第5話 調査隊
グランデル――迷宮都市の冒険者ギルド〈灰鉄の門〉。
分厚い鉄扉を押し開けた瞬間、革と油の匂いが鼻を突いた。
石床に響く靴音、武具を磨く金属音、依頼を読み上げる声。
ざわめきは市場の喧騒に似ているが、どこか血の匂いを孕んでいた。
(……荒っぽいな。だが、これが前線の都市というものか)
調査団を率いる男――ヘルマンは四十前後の壮年で、短く刈った栗色の髪に、顎には濃い髭をたくわえていた。
背は高く、分厚い外套の下には使い込まれた鎖帷子が覗いている。
鋭い目つきだが、その奥には場数を踏んだ者だけが持つ冷静さが宿っていた。
元は冒険者として迷宮を歩いた経験を持ち、虚勢よりも実直さを重んじる男――調査団長にふさわしい風貌だった。
学者が測定器の入った箱を抱え、魔術師と斥候が周囲を警戒しながら続く。
扉を抜けると、待っていたのは応接室だった。
分厚い石壁に囲まれたその部屋で、ギルド長バルドと二人の冒険者が席についている。
一人は堅実そうな若い護衛冒険者。
そしてもう一人――黒髪の青年。
煤けた外套を羽織り、背筋を伸ばして静かに座っていた。
「今回は街のために尽力いただき感謝する、ヘルマン隊長」
バルドの低い声が石壁に反響した。
「こちらこそ、腕利きを護衛に付けていただけるとは心強い。……それに特級冒険者まで同行してくださると聞きましたが」
礼を述べながら、ヘルマンは室内を見回す。
だが、それらしい人物はいない。
思わず問いが口をついた。
「……で、その特級冒険者は、この後合流か?」
バルドの顔がわずかに渋くなる。
重い沈黙ののち、義眼が青年を示した。
「……そこにいる」
視線の先。
黒髪の青年は、ただ静かに座っていた。
どう見ても、どこにでもいる冒険者にしか見えない。
「――え?」
学者も斥候も目を丸くし、空気が張り詰める。
その中で、青年が軽く手を上げた。
「……コンニチハ」
妙に律儀な声が落ち、誰かの小さな呟きが室内にこぼれた。
「……マジかよ」
◆
迷宮へ続く街道は、冷たい風に包まれていた。
針葉樹の林が道の両脇に並び、ざわめく枝葉の合間から淡い光が差し込む。
踏み固められた土の道には昨夜の露がまだ残り、靴音に合わせてかすかにしぶきが散った。
調査団一行は縦列を組み、先頭にタクミと護衛の冒険者、斥候、後方に魔術師と学者が続く。
中央を歩くリーダーのヘルマンは、ふと先頭へ並び、隣の黒髪の青年へと視線を向けた。
「……さっきは悪かったな。失礼なことを言ってしまった」
隊列の中で交わされたその声に、後方の仲間たちは気を払いつつも黙って歩き続ける。
青年はわずかに首を振り、短く答えた。
「……ダイジョウブ。ヨク、イワレル」
ぎこちない返答に、ヘルマンは一瞬だけ戸惑った。
思い出す――ギルド長バルドの言葉。
『あいつは辺境出身でな。言葉が上手く話せないが、会話は理解している。』
苦笑を浮かべ、ヘルマンは歩調を合わせながら続ける。
「俺が会ってきた特級は、良くも悪くも目立つ奴ばかりでな。特級ってのはそういうものだと思い込んでいた」
「……他ノ、トクキュウ、シッテル」
「お、知ってるのか」
後ろを歩く学者が興味深そうに視線を寄越すが、会話を遮ることはなかった。
ヘルマンは苦笑交じりに言葉を重ねる。
「派手な奴らだろう? 派手なだけならいいが、我の強いのが多くてな。君のような人の方が仕事はやりやすい」
青年はちらりと視線を寄越し、自然と口角を上げた。
「……ナンデモ。テツダウヨ」
その言葉に、隊列を進めていた仲間たちも、わずかに緊張を和らげる。
林の枝葉を渡る風が、静かに一行の間を吹き抜けていった。
◇
街道を抜けると、岩肌を削った広場に出た。
そこには厚い石垣と木柵で固められた前線拠点が築かれており、十数張の天幕と仮設の詰所が並んでいた。
槍を持った兵士が行き交い、冒険者たちが焚き火を囲んで武具を点検している。
鉄と油の匂い、乾いた金属音、低く交わされる声が広場を満たし、戦場の玄関口らしい緊張を漂わせていた。
調査団の一行が通ると、周囲の兵や冒険者たちがちらりと視線を向けてくる。
ただそれだけで、声を掛ける者もなく、またそれぞれの作業に戻っていった。
門番がいる詰所で、名簿への署名と札の確認を済ませる。
広場の奥には、黒々と口を開けた洞窟の入口があった。
幾度も人を呑み込んできた闇が、吐息のように冷気を吹き出している。
近くの松明の炎さえ揺らぎを弱め、そこだけが別の世界の境界のように見えた。
リーダーのヘルマンは一度だけ仲間を振り返り、静かに告げた。
「……行くぞ」
隊列を整え、一行は前線拠点を抜けて迷宮の闇へと足を踏み入れる。
背後にあったざわめきは、すぐに石の冷気に呑まれていった。
◇
「よし、予定通り一層目から調査を開始する」
調査団長ヘルマンの声が石壁に反響した。
「目標は中層だ。ただし迷宮の異常が強ければ切り上げる。……各自、気を抜くな」
隊列が整う。
先頭を進むのは斥候、その背にタクミ。中央に学者と魔術師、最後尾を護衛のロイが固めた。
通路は人の出入りが多いため踏み固められていたが、冷たい空気がじっとりと肌に貼りつく。
階層ごとに――魔素濃度、魔物の分布、環境の変化を調査し、記録していく。それが今回の任務だった。
やがて二層目に入り、開けた広間で一行は休憩を取った。
学者が木箱から器具を取り出し、壁に当てる。盤面に淡い光が走り、針がわずかに揺れる。
「コレハ、ナンデスカ?」
黒髪の青年が首を傾げる。
「これは魔素の濃度を測る器具でして……」
学者は思わず声を明るくし、説明を始めた。
「オー、スゴイ」
青年の素直な感嘆に、学者は少し気を良くして補足を続けようとした――が、ふと違和感を覚えた。
隣にいたはずの青年の姿が、消えている。
「……え?」
学者が目を見開いた瞬間、離れた通路の奥で炸裂音が轟いた。
砂がぱらぱらと降り、広間にいた全員が立ち上がる。
「何が――」
斥候が声を上げかけた時、闇の中から青年が歩いて戻ってきた。
「……イキナリ キタ」
タクミが指を向ける先に、一行の視線が集まった。
通路の壁には、来た時にはなかった黒い穴がぽっかりと口を開けている。
崩れ落ちた岩の破片の中に、すでに息絶えた魔物の姿が横たわっていた。
鋭い爪を持つ犬型の魔物――出てきた瞬間に叩き伏せられたのだ。
斥候は息を呑み、己の耳と目を疑った。
さっきまで、気配はなかった。通路の奥で身を潜めていたわけでもない。
それなのに、出現と同時に仕留められている――自分では到底追えない速さ。
「……全く気づけなかった」
斥候の声はかすかに震えていた。
後方から、護衛のロイが小さく感嘆を漏らした。
「やっぱタクミさんはすげーな……上の連中も知ったら腰抜かすぜ」
(あの速さ……どうやって? 常識では測れん)
特級という肩書きが、ただの飾りでないことを、ヘルマンは改めて思い知った。
タクミは肩についた砂を軽く払うと、何事もなかったように隊列へ戻った。
何事もなかったかのような静けさが、かえって不気味に思えた。
そのとき、どこか遠くの壁が――わずかに鳴った。
低い、呼吸のような音。
それはまるで、迷宮そのものが目を覚ましたかのようだった。
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