらも、形だけは保っている。
その前で、そいつは盆栽を手入れしていた。
人型アンドロイド。
片手しかない。
ぎこちない動きだった。
だが、迷いはなかった。
枝を落とす位置も、土をならす加減も、
何度も繰り返された手順そのものだった。
誰かに教わった様子はない。
それでも、手入れだけは洗練されている。
長いあいだ、ひとりで続けてきたのだと、
見ただけで分かる。
「……面白いもん、見ちまったな」
思わず、声が漏れた。
だが、すぐに背を向けた。
ここは仕事場じゃない。
触れていい場所じゃない。
思っていたより、長くその場に留まっていたのかもしれない。
紅葉の赤と竹の緑が、
視界の端で、ゆっくり溶け合っていく。
音が、ほどけた。
近くにあったはずの輪郭が、
一拍遅れて、薄くなる。
足元の影と、混ざり合う。
ふわりと、身体が滲んだ。
粘つく風が内側を、抜ける。
境界線が、解けていった。
身体が先に動いた。
足場も重さも、信用できない。
それでも、どこかに乗った。
視界が、横に流れる。
まとまらない音が、反響した。
感触が、返ってくる。
肺から、息が抜けた。
何が来たのかは、分からない。
形も、数も。
ただ、
ここが、共鳴してしまったと分かった。
湿った影が、落ちてくる。
色が濃くなり、
重さだけが増えていく。
そこで、
冷たい金属音が、耳の奥に刺さった。
白い煙が、視界を割る。
遅れて、焦げた油の匂い。
頭の中で散らばった、
言葉が元に、戻る。
俺の意識と、
重なりきらないとこに。
間に、影がさす。
次に響いた音は、ぼやけて消えた。
それでも、そいつは倒れなかった。
そのアンドロイドは黙って、
肩を差し出した。
息が、戻る。
視界が、揺れる。
乱れた呼吸が、白くなる。
紅葉の赤よりも、
自分の吐く息の白さだけが、残った。
「……なんで」
絞り出した問いに、そいつは即答した。
「私のエゴです」
淡々と。
事務連絡みたいに。
「下半身と内部機構が優先。
あなたの生存確率が、最も合理的でした」
それだけだった。
「……聞いてますか、ミスタータケジョー。バクテリアが」
現実に戻る。
さっきまでとは違う。
白いものの揺れだけが、妙に重くなっていた。
それをかき消すように、俺は思い出すのをやめた。
「……おい」
俺が言うと、マー坊は少し間を置いて答えた。
「制御が間に合いません」
俺は鍋を覗き、鼻で笑う。
「ポタージュ、熱すぎたか?」
「笑えない冗談です。ロイド差別ですよ、ミスター・タケジョー」
「……な?」
カウンターの下から、鉢植えを引き寄せる。
いつもの、受け皿だ。
「エコだろ?」
返事はない。
代わりに、静かな作動音。
――間に合わない。
俺は慌てて鉢を差し出す。
ガラクタをどかし、受け止める場所を作る。
土が増える。
同じ季節。
変わらない日々。
あの時と同じ、白さだ。
白い湯気の向こうで、
マー坊は、どこか満足そうだった。
店は今日も開いている。
サルベージストア 芦屋 学 @ashiya_manabu
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