紅蓮の記憶
序話:盾の砕ける刻(とき)
永禄六年(一五六三年)一月。
南国の土佐には珍しく、小雪がちらつく朝であった。
だが、私の目の前には、雪の白さを瞬時に食らい尽くすような、紅蓮の炎が燃え盛っている。
兄・茂宗と共に夢見、手に入れ、そして一族の繁栄を象徴したこの巨城は今、巨大な
熱い。
だが、その熱ささえも心地よい。
肩の荷が下りたとは、まさにこのことか。
私は本丸の広間で、
傍らには、愛用の十文字槍。その穂先は、先ほどまでの激戦で無数の敵兵の血を吸い、赤黒く変色している。刃こぼれした太刀傷や、鎧に突き刺さった矢の痛みも、今は遠い。
「……行ったか」
北の山々を見つめる。煙の向こう、雪雲に覆われた
私がここで、三千の敵兵を引きつけ、命を
盾は砕け散ったが、その破片は土に還り、新たな命を育む糧となるだろう。
「……それにしても、見事な化け物じゃったのう」
私は苦笑し、先刻まで
かつて「
奴の瞳には、怒りも、悲しみも、喜びさえもない。ただ、目の前の障害を排除するという純粋な狂気だけがあった。
あれこそが、乱世の完成形か。
兄上が目指し、私が恐れた「平野の
だが、元親よ。おんしには分かるまい。
なぜ、この老骨が、勝ち目のない戦に挑んだのか。
なぜ、この炎の中で消えることを選んだのか。
『守るべきもののために、己を捨てる』
その愚かしくも愛おしい「人の情念」こそが、獣にはない、我らだけの武器なのだと。
炎が、私の体を包み込む。
意識が薄れていく中で、目の前に過去の景色が蘇る。
血生臭い戦場ではない。
謀略と裏切りの宴席でもない。
もっと鮮やかで、澄み渡った……あの日の青空。
大永七年。
まだ私が「本山茂定」と呼ばれていた頃。
兄・茂宗の背中を追いかけ、希望だけを胸に、あの険しい山道を駆け下りた日。
ああ、兄上。
聞こえますか。鏡川のせせらぎが。
あそこから、全てが始まったのですな。
私は目を閉じた。
紅蓮の炎は、いつしか懐かしい錦秋の紅葉へと変わり、私を優しく包み込んでいった。
【序話 終】
次回予告
紅蓮の炎は、若き日の錦秋の記憶へと還る。
時は大永七年。
兄・茂宗が抱く覇者への野望。それを支えるため、弟・茂定が下した決断とは。
「兄上、私は決めたのです」
一族の繁栄を願い、影となり、盾となることを誓った男の物語が、今、幕を開ける。
次回、第一話「名を捨て、地を這う」
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